上 下
121 / 206
第二部

38話 主従(1/5)

しおりを挟む
石造りのひんやりとした室内。
明かりのひとつもない部屋で、鉄枠に飾られた嵌め殺し窓辺に、男がひとり腰掛けていた。
腰よりもずっと長い黒髪は、窓から入る月光に照らされても、光を返す事なく漆黒を保っている。
片膝を抱えて、どこまでも広がる夜の森を眺めていた男が、ノックの音に顔を上げた。
「……どうぞ」
顔は鼻の下まで届きそうなほどに伸ばされた前髪で隠れていたが、落ち着いた声の響きは、その若々しい輪郭よりも若干年輪を感じさせる。

許可を得て、部屋に入って来たのは、黒い翼を持つ少女だった。
「父さん、ごめんなさい……」
言われて、父と呼ばれた男は少女を宥めるように見る。
「あの鬼、四環取り戻せなかったって……」
「……そうですか」
男の声にほんの少しの落胆が滲むも、それを隠すように男は小さく微笑んだ。
「サラが謝ることではありませんよ。報告してくれて、ありがとうございます」
「……父さん……」
少女は、他の誰にも見せない顔で、どこか寂しげに微笑みを返した。


----------


「――っ朝だ!?」

レイの叫びに、小屋の近くにいた全員が振り返った。

「やっと起きましたか」
久居が一つ息をついて小屋へと向かう。
それは、ため息ではなく安堵の吐息だった。

その背を見送りながら、大テーブルで勉強をしていたリルと、それに付き添っていたカロッサもホッとした様子で言葉を交わす。
「よかった、レイ君目が覚めたのね」
「ずっと寝てたから、ボクもちょっと心配しちゃった」
リルの解いていた問題はまだ解きかけだったが、躓いているのか、リルは大きく伸びをしたついでに、後ろ側に居た菰野に声をかけた。
「コモノサマは、何してるの?」

菰野は、まだ修練は禁止されていたが、近くの木に両手をついて、足を伸ばしたりしていた。
「僕? 体をほぐしてるところだよ」
声をかけられて、菰野は動きを止めると、小さく微笑んで答える。
「あ、ずっと動かなかったから? 体カチカチになっちゃった?」
リルが、フリーの拳骨も前よりカチカチになっちゃったんだろうか。と斜め上の心配をしながら聞き返す。
「いや、感じは変わらないよ。今は少し体が重いけど、それは血が足りないからだって久居も言ってたからね」
菰野は、腕を回したり手を握ったり開いたりして調子を確認しながら、リルの質問に丁寧に答える。
「あまり激しくは動けないけれど、鈍らない程度には動かしておこうかなって」
そう言って爽やかに笑う菰野に、リルも笑顔を返す。
「そっかー」
とりあえず、フリーのグーの威力が上がったわけじゃなそうで、リルは安心した。


昨日の今日ではあったが、負傷もなかったフリーは学校に行くようリリーに指示され、渋々学校に行ったらしい。

昨夜、フリーは、いつもリル達に絡んでいた三人組が、もう五年生と六年生になっているという事実に気付いて
「やだもう絶対会いたくないーーっっ。どうせなら卒業しちゃってればよかったのに!」
と頭を抱えていた。
そんなフリーを、リルは何とも言えない顔で見ていた。
生まれた時からずっと一緒に生きてきたフリーが、これから、自分がもう過ごしてしまった三年間を過ごそうとしている。それが、何だか不思議だった。
ゲンナリした顔のフリーがリルの視線に顔を上げて言う。
「リルはいいなぁ。もう学校行かないんでしょ?」
それは、自分より先にやるべきことを見つけてしまった弟への、純粋な憧れだった。
羨ましそうに言うフリーの言葉に他意はない。
きっと、フリーならこんな状況を本当に喜べるんだろう。
けれど、リルは叶うならば皆と一緒に、同じように扱われて、共に学校で勉強がしたいと願っていた。
もしも、皆の視線や態度が、自分だけを別にしなかったなら……。
もしも、自分の耳がもっと鈍感だったら……。
そんなもしもの話、考えたって仕方がないと分かっているのに。
リルは自嘲を誤魔化すように、小さく笑う。
「うん、いいでしょ」
リルにとっては、学校でフリーがいつも自分を庇い、どんな時も矢面に立とうとしてくれるのも、また心苦しい事だった。
フリーだけでも学校に通えるなら、それはきっと、フリーにとっても、母にとっても、良い事だと思う。

多分、もっと早く、ボクが村を出ていればよかったんだろうな……。

その思いは、誰にも言えなかった。
母はいつも、ボクの為に、村の人達に頭を下げていたから。


「学校から帰ったら、すぐこっちに来るからね!」
フリーは、そんな弟の様子に気付く事なく、力を込めて叫ぶ。
「うん、待ってるねっ」
リルはそれに笑って答えた。

そういえば、名残惜しそうに帰るフリーに、カロッサが「私、早速明日からフリーちゃんの修行任されちゃったわよ?」と突っ込んでいた。
どうやら、フリーにもこれからは、リルと同じような修練の日々が待っているらしい。

リルは昨夜の様子を思い出しながら、隣に座るカロッサの顔をチラと盗み見る。

昨日、空間凍結の強制解除という超技術を披露したカロッサは、精神疲労からか夜まで休んでいたが、夕飯には顔を出した。
役目は予定より早く終わったものの、まだ自宅の建設が終わっていないカロッサは、後ひと月弱ほど、ここに残る予定らしい。

「簡単な家でいいって言ったんだけどね。また二階建てにしてくれてるらしくて、もう少しかかるみたいなのよ」
苦笑するカロッサが
「ま、最後にもうちょっと、のんびりしたってバチは当たらないわよね」
と小さく小さく呟いたのを、リルだけが聞き取っていた。

最後っていうのは、何だろう。
何の最後なんだろう。

カロッサにとって、今の状況は夏休みみたいなものなんだろうか。
それが終わる事を指してるんだろうか。

リルは息を殺して耳を澄ます。
カロッサの体から聞こえる音は、いつもと変わらない、乱れのない音だった。

「リルくーん? 手が止まってるわよー?」
言われて、リルはハッと手元に視線を落とす。
机の上には、母であるリリーが用意した教科書や手書きの問題が広がっている。
元から登校拒否気味のリルは、母親が先生がわりでもあった。
修行や旅の間は拠点らしい拠点もなかったため、勉強は疎かになっていた。
けれど、今回は妖精の村近くに留まっていられるという事で、リルは三年分の内容をぎゅうぎゅうと詰め込まれている。
今は苦手な算術の計算をしている最中だった。
「あ、うん。ぼーっとしてた……」
リルの言葉に、カロッサは苦笑する。
多分、いつものことだと思われたんだろうな。と、リルは頭の端で思いつつ、何とか気持ちを切り替えようと、次の問題に取り掛かった。

リリーがこの場へ持ってきた教科書のうち、妖精の歴史や、世界の成り立ちなどの書物は、リルよりも久居が真剣に読み込んでいた。

リルの、ここでの生活は、午前中のほとんどが勉強だった。
教養がある上に人の良いレイと、時間を持て余していたカロッサが、先生がわりにリルの勉強を見てくれていた。
久居も算術などは教えられたが、どちらかと言えばリルと一緒に授業を聞いている事が多かったし、リルより質問も多かった。

皆がリルの勉強に協力してくれる事は、リルもとても感謝しているし、この機になるべく頑張ろうと思ってはいる。
思っては、いるが、久居ほど何でもすぐには覚えられないし、覚えたつもりでいても、次の日には忘れてしまっている。
元から覚えの良い方ではなかったが、ここまで悪くはなかったと思うのに……。と、リルは自分でもちょっとがっかりしていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

森だった 確かに自宅近くで犬のお散歩してたのに。。ここ  どこーーーー

ポチ
ファンタジー
何か 私的には好きな場所だけど 安全が確保されてたらの話だよそれは 犬のお散歩してたはずなのに 何故か寝ていた。。おばちゃんはどうすれば良いのか。。 何だか10歳になったっぽいし あらら 初めて書くので拙いですがよろしくお願いします あと、こうだったら良いなー だらけなので、ご都合主義でしかありません。。

村から追い出された変わり者の僕は、なぜかみんなの人気者になりました~異種族わちゃわちゃ冒険ものがたり~

めーぷる
児童書・童話
グラム村で変わり者扱いされていた少年フィロは村長の家で小間使いとして、生まれてから10年間馬小屋で暮らしてきた。フィロには生き物たちの言葉が分かるという不思議な力があった。そのせいで同年代の子どもたちにも仲良くしてもらえず、友達は森で助けた赤い鳥のポイと馬小屋の馬と村で飼われている鶏くらいだ。 いつもと変わらない日々を送っていたフィロだったが、ある日村に黒くて大きなドラゴンがやってくる。ドラゴンは怒り村人たちでは歯が立たない。石を投げつけて何とか追い返そうとするが、必死に何かを訴えている. 気になったフィロが村長に申し出てドラゴンの話を聞くと、ドラゴンの巣を荒らした者が村にいることが分かる。ドラゴンは知らぬふりをする村人たちの態度に怒り、炎を噴いて暴れまわる。フィロの必死の説得に漸く耳を傾けて大人しくなるドラゴンだったが、フィロとドラゴンを見た村人たちは、フィロこそドラゴンを招き入れた張本人であり実は魔物の生まれ変わりだったのだと決めつけてフィロを村を追い出してしまう。 途方に暮れるフィロを見たドラゴンは、フィロに謝ってくるのだがその姿がみるみる美しい黒髪の女性へと変化して……。 「ドラゴンがお姉さんになった?」 「フィロ、これから私と一緒に旅をしよう」 変わり者の少年フィロと異種族の仲間たちが繰り広げる、自分探しと人助けの冒険ものがたり。 ・毎日7時投稿予定です。間に合わない場合は別の時間や次の日になる場合もあります。

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

処理中です...