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第二部

38話 主従(4/5)

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……それが、先程の。ほんの数時間前の事だった。

にもかかわらず、小屋の前に戻ってきたレイは、カロッサにこう言った。

「環を、天界で預かっても良いでしょうか」

「えっ、ど……――」
どうして、と言おうとしたのか、どうしたのかと問おうとしたのかは分からないが、カロッサはそれ以上の言葉を発さなかった。
その代わり、小走りに久居の側まで移動すると、カロッサは久居を背に庇うように、レイとの間に立った。
「久居……?」
状況が飲み込めない菰野の小さなささやきに、久居が「離れないでください」とだけ告げる。
菰野は無言のまま素早く久居の陰に入った。
離れた場所で寝転んでいた空竜でさえ、何事かと様子を伺い始めた頃、ようやく宿題の最後の一枚を解いていたリルも、ピリッとした空気に気付いたのか、それとも宿題がちょうど終わったのか、顔を上げた。

「あれ? 何かあったの?」
リルの言葉に、久居とカロッサが答える。
「まだ分かりませんが『何か』があったようです」
「それを、今から確認するわ」
カロッサと久居を交互に見ながら、レイが戸惑いを浮かべつつ言う。
「いや、そんなに警戒しなくても、無理やり取って行こうとは思ってない、が……」
レイは、皆の視線を受けて居心地悪そうにしている。
少なくとも、レイに敵意は無いように見えた。

「レイ君、どうしてそんな話になったの?」
カロッサに問われて、レイが不思議そうに首を傾げる。

――本人が、異常に気付いていない。

その反応に、カロッサと久居は嫌な予感を確信に変える。

「はい、ええと、上官より、環は天界で浄化した方が良いから上に持ってくるように、と言われまして……」
レイが先程の会話を思い出すようにしながら言葉を紡ぐ。

それを見て久居は内心焦った。
このまま話させるべきか、それとも……。

どこまで相手に情報を掴まれたのか、できる事なら把握したい。
けれど、このままレイが話しを続ければ、やがてレイは思考を強制的に遮断されるに違いない。

「それは、誰に言われたの?」
カロッサの言葉に、レイが少しはにかむように微笑む。
「それが、私も驚いたのですが、義兄が直接、こんなところまで来てくださっていて……」

カロッサにも久居にも、驚きはない。
予想通りの言葉が出ただけだった。
「……お義兄さんのお名前を、聞いておいてもいいかしら?」
「はい! 義兄は、キルトールファイント=リイド・ロイド=スフェルタルと言います」
レイは金色の髪を陽射しにきらめかせて、嬉しそうに答えた。
「キルトール……」
カロッサが、口の中で小さく唱える。
その名は、カロッサが先見で知っていた男の名と同じだった。
「大神殿で神官の立場にある方ですが、実際は大神殿の研究機関で研究ばかりの日々ですので、神官というよりは研究者に近いでしょうか。
 普段はとても忙しい方なのですが、私が祭りに顔を出さなかったのを心配して、今日は様子を見にきてくださったそうです!」
レイが、嬉々として話す様子には、大事な義兄を皆に紹介したいという可愛らしい弟心が透けて見える。
それが余計に、カロッサと久居を嫌な気分にさせた。

リルだけが、そんなレイに微笑む。
「レイは、お兄さんが好きなんだね」
言われて、レイはほんの少し頬を染めながら、大切そうに心を込めて答えた。
「ああ、恩人なんだ」

「……それで、その恩人に、どこからどこまで話したの?」
カロッサの言葉には、あからさまに刺がある。
場の空気がまたピリッと張り詰める。

久居は、カロッサのその言葉に違和感を感じた。
レイを想って苛立つのなら、レイを追い詰める必要はないはずだ。

一方でカロッサは、自身の体が震え出しそうになるのを、なんとか堪えていた。
私の運命の人が、とうとう現れてしまった。
その事実は、長い時間をかけて覚悟をしていたはずのカロッサに、あらためて恐怖を抱かせる。
(怖い……逃げ出してしまいたい……)
そんな事をしても、世界からは逃れられないと、頭では分かっているのに。

両腕を自分の両手でギュッと抱きしめる。
腕を組むようなこの仕草は、カロッサが心を追い詰められた時にいつも見せる仕草だった。

そこへ、とてて……とやってきたリルの、小さな手がカロッサの手の上に重ねられる。
「カロッサ、大丈夫?」
小声で問うて、リルがカロッサを見上げる。
リルの手は、ぽかぽかと温かかった。

「だっ、大丈夫よ?」
カロッサが少し掠れた声で答えると、リルはカロッサを抱きしめた。
身長差があるために、リルの腕が回されたのはカロッサの背ではなく腰だったが、小さな手が、力を入れすぎないように、そっとカロッサを包む。
「ボクも、久居も、カロッサのこと助けてあげるからね」
カロッサは驚いたが、それよりも嬉しかった。
そして(私、そんなに顔色悪かったかしら?)と思う頃には、間近に迫っていた恐怖は彼方にあった。
「ふふっ、ありがとう」
リルの頭を抱きしめ返して、レイに視線を向け直すと、いつの間にか彼はすっかり青ざめていた。
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