あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子

文字の大きさ
上 下
28 / 88
おさとうよんさじ

4.

しおりを挟む

丁寧で熱心な口づけに、顔があげられなくなる。

今、たぶん、すごく、はずかしい顔をしている。

見せたくなくて俯いていたら、耳元にあつい声が囁き落とされた。


「柚葉」

「な、んですか」

「朝の約束、覚えてくれてる?」


『じゃあ、今夜はいいんですか?』


覚えていなかったとしても、思い出させるつもりだと感じてしまうくらいの熱だった。

俯いた顔にやさしく触れられた。曖昧な力で、遼雅さんのほうを振り向かされる。逆らうことも忘れて振り向いて、すぐ近くできらめく瞳に、用意していたすべての言葉が、くだけてしまった。


「りょう、」

「はやくきみを、食べてしまいたい」


逸らさせる気のない人が、まっすぐに見つめて、予告することなく私の唇を食んだ。

まるで今すぐに有言実行してしまいそうな熱に触れて、指先からプレートを落としかける。それすら遼雅さんの片手が軽く持ち上げて、ゆっくりとシンクの上に戻してしまった。

考える隙を与えない。こうなると、もう全部が遼雅さんのものだ。

どこから出ているのかわからないような、正体不明の甘ったるい声が自分の喉から掠れて響く。

急激に恥ずかしくなるのに、泡だらけの手に遼雅さんの指先が絡んだら、もう、羞恥心すらも手放してしまった。



「っん、りょ、……っ」

「約束、してくれたの、忘れましたか?」

「わ、すれて、ない」

「じゃあ、もらってもいい?」


誑かすような音で、今にも倒れそうな私の耳に囁く。

気まずい雰囲気なんてばらばらに散らばって、ただ、あつい瞳の人だけが目の前にある。

絶対にそらせない。


絶対に、好きになってしまう。


「ゆずは」

「ん、わか、わかりました、から」

「うん?」


視界の端に見える遼雅さんの手が、泡だらけになっている。それが自分の手に絡んでいたものだと思うと、ひどく悪いことをしているような気分で、落ち着かなくなった。

おちつかない。

胸に響いて、燃え広がるような熱だ。どこへも逃げ出してくれなくて、体の中心に打ち込まれている。


「おふろ、はいってきて、ください」


一時休戦を申し込むように言えば、遼雅さんが耳元で小さく笑っていた。

たぶん、休戦なんかじゃなくて、うまく引き込まれてしまったのだと思う。わかっていても、どうしようもなくなってしまう。

交渉のプロに勝てるはずもない。

さっきまでの切なさなんて感じさせない満足そうな人が、最後にもう一度唇にキスを落として、音を立てて離れる。


「かわいい、俺の奥さん」

「や、めてくださ……い」

「あまやかしたくて、たまらなくなる」


どろどろだ。もう、とけてしまいそうだ。どこまでもあまくて、あつくて、たまらない。


「りょうがさ……」

「急いで戻ってきます」


楽しそうに笑って、やわく髪を撫でる。すり抜けかけた毛先に唇をよせて、ねだるように首を傾げている。


「待っててください」


断ることなんて、できたためしがない。


何度考えても、どうして遼雅さんが私の身体に触れてくれるのか、わからない。

プロポーズの翌日、目が覚めた時に「温まりましたか」と聞かれたことを覚えているから、もしかすると、抱きしめてほしいという言葉をそういう表現として捉えられてしまったのではないかと思い至っていた。

ずるずると関係をつづけて、言い出すこともできずに週に何度か誘われるまま、おぼれてしまっている。

自分自身が情けなく感じて、洗いかけのお皿を水で流しながら、ため息が漏れてしまった。

触れるたびに細胞の一つひとつが歓喜している気がする。

おかしい表現だと思うけれど、遼雅さんに触れられると、他のことなんて何一つ考えられない。


考え事は寝室の宙に浮いて、空中分解を起こしてしまうのだ。

遼雅さんだけになってしまう。


依存するあさましい人間にはなりたくない。

殴られたときの恐怖は忘れていないし、遼雅さんがどれだけ苦労していたのかも知っている。

私がほかの女性と違う、精神力の強い人間だなんてすこしも思ってはいないけれど、遼雅さんに会社で携帯を差し出されかけた時、心から、やってはいけないと思えたことに心底安堵している自分がいた。

この結婚の終わりは、たぶん近い。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい愛に包まれて~イケメンとの同居生活はドキドキの連続です~

けいこ
恋愛
人生に疲れ、自暴自棄になり、私はいろんなことから逃げていた。 してはいけないことをしてしまった自分を恥ながらも、この関係を断ち切れないままでいた。 そんな私に、ひょんなことから同居生活を始めた個性的なイケメン男子達が、それぞれに甘く優しく、大人の女の恋心をくすぐるような言葉をかけてくる… ピアノが得意で大企業の御曹司、山崎祥太君、24歳。 有名大学に通い医師を目指してる、神田文都君、23歳。 美大生で画家志望の、望月颯君、21歳。 真っ直ぐで素直なみんなとの関わりの中で、ひどく冷め切った心が、ゆっくり溶けていくのがわかった。 家族、同居の女子達ともいろいろあって、大きく揺れ動く気持ちに戸惑いを隠せない。 こんな私でもやり直せるの? 幸せを願っても…いいの? 動き出す私の未来には、いったい何が待ち受けているの?

Re_Love 〜婚約破棄した元彼と〜

鳴宮鶉子
恋愛
Re_Love 〜婚約破棄した元彼と〜

幼馴染以上恋人未満 〜お試し交際始めてみました〜

鳴宮鶉子
恋愛
婚約破棄され傷心してる理愛の前に現れたハイスペックな幼馴染。『俺とお試し交際してみないか?』

御曹司とお試し結婚 〜3ヶ月後に離婚します!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
御曹司とお試し結婚 〜3ヶ月後に離婚します!!〜

Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

鳴宮鶉子
恋愛
Princess story 〜御曹司とは付き合いません〜

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

史上最強最低男からの求愛〜今更貴方とはやり直せません!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
中高一貫校時代に愛し合ってた仲だけど、大学時代に史上最強最低な別れ方をし、わたしを男嫌いにした相手と復縁できますか?

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

処理中です...