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おさとうはちさじ
6.
しおりを挟む「もう、からかわないでください」
「いつも本気だよ」
あつい瞳だ。もう、ずっとここにいたくなってしまいそうで目が眩んだ。ちらりと時計を見ようとしたら、あたたかい指先に視界を覆われてしまう。
「遼雅さん?」
「時間が止まればいいのにな」
まるで、離れがたい人を引き留めるような言葉だ。
あまい砂糖菓子のような熱が胸に詰まって、声が滞ってしまった。ずっとそばにいると言いたくなってしまうから、本当に、恋はずるい。
「……やっぱり、あまやかしのプロです」
「ただきみを、手放したくないだけ」
「ああ、もう、……ずるい」
そんなふうに言われたら、いくらなんでも勘違いしてしまいそうだ。
瞼に触れている手首に触って、名前を呼んでみる。
「りょうが、さん」
たったそれだけであっさりと剥がれた拘束のさきで、遼雅さんがすこし困ったような、柔らかい目で私を見つめてくれていた。
あまい人、やさしい人。私の大好きな人。
「行っちゃいますか」
「うう、行ってほしく、ないんですか?」
まるでやきもちを妬く子どもみたいだ。
思い当たって、急に胸が苦しくなってくる。それすらも遼雅さんのあまやかしだとしたら、もう、勘違いしておかしなことをしでかしてしまいそうだ。
ちらりと見上げる先にいる遼雅さんが、私の問いかけに苦笑してしまった。
たっぷりと時間を置いて、やわい笑みを浮かべた人がゆっくりと囁いてくれる。
「そう見えるなら、そうなのかもね」
「どういう……」
「行っても良いから、その代わり、約束してください」
「なにを、ですか?」
「朝食から、柚葉さんの料理を食べられるのはすごくうれしいです。でも、起きてすぐに柚葉さんにキスできないのは嫌だから、ベッドで俺も起こしてほしい」
「ええ? でも」
「ゆっくり支度するよ。かわいい奥さんのこと盗み見ながら」
「盗み見って」
「……時間、たくさん奪ってしまいました。峯田さんが心配するといけないから、そろそろ行っておいで」
やさしい言葉で背中を押されてしまう。抱きしめられていた腕が簡単に離れて、熱がほどける。
「いってき、ます」
「――必ず帰ってきてね」
好かれていると勘違いしそうだ。
* * *
「おせえ」
「ごめん」
「ったくのろまが」
すぐに出るはずが、結局30分も待ち合わせ時間を過ぎてしまっていた。
もちろん壮亮からは鬼のような連絡が入っていて、慌ててエントランスに降りてきたところだ。悪態をつきながらもゆっくりと歩き出してくれる。
「また忙しいのか」
「あ、ううん。大丈夫」
「あ? 今日はどうした」
「今日は……、ちょっと話し込んでしまって」
「あ?」
あまり深く聞かないでほしい。
ちょっとね、と笑って見せたら、聞かれたくないらしいことを察した壮亮に頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。
「時間ねえし、定食で良いか?」
「うん、あ、そうくん、この間のプリンのお礼」
「あー、別にいらねえって」
いらないと言いつつ、しっかりと手が握ってくれている。
お菓子作りをしたらいつも姉が喜んでくれた記憶がある。あんまりにもうれしくて、それが趣味になってしまった。
高校の時にはよく壮亮に食べてもらっていた。そのころから、壮亮には、お返しやお礼にお菓子をせがまれるようになったことを覚えている。
会社のすぐ近くの定食屋に入って、指定された席に座り込んだ。目の前に座る壮亮は今日も不機嫌そうな顔をしているのに、あまり不快な気分にさせてこないから不思議だと思う。
「んだよ」
「ううん。この間はありがとう。あの件は、結局」
「ああ、あいつがいろいろ動いてんだろ」
「あ、もう知ってた?」
話しながら、壮亮が有無を言わせずランチのAセットを二つ注文している。いつも勝手に頼まれるから慣れてしまった。
遼雅さんとのデートの時に、食べたいものを聞かれてひどく狼狽えてしまったくらいだ。
「俺も近々顧問弁護士交えて事情聴かれるっぽい」
「え、そうなの? 私は全然、されてないなあ」
「されてないなあ、じゃねーよ。なんだその顔」
「おどろいた顔……?」
「あー? 上目遣いすんなボケ! 危機管理ガバガバかよクソ」
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