運命に見捨てられた公爵令嬢と当て馬王子の場当たり的結婚のはじまりについて

藤川巴/智江千佳子

文字の大きさ
上 下
13 / 50

13

しおりを挟む

 * * *


「随分と第二王子殿下と親しくなられたようですね」

 馬を撫でるダリウスが、とくに感情を感じさせない声色でぽつりとつぶやいた。恋に関するレッスンの先生であるダリウスは、まれに私の乗馬の先生も兼務している。

 一週間前、自身の欠点を打ち明け合った私とフェルナンドは互いの欠点をもっと伸ばしてもよいのではないかと話が盛り上がった。その結果、私はフェルナンドの庭遊びに付き合い、彼は私の乗馬に付き合ってくれている。ここ最近は毎日フェルナンドが馬との付き合い方を教えてくれていたのだが、今日になって突然レッスン中にフェルナンドが王宮に呼び出され、代理としてダリウスが師を務めてくれているのだ。

 フェルナンドは別れ際、たいそう申し訳なさそうに眉を下げながら言っていた。

『ユフィ、すまない。この埋め合わせと言ってはなんだが、明日は遠乗りにでも行かないかな』
『まあ。気にしないで、フェル。お仕事ですもの。……でも、それはとっても素敵なお誘いだわ』
『よかった。……じゃあ、行きたいところを考えておいて。あなたはとても筋がいいけれど、さすがにまだ一人では不安だろうから明日は私の馬に乗って行こう』
『では、今日はダリウスから、セオに振り落とされないための訓練をしていただくわ』

 フェルナンドの愛馬であるセオは極めて温厚な性格で、到底人を振り落とすとは思えない。私が冗談で告げていることはフェルナンドにもよく伝わったのだろう。彼はたいそうおかしそうに声をあげて笑い、後ろに控えるダリウスを一瞥してからその場を離れた。

「私の先生には、そのように感じられるかしら?」

 無事に今日のレッスンを終え、馬との信頼関係を築くために、艶々と光を反射させている毛を丁寧にブラッシングする。ダリウスは私に丁寧にブラッシングのやり方を指導しつつ、もう一度口を開いた。

「愛称で呼び合っていらしたので」

 平坦な声で指摘され、はたと馬の毛をブラッシングしていた手が止まる。

「そういえば……、そうね。互いに呼びやすいようにと、フェルがおっしゃるから」

 実のところ、最近の私は当初の目的を忘れて、秘密の遊びに没頭してしまっていた。以前までの己では決してできなかったことを、フェルナンドは否定することなく受け入れてくれるのだ。私とフェルナンドは少なくともこの、王都のはずれに作られたタウンハウスの広大な敷地内では自由にふるまうことが許されていて、私は神に祈ることも、施しを願う何者かの傷を癒すことも忘れてこの趣味に傾倒していた。

「目的をすっかり見失っていたわ。でもそうね、たしかに私たち、とっても親しくなったのではないかしら? ダリウス、私、殿下に恋をする妻のように見えるでしょう?」
「それは正直に申した方がよろしいでしょうか」
「もちろん、答えはイエスよ」

 私の目的は何者にも振り回されることなく、すべての者を振り回してでも自由に生きることだ。もう二度と何もせずに運命に見捨てられた死など迎えたくはない。

「率直に申し上げて、夫人は……」
「わたくしは?」
「……夫人は、よき友人との出会いを楽しんでいらっしゃるように見受けられます」
「よき友人……?」
「第二王子殿下のことです」
「殿下はわたくしの夫ですわ」
「……友人のような清い関係のまま、夫婦の関係を維持する者もおります」

 しかし私は、それではだめだ。

 ダリウスの面持ちは、決して嘘を言っていない。そもそも彼は、嘘を吐くような騎士ではないのだ。彼から見て、最近の私とフェルナンドは友人のような夫婦なのだ。それもそうだろう。

 初夜以降、私とフェルナンドは夜更かしをしてその日起こった些末な出来事を笑いあうことはあれど、一定の距離が保たれている。フェルナンドはしばらくの間、隣で眠るだけにしようと言ったが、それがいつ終わりを迎えるのかはわからない。むしろ、友人のような関係を築けば築くほどにその日が遠ざかってしまうのかもしれない。

 ふいにミリアの独り言が思い出され、こわごわと重苦しい口を開く。

「……ダリウス」
「はい」
「あなたは『鉄壁』と呼ばれる淑女のことを、どのようにお思いになるかしら。この『鉄壁』とは、どういう意味か、あなたにはわかる?」
「……どのような場面での言葉か存じませんが、堅牢な守りの姿勢を崩さぬご令嬢ということでしょうか」
「守りの姿勢など作っている気はないわ。それなのに、夫と適切な関係になれないなら、いったいどうすればよいの?」

 父に悪魔と呼ばれながら、十分な誘惑すらできない己が恨めしい。恋というものが、よくわからないのだ。神話にあらわれた女の悪魔は、恋を知っていたのだろうか。もしもそうなら、私よりもよっぽど人間らしいだろう。

「ユゼフィーナ様、恐れながらお聞きしてもよろしいでしょうか。……なぜそうまでして、この婚姻で愛や適切な夫婦の関係にこだわられるのですか。殿下はユゼフィーナ様に、何一つ憂うことなく好きなことだけをしてほしいとおっしゃいました。……これほどの苦労をされなくとも、ユゼフィーナ様は」
「予言のようなものを聞いたの。……信じがたいかもしれないけれど、私はこのまま殿下と関わり合わず『鉄壁』を貫いて過ごせば、やがてまた運命に見捨てられると」
「何者がそのような無礼を働いたのでしょう。そのような戯言、ユゼフィーナ様の心にとどめる価値もありません」
「……さる高貴なお方よ。それに戯言ではないの。その方は私が第一王子殿下の運命に見捨てられ、フェルナンド殿下の妻となるということも予言されたわ。……そのようなこと、誰も考えられなかったでしょう? これが予言でないのだというのなら、いったい何なのかしら?」
「なぜ、そのような不吉な予言を……。ユゼフィーナ様はお知りになっていて、あのような仕打ちを甘んじて受け入れられていたのですか」

 ダリウスは、闘技大会の夜会から私を連れ出した張本人だ。王宮付きの騎士であったが、私が九歳で城に呼ばれてから、最も長い間私を護衛してくれている騎士でもある。普段は無口で何を考えているのか悟らせない表情を貫いているが、今ばかりはその厳つい顔に怒りのような色を浮かべていた。

「第一王子殿下は、運命ではない私の言葉を信頼しなかった。ただそれだけのことよ」
「それは」
「だからこそ、今度はフェルナンド殿下に捨てられぬよう、たとえ運命には足りなくとも、あの心優しいお方が簡単には見捨てられないような妻となるのよ。……私が何の憂いもなく自由に生きるために」

 随分とくだらないことを話してしまった。私の言葉を聞いたダリウスはその唇を重く閉ざし、何かを考え込んでいるようだ。すっかり馬の毛を撫でる手は止まってしまっている。

「今の話は忘れてくれていいわ。……今後も私の先生でいてちょうだい」
「その予言のために、ユゼフィーナ様がこれ以上の努力をする必要はありません」

 ブラシを厩のテーブルに置いて邸に戻るべく一歩を踏み出したそのとき、背後からもう一度声がかけられた。その声に振り返り、真意を問うようにダリウスを見つめる。彼は私と視線が絡んだのを確認し、小さく口を開いた。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜

楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。 ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。 さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。 (リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!) と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?! 「泊まっていい?」 「今日、泊まってけ」 「俺の故郷で結婚してほしい!」 あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。 やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。 ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?! 健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。 一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。 *小説家になろう様でも掲載しています

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉。祝、サレ妻コミカライズ化
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

処理中です...