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第三部

56話 白い世界(前編)

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空竜に乗ったリルとサラとクオンが小屋に辿り着いたのは、すっかり夜も更けた頃だった。
「サラは、レイの妹なのに夜でも大丈夫なの?」
リルの問いに、サラが静かに答える。
「……」
「じゃあ、闇の力を使えるようになるまでは、怖かったんだね……」
リルの言葉を聞いて、サラにピッタリ寄り添われていたクオンが、そっとサラの頭を撫でる。
サラは、クオンを見上げて微笑むと、そのまま嬉しそうにリルへ答えた。
「父さんが、いつも慰めてくれたから……大丈夫……」
「そっかぁ、よかったねぇ」
リルも、ニコニコと嬉しそうに微笑む。
毛に覆われた空間の外からバサバサと羽音がして、緩やかに減速がかかる。
小屋の上まで戻ったのだろう。
「あ、着いたみたいだね、くーちゃんが小さくなってくから、落ちないように気を付けてね」
長距離の高速移動用に随分と大きくなった空竜は、少しずつ小さくなりながら、小屋の上空をゆるゆると周っているようだ。
小屋の前には現在テーブルや調理場や食料保存庫が並んでおり、あまり広い空間がないので、今の空竜ではとても着地出来そうにない。

不意にクオンが立ち上がると「先に行かせてください」と飛び降りた。
「えっ」
リルは驚いた。
せめて相談してくれれば、もう少し下降するのに。と、リルも空竜も思う。
「父さんっ」
サラが、慌てて後を追った。
(サラは翼があるからいいだろうけど、クオンは大丈夫なのかなぁ……)
まだ空竜が大きく、端から顔を出すのも難しかったので、リルは音から情報を得ようと耳を澄ます。
まだ地上まではかなりの距離があったが、クオンはいくつかの術を空中で組み合わせながら、器用に減速して着地したようだった。

遥か下の方から、ラスの声がする。
(よかった。ちゃんと案内してくれてるみたいだ)
ラスは地下のほうが早いからと、空竜には乗らなかった。

「ボクも地下に潜れたら良かったのになぁ……」
リルは、妖精の母を持つせいか、鬼のみが入ることを許されている地下の世界へ入る事が出来なかった。
何度試しても出来ないリルに、けれど、クザンは諦めろとは言わなかった。
(いつか、ボクも獄界に行けたらいいなぁ……)
リルにとって、そこはまだ見ぬ憧れの地でもあった。

----------

久居は、見渡す限り真っ白な空間にいた。
「ここは……」
体に外傷はなかったが、とても重く、疲れ切っている。

記憶を遡ってみる。
私は確か、小屋で待つ菰野様の元へ戻って……。

主人の、嬉しそうな顔が鮮やかに胸に浮かぶ。
『俺の元に、帰ってきてくれて、ありがとう』
ひとつひとつの言葉を大切そうに区切って、菰野はまだ少し眠そうな、幼ない声で言った。

そう、帰ってきたはずだった。
ただ一人の、主人の元へ。

菰野の元を発ってから、久居は、雇われ傭兵達と戦い、闇の天使と戦い、海では古い記憶と戦い、自分の怒りから生まれた闇とも戦い、天使と戦い、鬼から天使を助け、レイの妹や、父と対峙し、また天使と戦い……。

必死で数々の窮地を乗り越え、ようやく菰野との約束を果たしたはずだった。

――それなのに、ここはどこなのだろうか。

右を見ても左を見ても、あるのはただただ真っ白い空間ばかり。
その果ては見えず、どこまでもどこまでも続いているように見える。
上を見てもただ白いばかりで、それが天井なのか空なのかも分からない。
足元は、ふわふわとした霧のようなものが漂っている。
その下には真っ白ではあったが、平らな地面の感触があった。

試しに各方向へ小さな玉を生み出し投げてみるも、まるで手応えがない。
足元に投げた玉すらも、白い床に吸い込まれて消えた。

これでは、どちらに進むべきかも、まるで分からない。
行くべき道が見つからない以上、余計に歩き回って体力を消耗するのも良くないだろう。

久居は途方にくれて、一人その場に座り込んだ。

---------- 

空竜の羽音にラスが小屋を出ると、クザンは地下へと潜った。

「火端、ご苦労だったな」
声をかければ、ほんの数瞬後には菱形の帽子を被った従者がクザンの足元で深々と頭を垂れている。
「もったいないお言葉!!」
感動気味に答えるヒバナに、クザンはほんの少し躊躇ってから、口を開く。
「……お前、久居に力が注いでやれるか?」
ヒバナの纏う空気が変わる。
ひやりと感じるほどに冷たい声で、従者は答えた。
「……私が、あの人間めに、ですか?」
「そうだ」
クザンは、静かに告げて返事を待つ。
「……玖斬様のご命令とあらば……」
そこで一度言葉を切ったヒバナが、さらに冷たい声で続けた。
「ただ、私も人間ごときに力を分けた事などありませんので、うっかり焼き殺してしまうかも知れませんが」
クザンは、ガシガシと頭をかいた。
(こいつ……焼く気満々だろ……)
クザン自身に力を寄越せと言えば、嬉々としていくらでも注ぐはずの従者だったが、人に直接となると流石に笑顔で「はい」とはならないらしい。
「わかった。なるべくお前にゃ頼らねぇよ」
「おや、心外ですね」
「どこがだ! どこが!!」
檜皮色の髪を逆立てて叫んだクザンが、それでも、じわりと追い詰められた顔を見せた。
「……だが、どうしようも無くなったときには、呑み込んでくれよ?」
ヒバナは、その言葉に思わず目を見開く。
珍しく弱っている主人の姿は、思わず膝に抱きかかえたい程愛らしかった。
だが、その理由がいただけない。

そもそも、鬼の我々が人間などに分けてやるものなんて、血の一滴どころか、毛の先だってないと言うのに。
あんなに脆く寿命の短いものを可愛がったところで、すぐ訪れる別れに傷付くだけなのが、ヒバナにはよく分かっていた。

なのに、主人はいつまでも、それを分かろうとしない。
あの妖精だって、もうあと五十年もすれば死ぬだろうに。
だからこそ、今だけだと思って、人生勉強だと思って仕方なく目を瞑っているのに。
また可愛がる対象を増やそうという。

ヒバナは改めて、自身の育てた、まだ若い鬼を見上げる。
中々返事をもらえないクザンの、ヒバナを見る目には、縋るような色が滲み始めている。

ヒバナは胸の内でため息をつく。
そんな風に見つめられては、断れそうにない。
それに、この甘えてばかりの主人を、こんな風に育ててしまったのは、自分なのだから。
責任感に、罪悪感が混ざる。
きっと、あの方ならもっとずっと、玖斬様を立派に育て上げていたはずなのに……。
元主人である玖斬の母は、実に頭の良い、芯のある立派な方だった。
美しく優しく、いつも愛に溢れていた。

生涯守り抜くと誓っていた主人を、守りきれなかったのは、私だった。

「……かしこまりました」

ヒバナがようやく答えると、クザンはホッと息をついた。
「ありがとな! なるべくこっちで済ますからな!!」
クザンは、ガシガシと帽子の上からヒバナの頭を乱暴に撫で回すと、振り返る事なく地上へと戻る。

ヒバナは、その後ろ姿を何とも言えない気持ちで見つめていた。
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