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おさとうよんさじ
4.
しおりを挟む丁寧で熱心な口づけに、顔があげられなくなる。
今、たぶん、すごく、はずかしい顔をしている。
見せたくなくて俯いていたら、耳元にあつい声が囁き落とされた。
「柚葉」
「な、んですか」
「朝の約束、覚えてくれてる?」
『じゃあ、今夜はいいんですか?』
覚えていなかったとしても、思い出させるつもりだと感じてしまうくらいの熱だった。
俯いた顔にやさしく触れられた。曖昧な力で、遼雅さんのほうを振り向かされる。逆らうことも忘れて振り向いて、すぐ近くできらめく瞳に、用意していたすべての言葉が、くだけてしまった。
「りょう、」
「はやくきみを、食べてしまいたい」
逸らさせる気のない人が、まっすぐに見つめて、予告することなく私の唇を食んだ。
まるで今すぐに有言実行してしまいそうな熱に触れて、指先からプレートを落としかける。それすら遼雅さんの片手が軽く持ち上げて、ゆっくりとシンクの上に戻してしまった。
考える隙を与えない。こうなると、もう全部が遼雅さんのものだ。
どこから出ているのかわからないような、正体不明の甘ったるい声が自分の喉から掠れて響く。
急激に恥ずかしくなるのに、泡だらけの手に遼雅さんの指先が絡んだら、もう、羞恥心すらも手放してしまった。
「っん、りょ、……っ」
「約束、してくれたの、忘れましたか?」
「わ、すれて、ない」
「じゃあ、もらってもいい?」
誑かすような音で、今にも倒れそうな私の耳に囁く。
気まずい雰囲気なんてばらばらに散らばって、ただ、あつい瞳の人だけが目の前にある。
絶対にそらせない。
絶対に、好きになってしまう。
「ゆずは」
「ん、わか、わかりました、から」
「うん?」
視界の端に見える遼雅さんの手が、泡だらけになっている。それが自分の手に絡んでいたものだと思うと、ひどく悪いことをしているような気分で、落ち着かなくなった。
おちつかない。
胸に響いて、燃え広がるような熱だ。どこへも逃げ出してくれなくて、体の中心に打ち込まれている。
「おふろ、はいってきて、ください」
一時休戦を申し込むように言えば、遼雅さんが耳元で小さく笑っていた。
たぶん、休戦なんかじゃなくて、うまく引き込まれてしまったのだと思う。わかっていても、どうしようもなくなってしまう。
交渉のプロに勝てるはずもない。
さっきまでの切なさなんて感じさせない満足そうな人が、最後にもう一度唇にキスを落として、音を立てて離れる。
「かわいい、俺の奥さん」
「や、めてくださ……い」
「あまやかしたくて、たまらなくなる」
どろどろだ。もう、とけてしまいそうだ。どこまでもあまくて、あつくて、たまらない。
「りょうがさ……」
「急いで戻ってきます」
楽しそうに笑って、やわく髪を撫でる。すり抜けかけた毛先に唇をよせて、ねだるように首を傾げている。
「待っててください」
断ることなんて、できたためしがない。
何度考えても、どうして遼雅さんが私の身体に触れてくれるのか、わからない。
プロポーズの翌日、目が覚めた時に「温まりましたか」と聞かれたことを覚えているから、もしかすると、抱きしめてほしいという言葉をそういう表現として捉えられてしまったのではないかと思い至っていた。
ずるずると関係をつづけて、言い出すこともできずに週に何度か誘われるまま、おぼれてしまっている。
自分自身が情けなく感じて、洗いかけのお皿を水で流しながら、ため息が漏れてしまった。
触れるたびに細胞の一つひとつが歓喜している気がする。
おかしい表現だと思うけれど、遼雅さんに触れられると、他のことなんて何一つ考えられない。
考え事は寝室の宙に浮いて、空中分解を起こしてしまうのだ。
遼雅さんだけになってしまう。
依存するあさましい人間にはなりたくない。
殴られたときの恐怖は忘れていないし、遼雅さんがどれだけ苦労していたのかも知っている。
私がほかの女性と違う、精神力の強い人間だなんてすこしも思ってはいないけれど、遼雅さんに会社で携帯を差し出されかけた時、心から、やってはいけないと思えたことに心底安堵している自分がいた。
この結婚の終わりは、たぶん近い。
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