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 フェルナンドは国王陛下から彼自身だけでなく私も招へいを受けたと聞くとしばらく私の体調を気にして、朝のうちに三度は「今日はやっぱりお断りしよう」とつぶやいていた。だが、国王陛下の命に応じないわけにはいかない。


「あなたをもう二度とこの城に連れ出さないと誓ったのに……」
「フェル、聞こえてしまうわ」

 結局早々に外出の準備を整えさせられた私たちは、アレクの笑顔に見送られて王城へと足を踏み入れた。フェルナンドにとっては三日に一度は来る場所だろうが、私はフェルナンドとの婚姻を国王に命じられた日以来、初めて足を踏み入れることとなった。

 フェルナンドはいつものとおりにこやかな笑みを浮かべているが、彼がこっそりと私に囁くのは実に彼らしからぬ言葉だ。人に聞かれてはよくない言葉だが、それをわかっていても口にしたくなるほど、フェルナンドは私への誓いを重んじてくれているのだろう。

「でもフェル、私があの方とはお会いしないよう、陛下にお願いしてくださったのでしょう?」
「……それは、……ただ私がしたかっただけのことだよ」

 フェルナンドは私が召し替えをしている間に、王城からやってきた使者に「兄と顔を合わせることのない用件であれば、妻を同伴する」などという言伝を頼み、あっさりと陛下から許可をいただいたらしい。

「ユフィ、……今日は謁見を済ませてすぐに帰ろう」
「ええ、わかっているわ」

 フェルナンドは一刻もはやく邸に帰って、私を寝かしつける気だろう。大げさな夫の対応に呆れつつ、安心させるようにゆっくりとうなずいた。

 第一王子ディアドレの婚約式と婚姻式の日が迫っている。婚約式については一週間後に開かれるのだ。

 陛下が今日、表舞台から遠ざけていた私たちを公式に呼んだということは、間違いなくこの行事についての話があるのだろう。

 もしくはその後、フェルナンドが王室を離脱する際に陛下から賜る爵位についての説明がなされるのかもしれない。――とその時の私は事態を軽く捉えていた。


「おお、ユゼフィーナ、きおったか。そなたにしか託せぬ願いがあるのだ。ディアドレが聖女ミリアとの婚姻を結んだ後、そなたにはミリアの侍女としてこの城にとどまってほしい」

 王座でにこやかに笑う陛下は、たくわえた髭をなでつつゆったりと声にあげた。私とフェルナンドは初めて顔を突き合わせた日と同じく、隣で礼を取った姿勢のままその言葉を耳にしていた。

 ミリアの侍女としてこの城にとどまってほしい。

 陛下の口から飛び出した言葉を何度も頭の中で繰り返し、丁寧に磨かれた大理石の床をただ呆然と見つめている。 

 いったい誰が、誰の侍女に?

「恐れながら陛下、私は爵位を賜った後すぐにでも妻とこの地を去ろうと考えております。私共が王都に居ついては兄上もお気になさるはず」
「フェルナンド、たしかにそれもそうじゃ。ゆえにお前は王都を去り、陰ながらディアドレを支えよ」
「……っではなにゆえユゼフィーナをここに」
「フェルナンド。まさかお前は聖女に政をさせよなどという世迷言は言うまいな?」

 ――つまり陛下ははじめから、私を政治の道具から遠ざける気などなかったということだ。

 フェルナンドの妻であれば、国王となったディアドレの最側近として侍る夫の意向に従って、王妃の侍女を務めるというのも筋が通る。

 社交界ではあれこれと笑いものにされるだろうが、あくまでも忠誠を誓う者として、王妃の側に置くことができるだろう。

 九歳からひたすら王妃としての教育を受けさせられてきたのだ。それが陰ながらシンボルを守るための存在としての教育であったとしても、なんらおかしなことはない。

 そもそもフェルナンドの母も、王妃の侍女として仕官していた女性だ。

 そのことを思い出し、頭の中を不吉な予感が走り抜けていく。

 フェルナンドは必要以上に私が社交界にでることを拒絶していた。とくに王宮については、彼が頻繁に足を運んでいるにもかかわらず、一度として彼からその話題を出してくることがなかった。

 その理由が、王妃と侍女の歪な関係にあるのだとしたら、辻褄が合ってしまう。

「……兄上は何とおっしゃっているのです」

 隣から、フェルナンドの低い声が響いてくる。彼がこれほどまでにもざらついた声を出せる人なのだとは知りもしなかった。

 フェルナンドの普段の姿とはかけ離れた声が、ますます背筋に言い知れぬ恐ろしさを生み出している。しかもその恐ろしさは、濡れて冷えきった手が無遠慮に背筋を這いまわっているかのような不快感を伴っていた。

 視界の端に映る己の指先は小刻みに震えている。しかし、私の異変になど気づくことなく陛下は言った。

「あれがそうせよと言った。あやつが、サンクトリウス公爵の助言に基づいて、余に言ってきおったのだ。聖女に政は向かぬ。ゆえに、公爵家の力を授けると。……ディアドレも、ユゼフィーナ公女を余の第二王妃のような正式な立場に就かせることはできぬが、代わりに寵を与えると言っておる」

 ――サンクトリウス公爵が助言を? ディアドレが私に寵を与える?

 言われている言葉の意味が、何一つとして理解できない。

 ただ呆然と顔を上げ、唇を震わせている。ひどく血の気が引いているのだと気づいても、それをどのように改善させるべきなのかもわからない。

『お前が罪深き罪人であるということをゆめゆめ忘れるな』。頭の奥で低く冷たい声がささやきかけてくる。

 ぐらぐらと視界が歪んで落ち着かない。耳の奥で甲高い音が鳴り響いている。

 到底立っていられない。

 ひどく歪む床に倒れ込みそうで本能的に瞼を瞑った瞬間、左手が柔らかな熱に包まれた。その正体へと視線を上げかけたそのとき――。

「いくら国王陛下と言えど、私の妻を……」
「――お父様! 今のお話、どういうことですか……?」

 今までになく険しい表情を浮かべたフェルナンドの声は、後方から女性のか細い声が聞こえた途端、ぴたりととまってしまった。

 悲鳴のような声を発したその人は、私たちの後方にある開かれた扉の前で立ち尽くしている。

 黒髪に深いブルーの瞳を持つこの国唯一の聖女。ミリアはこわごわと両手を胸のあたりで祈るようにつなぎ合わせながら、震える視線を国王陛下へと捧げていた。

「偶然……、この場所を通ったら、声が聞こえてしまって……、ディアドレがユゼフィーナ様を……」

 絞り出すように囁かれた言葉はあまりにもか弱く、いまにも壊れてしまいそうだ。

 震える声は途中でその言葉を口にすることを拒絶するように止められてしまった。ミリアは夢遊病患者のようにふらふらとこちらに歩み寄ってくる。痛ましい姿を見た国王は、沈痛な面持ちで口を開いた。

「聖女ミリア、……そなたのためなのだ」
「……ユゼフィーナ様を私の侍女として、フェルナンドを、……遠くへ送ってしまうことがですか? そのうえディアドレがユゼフィーナ様と……」

 ふらふらと歩みを進めていたミリアが、ちょうどフェルナンドの横で崩れ落ちる。儚げな聖女の姿に、誰もが手を伸ばして彼女を助け起こそうとする。

 それは第二王子であるフェルナンドとて同じことだ。

 少し前に私の指先に触れていたはずのぬくもりは、いつの間に私のものではなくなっていた。
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