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おさとうみさじ
4.
しおりを挟む「……それは、光栄なことだけど」
「依存まで行ってしまったら、大変ですね」
可愛いなんて面と向かってあっさりと言ってしまう人だ。きっとどこまでも優しくされて、手放しがたくなってしまうのだろう。
ふいに思いついて、悩ましい表情を作っている人の目を見据えた。
「橘さん」
「うん?」
「橘さんのこと、すこしも意識していないような女性と結婚されたら、いいんじゃないでしょうか?」
我ながらいいアイデアだと思った。
私の声に、橘さんが目を丸くして、立ち尽くしてしまった。水族館で話すような作戦会議ではない。けれど、妙案だと思いついて勝手にうれしくなってしまう。
「ふふ、どうですか?」
この上なく上機嫌で、自分の頬が笑っていることには気づかなかった。私の表情を見た橘さんがますます目を丸くして、またふっと顔をそらしてしまった。
「橘さん?」
「うん、いい提案だね」
「本当ですか? よかったです。私とは、そうですね。会長の気が済むまではこうしておしゃべりして」
「うん」
「橘さんの理想に合うような女性を考えるのは、どうですか?」
二度目のデートで、私はそのように告げたはずだ。
「あの、橘さん?」
「柚葉さん」
それがどうして、こうなったのか。
三度目のデートは、いかにも高級そうなフレンチのお店で、ディナーを楽しむことになっていた。
内容ばかりが素敵なデートで、私たちの間柄は、上司と部下からちょっとした知り合いに変わったくらいだと認識していた。
「ええと、今なんて?」
「うん、柚葉さんの、結婚相手への条件を教えてほしいなと思って」
綺麗に並べられたカラトリーを、ひっかけて落としそうになった。
動揺なんてものではない。
一度目は申し訳なさそうで、二度目には困った顔をしていた。三度目に会った橘さんは、なぜかどこまでもやさしい瞳で私のことを見つめている。
丸いテーブルなのに、席は隣だ。目の前は一面ガラス張りになっていて、高層からの夜景がばっちり視界に入ってくる。
「条件……、ですか?」
「うん、先に聞いておきたいんだ」
先に、とはどういうことだろう。話についていけない。
とにかくおかしなことになっていることだけはわかって、必死に打開策を探っていた。
何となく、橘さんが考えていることがわかってしまう。悲しいことに、先日提案した私のアイデアを受け入れると、この結末になってしまう可能性があることに気づいてしまった。
橘さんは、私が自分に好意を持たないことを確信しているのだろうか。
「柚葉さん、教えてくれませんか?」
「う、」
その瞳に弱い。
橘さんが思う以上に私の心臓はうるさく鼓動し続けているし、橘さんの纏う匂いは、かなり好きだ。たぶん、抱きしめられたらぐっすり眠れてしまうだろう。
嫌いになる理由がなくて、焦っている。
「ええと、抱きしめてくれる人、でしょうか」
「……そんなに簡単なことですか?」
婉曲表現にしすぎたと思う。もう一度口を開いて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「温かい人が良いです」
「温かい?」
「はい、その、抱きしめて眠ってほしいんです」
半分やけくそになって言い切ってから、グラスに注がれていたワインを呑み込んだ。
これ以上一緒にいれば、ころっと橘さんを好きになってしまうだろうし、契約結婚の相手に選ばれたら地獄を見ると思う。
依存体質ではないけれど、ここで見切りをつけられたほうがいい。すこし痛む胸を無視して俯いた。
そのはずなのに、太ももの上でぎゅっと握っていた指先に大きな手が重ねられて、思わず顔が持ち上がってしまった。
「柚葉さん」
「は、い」
「俺と契約結婚、してくれませんか?」
やっぱり、よりも驚きが勝った。
びっくりしすぎて、固まってしまっていたはずだと思う。それなのに、橘さんは気にすることなく笑って「だめですか?」と首をかしげてきていた。
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