51 / 52
STEP 15 「明菜の飯、毎日食う権利。争奪戦エントリーしてます」
しおりを挟む「頑張れとか、期待してるなんて、言ってくれると思わなくて」
皿洗いを終えて、ソファの上で八城の足の間に座り込みながら話をしていれば、その時と同じように八城の手が頭を撫でてくれる。八城が、手に持っていたコーヒーを渡してくれた。
長く一人で話していたから、喉が渇いている。八城に手渡されて気づいてしまうのがおかしかった。一口飲んでいる間に、八城が髪を整えて、耳にかけてくれる。
「良い親父さんじゃん」
八城の言葉には、嫌らしさがない。人を褒める時、いつも本心から口にしているのだと信じさせる力がある。誠実な人だから、無条件に信じてしまうのかもしれない。初めて見た時から、つよく、胸に残る言葉をたくさん分け与えてくれる人だった。
もらったコーヒーを返せば、八城は、私の倍以上のスピードでコーヒーを飲み干して、脇のテーブルに置いてしまった。相変わらず豪快な人だ。片手が空いた八城が私の身体を抱き直して、しっかりとお腹の前で腕を組んでくれる。ぴったりとくっついた身体に安心して、ぽろりと、可憐にしか言ったことのない話をしていた。
「父は昔、私の姉に、強引に見合いを設けて結婚をさせたことがあって」
「え、まじで?」
私が想像する以上に、八城が絶句している。ちらりと振り返ったら、すこし前にいい父だと言ってくれた人とは思えないほど眉を顰めさせた人と目が合った。笑ってしまう。人のこころに寄り添うのが上手な人だ。
「私、ずっとそれが許せなくて、父の会社の都合で人生を狂わされた姉のこと、本当に悔しかったんです。だから父の会社に入るつもりなんてなかった」
「そりゃまた……、じゃあ、なんで」
「気になってたんです。父がそうまでして守りたい会社って何なんだろうって。姉の人生を潰してまで、大事にしたい会社って何かなって」
テレビで見るような汚いことをしている会社なら、絶対に許せないと思っていた。就活中、興味本位で、人で溢れかえっているブースの一番奥の席に座って、じっと見つめていた。
「合同説明会で、たまたま目にして、ふらっとブースに座ったんです。かっこいい若い男性がスーツを着て、きらきらしながらお話してるんです」
「……それ」
答えを口にしなくても、聡い八城なら、私が言いたいことに気づいてくれているようだ。私のお腹に絡んだ腕に力がこもる。その腕に手をそっと重ねて、静かにつぶやいた。
「八城さんって人です。かっこよくて、ああ、こんなに人が輝ける仕事を守るために、父は必死になっていたんだって、すとんと納得できてしまって」
「うん」
「気づいたら、エントリーしてました」
絶対に受けないと決めていたはずなのに、どうしても、八城を見て、こんなふうに人が輝く会社なら、見てみたいと思うようになった。働いてみて、今度は、ここに貢献できる人になりたいと思うようになってしまった。
あんなにももう会いたくないと思っていたのに、いつか、父に認められたいと思うようになって必死になった。
「そっか……」
私が八城のことを、どれだけ前から特別な人だと思っていたか伝わってしまうから、隠しておこうとしていたはずなのに、結局声に出てしまった。
「姉はもうその方とは別れて、別の男性と結婚しましたし、もう良いって言ってるんですけど、……私もようやく、すこしだけ父を許せる気がします。ぜんぶ、春海さんのおかげです」
ここに来た理由も、もう一度父と向き合おうと思えたわけも、結局八城のまっすぐな瞳にある。八城の言葉なら、信じてみたいと思ってしまうから、これはもう、仕方がない。好きだから、そう思うのだと受け入れることにした。
振り返って、私の言葉に放心しているらしい八城の唇に吸い付いてみる。恋人同士のキスに許可はいらないと聞いているから、最近は、すこし頑張って口づけたりしてみている。だいたいは、逆襲に遭ってしまうけれども。
今日の八城は私のキスでようやくこころを取り戻したらしく、私の目をじっと見下ろしてきた。何も言ってくれないから首をかしげてみれば、優しい腕に抱き寄せられる。
「……明菜には敵わねえわ」
「ええ?」
「採用の手伝い、マジでわけわかんないながらにも、やってよかった」
「ふふ、はい。かっこいいです」
「わざわざしんどい選択ができる明菜に惚れ直した」
そんなふうに、思ってくれるとは、考えもしなかった。思わず笑えてしまう。八城は、人の良いところを探すのが本当に上手だ。すてきな生き方だと思う。私もそうありたいと思ってしまう。
「あはは、ぜんぜんですよ」
嬉しくなって八城の背中に腕を回したら、もう一度身体を抱き起されて、八城の腿の上に両足を乗せる形で横抱きにされた。じっと、真剣そうな目に見つめられる。
「うん?」
「そっか。政略結婚? ってマジであるのか」
感慨深そうな声だ。八城の反応は至極一般的だと思う。私も深く頷いてしまった。
「はい。私もびっくりです」
「……ってことはなに、明菜も可能性あんの?」
「うーん。いや、ないと思ってますけど……、実は、八城さんが私とその……えっちしてくれたのも、その、そういう? 父の思惑だったら嫌だなって思っていました」
八城は優秀な社員で、うちの会社でなくとも引く手数多だろう。ここまで昇進の話を蹴り続けている八城を掴む方法なら、いくらでも考えていておかしくはない。現に、姉の二人目の結婚相手は、そうして姉との婚姻に至った。
こっそりと私が打ち明けたら、八城が苦笑しながら口を開いた。
「なるほど、そういう意味で、親父さんに便宜を図られてるんじゃないかって思ってたのか」
「でも、全然そうじゃなくて、よくよく考えればあのころと違って、業績も上がっていますし、父も反省」
反省していると思います、と、最後まで言い切ることはできなかった。
八城と別れたくなくて、必死に言い訳をしていたつもりが、素早く顔を寄せてきた八城のキスに阻まれて、言葉が壊れてしまった。惚けた私を見おろす八城が、真面目そうな顔をしている。優しく頬を撫でられて首を傾げたら、もう一度静かに口づけられる。
ほんのすこしだけ唇を離した八城が、小さく囁いた。
「……課長昇進、受けるか」
良いことを思いついた、とでも言いだしそうな声だった。
父との面談の時と同じくらい、それよりも驚いて、一瞬言葉が出てこなくなる。しばらく見つめあっているうちに、八城がたのしそうに笑みを浮かべて私の髪を撫でた。
「……どうしたんですか、突然」
「ん、明菜を手放さないよう、外堀埋めていこうかと思いついた」
「そとぼり?」
「出世すりゃ明菜の父さんに認めてもらえんだろ?」
けろりと言いきって、もう一度口づけてくる。考えたこともないような方向に捉えられて、唖然としてしまった。あれだけ嫌がっていたのに、良いのだろうか。やればやるほどに、八城が目指している穏やかで優しい家庭は遠ざかってしまいそうだ。
「……なんか、昇進の動機が、不純です」
「男は大体そう」
「そうなんですか」
嘘のような気がする。じっと見つめたら、八城が笑って「どうせ佳樹さんもそうだし、俺もそっち路線で認めてもらうことにする」とつぶやいた。
「ん、社長の周りに存在感出していくわ。そうしたら認めてもらえそうだし」
「なにを、認めてもらうん、です」
「明菜の飯、毎日食う権利。争奪戦エントリーしてます」
「争奪戦……」
「意味、わかるだろ?」
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。
絶対に離婚届に判なんて押さないからな」
既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。
まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。
紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転!
純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。
離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。
それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。
このままでは紘希の弱点になる。
わかっているけれど……。
瑞木純華
みずきすみか
28
イベントデザイン部係長
姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点
おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち
後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない
恋に関しては夢見がち
×
矢崎紘希
やざきひろき
28
営業部課長
一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長
サバサバした爽やかくん
実体は押しが強くて粘着質
秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
優しい微笑をください~上司の誤解をとく方法
栗原さとみ
恋愛
仕事のできる上司に、誤解され嫌われている私。どうやら会長の愛人でコネ入社だと思われているらしい…。その上浮気っぽいと思われているようで。上司はイケメンだし、仕事ぶりは素敵過ぎて、片想いを拗らせていくばかり。甘々オフィスラブ、王道のほっこり系恋愛話。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
同居離婚はじめました
仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。
なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!?
二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は…
性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。
婚姻届の罠に落ちたら
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
年下の彼は有無を言わさず強引に追い詰めてきて――
中途採用で就社した『杏子(きょうこ)』の前に突如現れた海外帰りの営業職。
そのうちの一人は、高校まで杏子をいじめていた年下の幼馴染だった。
幼馴染の『晴(はる)』は過去に書いた婚姻届をちらつかせ
彼氏ができたら破棄するが、そうじゃなきゃ俺のものになれと迫ってきて……。
恋愛下手な地味女子×ぐいぐいせまってくる幼馴染
オフィスで繰り広げられる
溺愛系じれじれこじらせラブコメ。
内容が無理な人はそっと閉じてネガティヴコメントは控えてください、お願いしますm(_ _)m
◆レーティングマークは念のためです。
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載してます。
〇構想執筆:2020年、改稿投稿:2024年
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる