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STEP 4 「虎視眈々!」
しおりを挟む『15分後、社長室に4名来客がある。対応するように』
「児島ぶちょ……」
ほとんど、口を挟む隙もなく内線が途切れてしまった。
役員室への来客対応は、総務部一課ではなく二課の業務の範疇だ。児島がわざわざ私を指名してくる理由を考えて、すぐにやめた。
「すこし出てきます」
「はぁい」
考えている時間がもったいない。
児島はやれと言ったら、撤回しない人だ。彼が謝るところなど、見たこともない。常にシビアな目を持っている人で、特に無駄なことを嫌っている。言い訳や弁解は、児島にとっては無駄な問答だ。
社長室のある階まで足を動かしながら、エレベーターの前に立って、息を吐く。
可憐に八城について相談したのはいいものの、まったく良い案が浮かばずにお互い匙を投げてしまった。
絢瀬菫のような女性を目指してはどうかと二人で考えてみたりもしたけれど、そもそも、絢瀬が好意を持つ男性の前でどんなふうに行動しているのかが、想像できない。
可憐情報によると、絢瀬菫の彼はかなり彼女に貢いでいるらしい。貢ぎ癖があることを、絢瀬が心配していたと聞いた。
絢瀬菫とは、それほどまでに恋い焦がれてしまう魅力のある女性なのだろう。
「あ」
開かれたエレベーターのドアの先に、今ちょうど思い浮かべていた女性が立っている。考えなしに声をあげたら、絢瀬はこてりと首をかしげて「お疲れ様です」と微笑んでくれる。
「お疲れ様です」
「どちらへ?」
「はい……、社長室へ」
「はい」
エレベーターガールだろうかと思ってしまうほど丁寧に聞かれて、綺麗な指先がボタンを押すのを眺めていた。
「面談ですか?」
「あ、いえ。お茶出しを頼まれてしまって」
「あれ? お茶出しですか? 二課の仕事なのに」
「皆さんがお忙しいからですかね」
本当はただの嫌がらせだと知っているけれど、それを絢瀬に打ち明ける必要はない。一瞬、申し訳のなさそうな顔をした絢瀬が「引き継ぎますね」と笑ってくれた。
ふと、嗅いだことのない香水の匂いがして、呆然と見つめてしまった。
「引き継がないほうが、いいでしょうか?」
「あ、いえ。ありがとうございます。でもせっかく途中まで来てしまったので、お手伝いします」
「ふふ、ありがとうございます。じゃあ、コーヒーを淹れるところを一緒にどうですか」
「はい、もちろんです」
絢瀬は一見、顔貌のうつくしさのせいか、冷たい人のような印象を与えがちだが、その実ただ清らかで、やわらかい雰囲気を携えた人だ。
目が合えば、にっこりと微笑まれてしまった。八城の想い人と知っていても、劣等感を覚えられるような人ではない。ある意味、雲の上の人のようにも思える美人だ。
人見知りの可憐にも声をかけてくれた人だから、私としても勝手に恩を感じている。この人に八城が熱をあげたと聞いたときも、そうだろうなと納得してしまった。
あの時は、八城とも絢瀬とも距離が遠かったから、自分のこころの奥に潜んだ激情に気づかず、納得できたのかもしれないけれど。
「小宮さんは、コーヒー、お好きですか?」
「え?」
絢瀬に私の名前が知られていたことに、驚いてしまった。会話の内容よりも存在を認識されているらしいことに吃驚して、ぱちぱちと瞼を擦り合わせる。
「あんまり得意じゃないです?」
「あ、いえ。とっても好きです」
「よかった。実は役員用の豆があって、お高いものなんです」
「ええ? そうなんですか。知りませんでした」
「ふふ。社長のお知り合いのお店で毎回購入していて、このビルの隣の」
「ああ、わかります。私も実は、あそこのコーヒーが美味しくて、コーヒー中毒になってしまったくらいで」
八城が好きになるだけある人だ。絢瀬のコミュニケーション能力で、すでにすらすらと会話が続いている。
「ええ! そうなんですか。小宮さん、お目が高い」
「いえいえ! 実家で飲んでいただけです」
「すてきなご実家ですね?」
「あはは。でもその、一番お高い豆の味は興味がありますね」
「ふふ、ちょっと多めに淹れても、怒られませんよ? 小宮さんは二課のお仕事に巻き込まれた被害者ですし。給湯室ですこし休憩していってください」
「絢瀬さんからおさぼりの権利をいただけるなんて」
意外に気さくな人だ。ますます悪いところがなくて、まいってしまった。
一緒に給湯室へと向かって、コーヒーメーカーの準備をする。絢瀬が言っていた通り、高級そうな袋に入った豆だ。
「そういえば、絢瀬さん、お話したこともないのに、私の名前を覚えてくださっていたんですね」
「うん? ああ、勝手に知られていて驚かせました? ほら、可憐ちゃんと仲良しだし」
「あ、そうですよね。西谷さん、元気ですよ。この間もお電話しちゃいました」
「ふふふ、良かったです。……そういえば、可憐ちゃんといえば、小宮さん聞きました?」
可憐の話をする絢瀬は、いつもの三倍目元がきらきらしている気がする。眩しくなって目を細めていれば、同じく眩しそうな顔をした絢瀬と目が合った。
「ほら、可憐ちゃんの好きな人のお話、知ってます?」
「あ、例の! ええ! まさか絢瀬さんもご存じですか?」
可憐がまさか、私以外の人に、花岡との関係性に関する悩み事を相談しているとは知らなかった。思わず声が大きくなって、落ち着けるように小さく「ごめんなさい」と謝る。
「ふふふ、大丈夫です。もう、嬉しいですよね! 私も聞いたときには、感動しちゃって。でもほら、社内の人が相手だから、この感動を共有できる人もいなくて。もしかしたら、小宮さん、いや、間違いなく知っているだろうなあって。お話しできる機会を虎視眈々と」
「虎視眈々!」
まさか、絢瀬から出たとは思えない言葉で目をまるくしてしまった。手を動かしつつ、絢瀬が私の表情を見て優しく笑ってくれる。
「可憐ちゃんもそうだけど、小宮さんも本当にかわいい」
「かわ……っ、絢瀬さんにそんなお世辞を言わせてしまうなんて」
「ええ? お世辞じゃないのに」
くすくすと笑いながら、絢瀬が熱心に動き出したコーヒーメーカーを見下ろしている。
上品な香りが漂ってくる。馴染みある優しい香りに、うっとりしてしまった。私の表情を見た絢瀬が、「コーヒーの香りが分かるなんて、小宮さんはすごい」とさらりと誉め言葉を渡してくる。
思わず声に詰まってしまった。八城もそうだけれど、すてきな人は、皆他者を褒めるすべをよく知っている。
こんなふうにさらりと誉め言葉を口に出せるようになれば、すこしは私も八城を動揺させることができるのかもしれない。
「小宮さん?」
「あ、いえ。コーヒー中毒なだけです」
「私もかなり飲むほうだけど、良し悪しは全くわからないんですよね。可憐ちゃんも味はばっちり分かるって言っていたし、育ちの良さかなあ」
「ええ? 絶対にそんなことはないですよ」
「そう? 可憐ちゃんを初めて見た時、育ちの良さそうな女の子だなあと思ったけど、小宮さんと2人で並んでいるのを見かけたときは、どこかのお嬢様? って本気で思っちゃった」
可憐と会社で並んで歩けるようなことは数少なかった。それをまさか絢瀬に見られているとは思わなかった。
意味もなく気恥ずかしい気持ちになって俯けば、絢瀬の涼やかな笑い声が響いた。
「総務一課はものすごく忙しいからって、可憐ちゃんが小宮さんのことを心配していました」
「西谷さんが……? そうですか。優しいですね。私はとっても元気ですって伝えておきます」
可憐がすてきな先輩だと言うだけある女性だ。素直に、近づいてしまいたくなる魅力を持っている。
優しい声で囁かれたら、安心して眠ってしまいそうだ。
八城は、こういう落ち着きのある女性が好みなのだろうか。だとすると、いつも八城の前では狼狽えてばかりの自分は、まったくの恋愛対象外に違いなかった。きゅっと胸が苦しくなって、誤魔化すようにスティックシュガーとミルクをプレートの上に乗せる。
「小宮?」
「あ、花岡、くん?」
給湯室の入口からひょっこりと頭を出して、花岡がこちらを見ている。私と同じく驚いた顔をしていた。ここにいることを不思議に思って首を傾げているうちに、花岡は躊躇いなく給湯室に足を踏み入れてくる。
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