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おさとうななさじ

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すこしだけ残務を整理するからと言われて、結局私がさきに、定時に上がることになった。

せっかくの金曜日だ。土日の分も含めて買い物をしようとスーパーに入ったところで、ポケットに押し込んでいた携帯が鳴ってしまう。

一度遼雅さんからの連絡を見落としたところから、なるべく肌身離さずに持つことを心がけている。

画面には、想像していた通りの人の名前が浮かんでいた。特にためらわずに耳にあてれば、すこし前まで聞いていた声が耳殻に触れる。


『柚葉さん?』

「はい、どうしましたか?」

『今、どこですか?』

「あ、今スーパーにお買い物に」

『あ、そうですか。おどろいた。帰ってきたら、きみが居ないから』

「ええ? もう着いたんですか?」


遼雅さんの言うすこしだけは、本当にすこしだけだったらしい。一時間はかかるだろうと思い込んでしまっていた。


『迎えに行きますよ。前に行ったところですか』

「あ、はい。でも大丈夫ですよ? ゆっくりお休みしてても……」

『行きます。荷物持ちくらいには、なりますよ』

「ふふ」


会社の専務から、「荷物持ちくらいには」と言われる日が来るとは思わなかった。

野菜をかごに入れながら笑っていれば「信じてない?」と電話口の人も、笑ってくれているようだ。


「じゃあ、お迎え、お願いしてもいいですか?」

『それはもちろん。光栄です』

「ふふ、じゃあ、待っています」

『すぐに行きます。それまでに何かがあったら、すぐに連絡すること。いいですか?』

「はい。承知しました」


途切れた携帯をコートのポケットに押し込んで、カートを押していく。

かごの半分ほどが埋まったところで、後ろから優雅な足音が聞こえた気がした。

振り返って、まっすぐにこちらに歩いてきてくれている男性と目が合う。思った通り、我が旦那さんだ。


「柚葉さん、疲れているのに、ありがとう」


出会い頭に、微笑みながら感謝を述べられることも、なかなか無いような気がする。

流れるような仕草でカートに触れられて、思わず押していた手を離してしまった。


「俺が押します」

「……遼雅さんのほうが、お疲れですよ?」

「目利きはお任せします」

「わかりました。任せてください」


一度家に帰ったはずなのに、会社から出たときと同じ格好で駆けつけてくれたらしい。

よほど急いでくれたのだろう。やさしい事実に胸が温かくなってくる。己の感情を自覚すると、あからさまにいいところがたくさん見つかってしまうから厄介だ。


「遼雅さん、一週間お疲れさまでした」

「ありがとう。柚葉さんも。疲れてただろうに、俺の世話までさせてしまっていましたね。反省してます」

「ええ? お世話なんてしてませんよ」

「きみはあまやかすのが得意だから、つい俺も調子に乗るよ」


一度も言われたことのない言葉で、目をまるくしてしまった。

実家でもめいっぱいに愛情をもらって、あまくあまく、育ててもらっていたと思う。姉とも年齢も離れていたから、あまやかしてくれる人は多かった。


「……遼雅さんのほうが、さすが、あまやかしのプロだなと感じていますけど」

「そう? 俺はもうすこし、柚葉さんをあまやかしたいです」

「まだ先があるんですか」

「はは、ずっと先まで、あるだろうね」


恐ろしいことを聞いてしまった。もう一度目をまるくしたら、ちらりとこちらを確認した遼雅さんがいっそう楽しそうに笑っていた。


「おどろく顔も、かわいいね。俺がくるまでに攫われなくてよかった」

「それはかなり、おおげさですよ」


どこまで本気か、見極められない。


「遼雅さんは、今日のご飯は何が良いですか?」

「うーん、そうだな。柚葉さんの料理は全部好きだけど……。うん、今日は簡単にできるものが良い」

「簡単にできるもの、ですか?」

「たまに一緒に作ろうか」
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