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おさとうよんさじ
5.
しおりを挟む瞼の裏に、遼雅さんの笑顔が刻み付けられている。
たった三か月の婚姻。されどもう三か月だ。
当たり前に二人でいることに慣れてしまった自分がいた。
秘書の仕事も、家庭のことも、遼雅さんこともすべてが満ち足りている。こわいものなんてどこにもないような生活だ。
それが、自分の感情一つでくずれてしまうと思うと、言い知れない恐怖が背筋に触れているような気がした。
ひどく落ち着かない。
そわそわと歩き回ってしまっている自分に気づいて、無理矢理にソファに座った。テーブルの上に、無造作に私と遼雅さんの携帯が置いてある。
そのうち、盗み見てしまいたく、なるのだろうか?
すこし考えてみるだけでぞっとしてしまった。
遼雅さんのすべてを掌握しようとするなんて、あまりにも傲慢だ。
思ってはいても、結局遼雅さんに恋に落ちてしまったとき、他の誰かと同じようにそれをしたくなってしまうのかもしれない。
遼雅さんのお風呂はそこまで長くはない。
落ち着きなくテレビの電源を入れたら、ぱっと華やいだ光景とともに、あかるい音が鳴り始めた。
一つ息をついて、同時に遠くから、扉を開く音が聞こえてしまった。
反射的に体がぴくりと震えかける。
もう、戻ってきたらしい。
何一つ言葉を考えられないまま、足音が迫ってくる。
いつものペースより、少し早い。けれど、ゆったりとした綺麗な音のような気がする。
どういう振る舞いをすればいいのかもわからず俯いて、横から節くれた指先が伸びてくる。影はすっぽりと私の姿を消して、遼雅さんの手が、私の手に握られているリモコンに触れた。
ぷつん、と音を鳴らして、テレビの電源が切られてしまう。
付けられていた時間はほんの1分にも満たなかっただろう。
「りょう……」
「テレビはおしまい」
湿った匂いがしていた。
髪を乾かさずに出てきたのだろう。
いつもそうだ。おそるおそる振り向いて、同じように私を見つめていた瞳と視線が絡んだ。
「髪、ちゃんと乾かし……」
「すぐに乾くから、大丈夫」
いつも同じように、今日も遼雅さんは取り合ってくれないらしい。
近づく距離で、ばくばくと音を立てる心臓のありかに気づかれてしまいそうだ。
初めの日のように、それ以上にやさしい指先で、そっと抱き起される。
膝の裏に手を入れて、横抱きした人が笑ったまま、私の体を持ち上げてしまった。
「おもいですから、やめてください」
「重くないよ。柚葉さんは羽根でもついてる?」
「な、にを」
「そうだとしたら、飛んで行かないでね」
「りょう、」
あまく開かれている扉を手で押して、あっけなく寝室のベッドにおろされる。
丁寧な指先でベッドランプにひかりを灯した人が、確かめるように肩甲骨に触れた。
「羽根はここかな?」
「あ、くすぐった、い」
「それともここ?」
くつくつと笑って、服の上からあちこちに触れてくる。
いたずらを仕掛ける子どもみたいに問いかけて、至る所をくすぐりながら「俺みたいな男には見えないのかなあ」とふざけて見せていた。
「もう、りょうが、さん」
「うん?」
わるい手を両方とも掴んで睨んでみれば、このうえなくうれしそうな顔をする人と目が合って、言葉が出てこなくなってしまった。
狼狽えているうちに、あまい笑みを浮かべた唇をよせられる。
かわいらしく音を鳴らして、至近距離で囁かれてしまった。
「柚葉」
その名前に、一番の価値があるとでも言ってしまいそうな丁寧な発音だ。
背筋に痺れて、息が止まりかける。
「もう一回、していいかな」
ふ、と笑って、答えられない私の唇にもう一度熱を移してくれる。
今度は軽く触れあうだけではなく、啄むように食んで、下唇を甘噛みされる。
「ん、」
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