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おさとうろくさじ
7.
しおりを挟む渡総務部長から渡されていた仕事のすべてを取り上げられたら、私に残っているタスクはほとんど橘専務の補佐業務になる。
そもそも自分のことは自分ですることを徹底している橘専務からは、そこまで多くの仕事が回ってくることはない。
青木先輩にも仕事は多いけれど、橘専務の来客が長引く時以外はそこまで残業の多くない部署だと聞いていたことを思い出してしまった。
どうやら私の仕事の能力は、そこまでのろまでもないらしい。
橘専務にばっさりと言われたからか、気を張っていた肩の力がふっと抜けたような感覚だ。
いつも流れるように行っていた作業を丁寧にこなして、それでもすこし時間に余裕が出てしまった。
橘専務からはほとんど必要がないと言われているお茶出しでもしようかと思いついて、給湯室へと足を向けた。
ただ、会うための口実を作っているような気がする。
自分がひどく悪い人間のような気がしてしまうから、それ以上考え込むことをやめた。
コーヒーはブラック。
あんなにもあまい人なのに、自分自身ではあまいものはそんなに好んでいないと言っていた。
家で仕入れた情報を職場に生かしてしまっていると気づいたときには、すでに専務の役員室をノックしてしまっていた。
「はい」
「……佐藤です」
「どうぞ」
いつもと同じく、やさしい音程で許可されてしまった。
今更引っ込みもつかない。
ドアを開いて足を踏み入れれば、今日も橘専務がまっすぐに顔をあげてくれる。
「うん? 何か問題がありましたか?」
「あ、いえ。……すこし時間ができたので、たまにコーヒーでもいかがかと」
今自分の内情で起こった通りに告げたくせに、すこし言い訳がましい。
気恥ずかしくなって俯いたら、ややしばらくしてから専務が「ありがとう。うれしいです」と声をかけてくれた。
デスクに近づけば、広げていた書類を横に整頓した専務が眼鏡を外そうとしているのが見える。
すこし休憩するつもりになったらしい。息抜きになるならよかった。功を奏したことを確信して、橘専務の右手前に、そっとカップを置いた。
専務が横に置いた資料がちらりと視界に入ってくる。それはたしかに私に送られてきていた渡総務部長からの業務メールだ。
“今日中に”という文字に下線が引かれている。すでに動いてくれているらしいことに気づいて、視線が固まってしまった。
当然、聡い人が気づかないわけもない。
「柚葉さん、すこし……、10分だけ休憩にしませんか」
そうやって笑うところは、すごく悪い人だと思う。
「たち、」
最後まで発音する前に、腕を引かれて倒れ込んでしまった。
以前された時と同じように引き込まれて、遼雅さんの軽く開かれた両足に跨るように座らされてしまう。
フレアスカートの裾が持ち上がって、反射のように両手で押さえた。片手に持っていたお盆が、音を立てて地面に転がる。
「柚葉さん」
「お仕事ちゅ、う」
指先が背骨のラインをなぞる。途中で下着に引っかかって、解くように引っ掻かれては抗議の手で腕を掴む。
「せんむ……っ」
「役職で呼ばれると、悪いことをしている感じがしますね」
「っわるいこと、してま、す」
「あはは、だってかわいい奥さんが、せっかく来てくれたのに」
熱心にホックで遊んでいた指が急にうなじに回って、コントロールされた力で、遼雅さんの顔に引き寄せられる。
「せん、」
すこし強引な口づけだったような気がした。
声を聞かずに遮って、蹂躙するように舌を潜り込まされる。
誰かが来る可能性もある。
冷静になりたいのに、太ももを片手で撫でられたら思考が飛び散った。
「せ、」
「名前で呼んでほしい」
呼んだら、私の中のスイッチも家のものになってしまうことがわかっているのだろうか。
気づいているのに、抗えずに解放された唇が開く。
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