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「随分と第二王子殿下と親しくなられたようですね」
馬を撫でるダリウスが、とくに感情を感じさせない声色でぽつりとつぶやいた。恋に関するレッスンの先生であるダリウスは、まれに私の乗馬の先生も兼務している。
一週間前、自身の欠点を打ち明け合った私とフェルナンドは互いの欠点をもっと伸ばしてもよいのではないかと話が盛り上がった。その結果、私はフェルナンドの庭遊びに付き合い、彼は私の乗馬に付き合ってくれている。ここ最近は毎日フェルナンドが馬との付き合い方を教えてくれていたのだが、今日になって突然レッスン中にフェルナンドが王宮に呼び出され、代理としてダリウスが師を務めてくれているのだ。
フェルナンドは別れ際、たいそう申し訳なさそうに眉を下げながら言っていた。
『ユフィ、すまない。この埋め合わせと言ってはなんだが、明日は遠乗りにでも行かないかな』
『まあ。気にしないで、フェル。お仕事ですもの。……でも、それはとっても素敵なお誘いだわ』
『よかった。……じゃあ、行きたいところを考えておいて。あなたはとても筋がいいけれど、さすがにまだ一人では不安だろうから明日は私の馬に乗って行こう』
『では、今日はダリウスから、セオに振り落とされないための訓練をしていただくわ』
フェルナンドの愛馬であるセオは極めて温厚な性格で、到底人を振り落とすとは思えない。私が冗談で告げていることはフェルナンドにもよく伝わったのだろう。彼はたいそうおかしそうに声をあげて笑い、後ろに控えるダリウスを一瞥してからその場を離れた。
「私の先生には、そのように感じられるかしら?」
無事に今日のレッスンを終え、馬との信頼関係を築くために、艶々と光を反射させている毛を丁寧にブラッシングする。ダリウスは私に丁寧にブラッシングのやり方を指導しつつ、もう一度口を開いた。
「愛称で呼び合っていらしたので」
平坦な声で指摘され、はたと馬の毛をブラッシングしていた手が止まる。
「そういえば……、そうね。互いに呼びやすいようにと、フェルがおっしゃるから」
実のところ、最近の私は当初の目的を忘れて、秘密の遊びに没頭してしまっていた。以前までの己では決してできなかったことを、フェルナンドは否定することなく受け入れてくれるのだ。私とフェルナンドは少なくともこの、王都のはずれに作られたタウンハウスの広大な敷地内では自由にふるまうことが許されていて、私は神に祈ることも、施しを願う何者かの傷を癒すことも忘れてこの趣味に傾倒していた。
「目的をすっかり見失っていたわ。でもそうね、たしかに私たち、とっても親しくなったのではないかしら? ダリウス、私、殿下に恋をする妻のように見えるでしょう?」
「それは正直に申した方がよろしいでしょうか」
「もちろん、答えはイエスよ」
私の目的は何者にも振り回されることなく、すべての者を振り回してでも自由に生きることだ。もう二度と何もせずに運命に見捨てられた死など迎えたくはない。
「率直に申し上げて、夫人は……」
「わたくしは?」
「……夫人は、よき友人との出会いを楽しんでいらっしゃるように見受けられます」
「よき友人……?」
「第二王子殿下のことです」
「殿下はわたくしの夫ですわ」
「……友人のような清い関係のまま、夫婦の関係を維持する者もおります」
しかし私は、それではだめだ。
ダリウスの面持ちは、決して嘘を言っていない。そもそも彼は、嘘を吐くような騎士ではないのだ。彼から見て、最近の私とフェルナンドは友人のような夫婦なのだ。それもそうだろう。
初夜以降、私とフェルナンドは夜更かしをしてその日起こった些末な出来事を笑いあうことはあれど、一定の距離が保たれている。フェルナンドはしばらくの間、隣で眠るだけにしようと言ったが、それがいつ終わりを迎えるのかはわからない。むしろ、友人のような関係を築けば築くほどにその日が遠ざかってしまうのかもしれない。
ふいにミリアの独り言が思い出され、こわごわと重苦しい口を開く。
「……ダリウス」
「はい」
「あなたは『鉄壁』と呼ばれる淑女のことを、どのようにお思いになるかしら。この『鉄壁』とは、どういう意味か、あなたにはわかる?」
「……どのような場面での言葉か存じませんが、堅牢な守りの姿勢を崩さぬご令嬢ということでしょうか」
「守りの姿勢など作っている気はないわ。それなのに、夫と適切な関係になれないなら、いったいどうすればよいの?」
父に悪魔と呼ばれながら、十分な誘惑すらできない己が恨めしい。恋というものが、よくわからないのだ。神話にあらわれた女の悪魔は、恋を知っていたのだろうか。もしもそうなら、私よりもよっぽど人間らしいだろう。
「ユゼフィーナ様、恐れながらお聞きしてもよろしいでしょうか。……なぜそうまでして、この婚姻で愛や適切な夫婦の関係にこだわられるのですか。殿下はユゼフィーナ様に、何一つ憂うことなく好きなことだけをしてほしいとおっしゃいました。……これほどの苦労をされなくとも、ユゼフィーナ様は」
「予言のようなものを聞いたの。……信じがたいかもしれないけれど、私はこのまま殿下と関わり合わず『鉄壁』を貫いて過ごせば、やがてまた運命に見捨てられると」
「何者がそのような無礼を働いたのでしょう。そのような戯言、ユゼフィーナ様の心にとどめる価値もありません」
「……さる高貴なお方よ。それに戯言ではないの。その方は私が第一王子殿下の運命に見捨てられ、フェルナンド殿下の妻となるということも予言されたわ。……そのようなこと、誰も考えられなかったでしょう? これが予言でないのだというのなら、いったい何なのかしら?」
「なぜ、そのような不吉な予言を……。ユゼフィーナ様はお知りになっていて、あのような仕打ちを甘んじて受け入れられていたのですか」
ダリウスは、闘技大会の夜会から私を連れ出した張本人だ。王宮付きの騎士であったが、私が九歳で城に呼ばれてから、最も長い間私を護衛してくれている騎士でもある。普段は無口で何を考えているのか悟らせない表情を貫いているが、今ばかりはその厳つい顔に怒りのような色を浮かべていた。
「第一王子殿下は、運命ではない私の言葉を信頼しなかった。ただそれだけのことよ」
「それは」
「だからこそ、今度はフェルナンド殿下に捨てられぬよう、たとえ運命には足りなくとも、あの心優しいお方が簡単には見捨てられないような妻となるのよ。……私が何の憂いもなく自由に生きるために」
随分とくだらないことを話してしまった。私の言葉を聞いたダリウスはその唇を重く閉ざし、何かを考え込んでいるようだ。すっかり馬の毛を撫でる手は止まってしまっている。
「今の話は忘れてくれていいわ。……今後も私の先生でいてちょうだい」
「その予言のために、ユゼフィーナ様がこれ以上の努力をする必要はありません」
ブラシを厩のテーブルに置いて邸に戻るべく一歩を踏み出したそのとき、背後からもう一度声がかけられた。その声に振り返り、真意を問うようにダリウスを見つめる。彼は私と視線が絡んだのを確認し、小さく口を開いた。
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