不埒に溺惑

藤川巴/智江千佳子

文字の大きさ
上 下
14 / 52

STEP 4 「虎視眈々!」

しおりを挟む
 
『15分後、社長室に4名来客がある。対応するように』
「児島ぶちょ……」

 ほとんど、口を挟む隙もなく内線が途切れてしまった。

 役員室への来客対応は、総務部一課ではなく二課の業務の範疇だ。児島がわざわざ私を指名してくる理由を考えて、すぐにやめた。

「すこし出てきます」
「はぁい」

 考えている時間がもったいない。

 児島はやれと言ったら、撤回しない人だ。彼が謝るところなど、見たこともない。常にシビアな目を持っている人で、特に無駄なことを嫌っている。言い訳や弁解は、児島にとっては無駄な問答だ。

 社長室のある階まで足を動かしながら、エレベーターの前に立って、息を吐く。

 可憐に八城について相談したのはいいものの、まったく良い案が浮かばずにお互い匙を投げてしまった。

 絢瀬菫のような女性を目指してはどうかと二人で考えてみたりもしたけれど、そもそも、絢瀬が好意を持つ男性の前でどんなふうに行動しているのかが、想像できない。

 可憐情報によると、絢瀬菫の彼はかなり彼女に貢いでいるらしい。貢ぎ癖があることを、絢瀬が心配していたと聞いた。

 絢瀬菫とは、それほどまでに恋い焦がれてしまう魅力のある女性なのだろう。

「あ」

 開かれたエレベーターのドアの先に、今ちょうど思い浮かべていた女性が立っている。考えなしに声をあげたら、絢瀬はこてりと首をかしげて「お疲れ様です」と微笑んでくれる。

「お疲れ様です」
「どちらへ?」
「はい……、社長室へ」
「はい」

 エレベーターガールだろうかと思ってしまうほど丁寧に聞かれて、綺麗な指先がボタンを押すのを眺めていた。

「面談ですか?」
「あ、いえ。お茶出しを頼まれてしまって」
「あれ? お茶出しですか? 二課の仕事なのに」
「皆さんがお忙しいからですかね」

 本当はただの嫌がらせだと知っているけれど、それを絢瀬に打ち明ける必要はない。一瞬、申し訳のなさそうな顔をした絢瀬が「引き継ぎますね」と笑ってくれた。

 ふと、嗅いだことのない香水の匂いがして、呆然と見つめてしまった。

「引き継がないほうが、いいでしょうか?」
「あ、いえ。ありがとうございます。でもせっかく途中まで来てしまったので、お手伝いします」
「ふふ、ありがとうございます。じゃあ、コーヒーを淹れるところを一緒にどうですか」
「はい、もちろんです」

 絢瀬は一見、顔貌のうつくしさのせいか、冷たい人のような印象を与えがちだが、その実ただ清らかで、やわらかい雰囲気を携えた人だ。

 目が合えば、にっこりと微笑まれてしまった。八城の想い人と知っていても、劣等感を覚えられるような人ではない。ある意味、雲の上の人のようにも思える美人だ。

 人見知りの可憐にも声をかけてくれた人だから、私としても勝手に恩を感じている。この人に八城が熱をあげたと聞いたときも、そうだろうなと納得してしまった。

 あの時は、八城とも絢瀬とも距離が遠かったから、自分のこころの奥に潜んだ激情に気づかず、納得できたのかもしれないけれど。

「小宮さんは、コーヒー、お好きですか?」
「え?」

 絢瀬に私の名前が知られていたことに、驚いてしまった。会話の内容よりも存在を認識されているらしいことに吃驚して、ぱちぱちと瞼を擦り合わせる。

「あんまり得意じゃないです?」
「あ、いえ。とっても好きです」
「よかった。実は役員用の豆があって、お高いものなんです」
「ええ? そうなんですか。知りませんでした」
「ふふ。社長のお知り合いのお店で毎回購入していて、このビルの隣の」
「ああ、わかります。私も実は、あそこのコーヒーが美味しくて、コーヒー中毒になってしまったくらいで」

 八城が好きになるだけある人だ。絢瀬のコミュニケーション能力で、すでにすらすらと会話が続いている。

「ええ! そうなんですか。小宮さん、お目が高い」
「いえいえ! 実家で飲んでいただけです」
「すてきなご実家ですね?」
「あはは。でもその、一番お高い豆の味は興味がありますね」
「ふふ、ちょっと多めに淹れても、怒られませんよ? 小宮さんは二課のお仕事に巻き込まれた被害者ですし。給湯室ですこし休憩していってください」
「絢瀬さんからおさぼりの権利をいただけるなんて」

 意外に気さくな人だ。ますます悪いところがなくて、まいってしまった。

 一緒に給湯室へと向かって、コーヒーメーカーの準備をする。絢瀬が言っていた通り、高級そうな袋に入った豆だ。

「そういえば、絢瀬さん、お話したこともないのに、私の名前を覚えてくださっていたんですね」
「うん? ああ、勝手に知られていて驚かせました? ほら、可憐ちゃんと仲良しだし」
「あ、そうですよね。西谷さん、元気ですよ。この間もお電話しちゃいました」
「ふふふ、良かったです。……そういえば、可憐ちゃんといえば、小宮さん聞きました?」

 可憐の話をする絢瀬は、いつもの三倍目元がきらきらしている気がする。眩しくなって目を細めていれば、同じく眩しそうな顔をした絢瀬と目が合った。

「ほら、可憐ちゃんの好きな人のお話、知ってます?」
「あ、例の! ええ! まさか絢瀬さんもご存じですか?」

 可憐がまさか、私以外の人に、花岡との関係性に関する悩み事を相談しているとは知らなかった。思わず声が大きくなって、落ち着けるように小さく「ごめんなさい」と謝る。

「ふふふ、大丈夫です。もう、嬉しいですよね! 私も聞いたときには、感動しちゃって。でもほら、社内の人が相手だから、この感動を共有できる人もいなくて。もしかしたら、小宮さん、いや、間違いなく知っているだろうなあって。お話しできる機会を虎視眈々と」
「虎視眈々!」

 まさか、絢瀬から出たとは思えない言葉で目をまるくしてしまった。手を動かしつつ、絢瀬が私の表情を見て優しく笑ってくれる。

「可憐ちゃんもそうだけど、小宮さんも本当にかわいい」
「かわ……っ、絢瀬さんにそんなお世辞を言わせてしまうなんて」
「ええ? お世辞じゃないのに」

 くすくすと笑いながら、絢瀬が熱心に動き出したコーヒーメーカーを見下ろしている。

 上品な香りが漂ってくる。馴染みある優しい香りに、うっとりしてしまった。私の表情を見た絢瀬が、「コーヒーの香りが分かるなんて、小宮さんはすごい」とさらりと誉め言葉を渡してくる。

 思わず声に詰まってしまった。八城もそうだけれど、すてきな人は、皆他者を褒めるすべをよく知っている。

 こんなふうにさらりと誉め言葉を口に出せるようになれば、すこしは私も八城を動揺させることができるのかもしれない。

「小宮さん?」
「あ、いえ。コーヒー中毒なだけです」
「私もかなり飲むほうだけど、良し悪しは全くわからないんですよね。可憐ちゃんも味はばっちり分かるって言っていたし、育ちの良さかなあ」
「ええ? 絶対にそんなことはないですよ」
「そう? 可憐ちゃんを初めて見た時、育ちの良さそうな女の子だなあと思ったけど、小宮さんと2人で並んでいるのを見かけたときは、どこかのお嬢様? って本気で思っちゃった」

 可憐と会社で並んで歩けるようなことは数少なかった。それをまさか絢瀬に見られているとは思わなかった。

 意味もなく気恥ずかしい気持ちになって俯けば、絢瀬の涼やかな笑い声が響いた。

「総務一課はものすごく忙しいからって、可憐ちゃんが小宮さんのことを心配していました」
「西谷さんが……? そうですか。優しいですね。私はとっても元気ですって伝えておきます」

 可憐がすてきな先輩だと言うだけある女性だ。素直に、近づいてしまいたくなる魅力を持っている。

 優しい声で囁かれたら、安心して眠ってしまいそうだ。

 八城は、こういう落ち着きのある女性が好みなのだろうか。だとすると、いつも八城の前では狼狽えてばかりの自分は、まったくの恋愛対象外に違いなかった。きゅっと胸が苦しくなって、誤魔化すようにスティックシュガーとミルクをプレートの上に乗せる。

「小宮?」
「あ、花岡、くん?」

 給湯室の入口からひょっこりと頭を出して、花岡がこちらを見ている。私と同じく驚いた顔をしていた。ここにいることを不思議に思って首を傾げているうちに、花岡は躊躇いなく給湯室に足を踏み入れてくる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~

泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の 元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳  ×  敏腕だけど冷徹と噂されている 俺様部長 木沢彰吾34歳  ある朝、花梨が出社すると  異動の辞令が張り出されていた。  異動先は木沢部長率いる 〝ブランディング戦略部〟    なんでこんな時期に……  あまりの〝異例〟の辞令に  戸惑いを隠せない花梨。  しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!  花梨の前途多難な日々が、今始まる…… *** 元気いっぱい、はりきりガール花梨と ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

社内恋愛の絶対条件!"溺愛は退勤時間が過ぎてから"

桜井 響華
恋愛
派遣受付嬢をしている胡桃沢 和奏は、副社長専属秘書である相良 大貴に一目惚れをして勢い余って告白してしまうが、冷たくあしらわれる。諦めモードで日々過ごしていたが、チャンス到来───!?

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...