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しおりを挟むフェルナンドが王室を離脱するまでの約一か月間、彼は互いに今までしたことのないことをしようと私に言ってきた。それが彼なりに私を励まそうとして考えたうえでの提案だということは、その表情からありありと伝わってくる。
九歳までの私の世界はすべてが教会の中に閉じ込められているし、それ以降の私もほとんどの時間を王宮と教会、そしてサンクトリウス公爵家にしか足を踏み入れていない。私たちは夜を迎えるたびに二人で枕を並べながら互いの過去を語り合い、そのうえで明日は何をするべきかを決めることにしていた。
時に夜が明けるまで語り合い、寝不足のまま早朝の庭に出たりもした。そのたび私とフェルナンドの間に夫婦としての関係性がないことを知らない使用人には生暖かい視線で見られたりもしていたようだが、私とフェルナンドがこの密かな遊戯をやめることはなかった。
「ユフィ、あなたはどう感じた?」
遠乗りに出てから二週間程度の記憶を思い返しながら演目を終えたばかりの真新しいステージを眺めていると、横からひょっこりとフェルナンドが顔を出した。その表情はいつも以上に生き生きと輝いて見える。
「そうね……、とても素晴らしいと思うわ。演劇ももちろんすばらしいけれど、この劇場自体がとっても魅力的だわ」
王都の外れに建てられたヴェッセルデ劇場は、王都の中心街に位置する劇場とは違って平民の娯楽のために建てられた施設なのだという。昨夜、明日は何をするべきかと話し合った際、私は演劇自体を観たことがなく、フェルナンドもヴェッセルデ劇場には訪れたことがないことに気付いてここに足を運ぶことにしたのだ。
ヴェッセルデ劇場は二年前に造られたばかりの劇場らしく、内観は美しく近代的な雰囲気が漂っている。天井には夜空を瞬く星と天使の姿が描かれており、設備も最上級の物とまではいかなくとも、座り心地のよい座席が用意されていた。彼が用意してくれた三階席のシートは一、二階席とは違って一つずつが独立したボックス席になっており、誰が観劇しているのかがわからない形となっている。
「ユフィのお気に召したのであればよかったよ。たしかにとてもよく趣向を凝らしているね。これを王都の中心にある劇場の三分の一の費用で作り上げたのだから、たいしたものだよ」
彼の瞳がきらりと美しく瞬いている。その目は頭上に輝くフレスコ画の星のように眩い光を放っているようだ。
貴族が運営する劇場にさえ足を運んだことのない私には甲乙をつけることなど到底できないが、それでも演者から劇場のスタッフ、それに建物そのものまで、難癖をつけることなどできないほど素晴らしいできだ。
感嘆のため息を吐くフェルナンドに、内心笑いそうになりつつ、言葉を返す。
「まあ。フェル? とても詳しいのね」
「ああ、うん。……私も少し話を聞く機会があったから」
「そう?」
フェルナンドの愛すべき欠点は、たとえばこのようなところなのだ。
――本当はフェルが中心になってはじめた事業なのに、どうしてもっとアピールしないのかしら。
彼は決して自身の功績をひけらかしたりしないし、自分をよく見せるために自身の行いを相手に伝えたりしない。影なる努力を繰り返し、それを当たり前のように受け入れている。
その姿勢を知れば知るほどに彼の人格のすばらしさに触れ、どこか誇らしい気持ちにさえなる。だのに、一方ではそういう彼の生き方が歯がゆくも感じるのだ。
あなたはどうしてこれほどまでに素晴らしい人なのに、いつもそれを隠してしまうのだろうか。
「フェル」
「うん?」
「わたくし、本当は聞いたことがあるのだけれど、この事業はあなたが民のためを思って立ち上げたのよね?」
先日フェルナンドにプレゼントされた扇子で口元を隠しつつ小さな声で彼の耳元へと囁く。そうするとフェルナンドはよほど驚いたのか、喉を詰まらせて盛大にせき込んでしまった。
「フェル!? ごめんなさい、そんなに驚かせてしまうと思わなくて!」
「いや、……いや、いいんだ。私こそ……、まさか知られているとは思わなくて」
「第二王子殿下がなさることよ? わたくしが知らないはずないじゃない」
それに、平民の生活のための支援を議題に挙げるのは、いつもフェルナンドと彼を支持する貴族たちばかりだ。一部の貴族の中には芸術は上流階級のためのものであるという考えを持つ者も多く、ヴェッセルデ劇場の着工まで、フェルナンドには多くの苦労があっただろうことが容易に想像できる。
「ごめん、気を使わせたかな? そういうつもりでこの場所に招待したわけではなかったんだけど」
「もちろん、わかっているわ。フェルはあなたがかかわっていることを言おうとしなかったじゃない」
「……なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた」
「どうして? 自分が手掛けたものだもの、どのように民の役に立っているのか、その目で見てみたいと思うのはおかしなことではないわ」
その誠実さがよくわかっているからこそ、もっと傲慢にふるまってもよいのではないかと思ってしまうのだ。私の言葉を聞いたフェルナンドは薄らと赤くなった頬を右手で隠しながらため息をついた。
「あなたには敵わない。……そう、私としてはここがどんなふうに使われているのかも気になっていてね。でも一番はあなたに演劇を見せたかったからだよ。ユフィは邸でも性別や身分による差別をしないだろう? だから、あなたにはこの劇場も理解してもらえると思って」
「とても信頼してくださっているのね?」
「毎晩語りあかす仲だろう?」
「あら、使用人たちに聞かれてはいけませんわ」
なにせ私とフェルナンドは、ダリウスとブレンダ、そしてアレク以外には、燃えるような恋の末に運命を誓い合った夫婦であると思われているのだ。
「ここには私とあなたしかいないから」
甘いささやきのような言葉を、少年のように明るい笑みで私に耳打ちしてくる。彼のアンバランスな魅力に思わず笑い声がこぼれた。
「たしかに、このようなお席なら、私たちのような者がこっそりと訪れることもあるのではないかしら」
「ユフィは本当に聡明だね。……そのとおり、実はこの劇場を造るのにはかなりの反対意見があってね、それを解消するために、どのような貴族でも忍んで来られる形にしたんだ。高価な王都の劇場には行けなくとも、ここで安価に芸術に触れる機会を作ることもできるだろう?」
「とくに準貴族の方や、商いをされていらっしゃるような方をターゲットにされたということね?」
「そう。……結果はこのとおり。こうしてうまくいけば、結局は新しいものを探して上流階級にいる者も忍んで足を運ぶんだ」
「フェル、あなたって本当に才能あふれる人だわ」
「いや、そうじゃないよ。……これを一緒に考えてくれた者が何人もいるのだから。何事も私だけの力ではなせないんだ」
一階席から徐々に人影が消えていく。フェルは誰もいなくなったステージを見下ろしながら、満足げに言葉をつづけた。
「……それにあの演技を見ただろう?」
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