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おさとうじゅっさじ
1.
しおりを挟む呆れのような、疲れのような表情を作っている。
「お前、どうすんだよ」
ため息を落として、ちらちらと送られてくる視線を振り返って、もう一度私のほうを見つめてくる。
金曜日、いつも通りのランチタイムのためにエントランスへと降りてきたら、不機嫌を隠しもしない壮亮と目が合った。
ずんずんと近づいてきて、がっちりと腕を掴まれてしまった。
そのまま連行されてすこし遠いファミレスのボックス席に向き合って座ったのはいいのだけれど、すこし経ったあたりから、会社の社員さんたちがちょこちょこ現れてはこちらを見つめてくる。
「どう、とは」
「この視線だよ」
「やっぱり、噂になってるの?」
渡総務部長は、結局あの日人事部に引きずられるように会社を出て行ったらしい。そのときに大きな声で私と遼雅さんが結婚していることを半狂乱になりながら騒いでいたようだ。
そのおかげか、かなりの社員さんにじろじろと見つめられるようになってしまった。
暗黙の了解として、夫婦は隣接する業務につかないことになっていることをどの社員も知っている。
「そりゃもう。どっちも顔割れてるし」
「割れてる? 遼雅さん、かっこいいもんね」
「……ツッコミ待ちか?」
「あっ……、ええと、ブスなのに、秘書してるから、目立ってる……?」
「……いや、もういい」
また呆れられてしまった。
今日も壮亮が頼んでくれたビーフシチューオムライスを頬張りながら、ここへ来るまでの遼雅さんの恨めしい視線を思い返して苦笑してしまう。
『今日は、そうくん、ですか』
『そう、ですね。お弁当、食べてくださいね』
『じゃあ、俺が満足するまでキスしていい?』
『……だめ、です』
『困った顔もかわいいから、本当にまいる』
『もう、行かないと』
『……危ないことがあったら、絶対連絡してください』
『わかってます』
『飛んでいきます』
押し問答をして、結局部屋を出るまえに、軽いキスをされてしまった。
口紅を塗りなおしたばかりだったから、薄っすらと遼雅さんの唇についてしまった。
『あ……、遼雅さん、口紅が』
『ついた?』
『ティッシュ……』
『残しておいてもいいですよ』
『だめです! 使ってください』
『あはは、慌ててかわいい』
『もう!』
『柚葉さんが、拭ってください』
屈んだ遼雅さんの綺麗な唇をやさしく拭っているところを、真正面から観察されていた。
ぱっと手を離してみれば「柚葉さんは塗りなおさないで行ってください」と囁かれて、今度こそ拒否できずに頷いてしまった。
ひどく剥がれてはいないのだろうけれど、まるで忘れないでほしいと言わんばかりの視線に頬があつくなる。
『行ってらっしゃい。待ってますね』
『は、い』
出てくるまでの時間はほんの5分だったのに、遼雅さんのねつが唇に燃え広がったまま、滞留して消えてくれない。
「柚」
「うん?」
「くち」
「えっ!? なんでわかるの?」
「はあ? 全然食べてねえくらい見てりゃわかるだろ? あほか?」
「あ、え? 何の話?」
「いや、だから飯全然進んでねえけどって言ってんだろ」
とんだ勘違いだ。
離れていても遼雅さんのことばかりを考えてしまっている。苦笑して、大きなひと掬いを口の中へと運んだ。
「――あれ、あの女の子、専務の……」
遠くから聞こえてくる声に、肩がぴくりと上ずってしまった。思った以上に気づかれてしまっているらしい。
遼雅さんは開き直ってしまったのか、家を出るたびに私が結婚指輪を外すのを見て、すこし拗ねたような表情を作るようになってしまった。
正直に公表してしまったら、遼雅さんは次のお嫁さんを探せなくなってしまうだろうし、私としては、遼雅さんの近くで働けなくなってしまうのが、すごく、嫌だ。
だから知らんぷりをして置いていくのに、最近は、「外すの?」と聞かれるようになってしまった。
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