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第二部

25話 喪失(後編)

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「ねえ、レイはカロッサが好きなんでしょ?」
「ーー!? す、すっ……!!?!?」

リルの不意打ちに、レイが顔を真っ赤に染めて撃沈する。
リルの言う『好き』は、レイの思っている『好き』とは違うものだったが、この場合は間違いではないと、久居は気付いた。

「ボクも、カロッサが好きだよ。だから助けに行きたい。レイも同じ気持ちなんだよね?」
リルの大きな薄茶色の瞳が、じっとレイの言葉を待っている。
その真っ直ぐな気持ちに、レイは応えたいと思った。
「……あ、ああ。俺も、すぐにでも助けたい」
まだまだ赤い顔のままで、レイは何とか言葉を返す。
露草色の瞳が、真っ直ぐにリルを見つめ返した。
それを受け止めて、リルがくりっと首を傾げて久居を見上げる。

「ねえ、久居。いいでしょ? レイに印つけてもらっても」
リルは、久居にカロッサの行き先を聞かない。
レイも、無理に聞く気はないようだ。

久居は二人から、決断を委ねられていた。
「ひとつお尋ねしても良いですか?」
久居の言葉に、レイが姿勢を正す。
「いくつでも、聞いてくれ」
背筋を伸ばすと、レイは久居より背が高く体格もよく、整った顔立ちに輝く金髪、青い瞳に白い翼が神々しく、まさに天使という風体だ。
……だが、その顔はまだ赤い。

「たとえば、その印がついている箇所を切り落とせば、探知は出来なくなりますか?」
「え゛っ!?」
久居の淡々とした質問に、レイが一瞬何か聞き間違ったかと動揺する。
「あ……。ああ、まあ……。そうだが。切り落とす、のか……?」
引きつった顔で念のため聞き返すレイが、チラリとリルを見る。
リルは今にも泣きそうな表情で青くなっていた。
「たとえば、の話ですよ」
と久居はやんわり笑って答える。
しかし、久居ならやりかねないと、リルは思う。

青い顔のリルを横目で見ながら、久居は答える。
「分かりました。リルの意思を尊重します」
久居の考えはこうだ。リルは自分にできる範囲のことで、つまり、自分の居場所でよければ提供したいと言っている。それなら、やらせてみても良いのかも知れない。この男は敵にするより味方にする方が良さそうだ、と。

久居の同意を得て、リルがレイに手を差し出す。
が、その手はプルプルと震えている。
(そりゃそうだよな。今の流れだと、いざというときはこの手ごと印を落とすって言われたようなもんだよな……)
レイはそう思いながら、それでも懸命に自分に差し出された小さな手を取った。
リルが一瞬身を固くする。
「普通は、手の甲にマーキングするんだけどな」
と前置きをして、レイはリルの横髪を手に取った。
「理論的には、髪でもいけるんじゃないか? 体の一部ではあるが……血が通ってないとダメか?」
レイがぶつぶつと呟きつつ「試しにやってみていいか?」とリルに問う。
リルは久居をチラと見て、頷きをもらってから「うん」と返事をした。

レイが屈んで、リルに高さを合わせる。
天使は何やら呪文を唱えながら、手にすくったリルの髪束に、金色の髪に包まれた自身の額を押し当てた。
一瞬眩しい光が溢れて、すぐに消える。
「ん。できたみたいだな」
リルの横髪に、ぽわんと小さな魔法陣のようなものが浮かぶ。
レイが両手を前に出して別の呪文を唱えると、レイの前へ地図のようなものが広がり、そこにリルについた魔法陣と同じようなマークがいくつか映った。
その中にひとつ、今もずっと移動しているマークがある。
「これがリル、で、この動いているのがカロッサさん。これが時の魔術師殿なんだが……やっぱりこの位置にまだある、よなぁ……」

首を傾げながらキョロキョロと辺りを見渡すレイに、やはり彼は地下の存在を知らないのだと思う久居。

「その印は、対象が亡くなれば分かるものなのですか?」
「ああ、相手の生命活動が無くなれば、そこから力を得てるこの魔法も消滅するからな。
 だが魔術師殿は俺たちの知らない術が色々使えるらしいし、もしかしたら、何か特殊な術で位置を固定されてるのかも知れない。
 理由までは、分からないが……」

そう言って目を伏せる彼の様子を素直に受け取るなら、彼には欺かれるような心当たりはないようだ。

「ところで、空竜というのは、どういったものなのですか?」
久居がレイに尋ねる。
「空竜? 空竜は自然竜の一種だ。大昔には沢山いたらしいが、空竜は中間界に住み着いてたからか、特に人間に狩られた数が多くて、生き残りが少ない。今だと、ここに仕える空竜以外は、天界では把握していないな」
まるで当たり前なことのように、レイがスラスラ答える。
中間界、というのはやはりこの地上の事のようだ。
「……と、こういう答えで良かったか? 生態的な事は俺は詳しくないんだが、上で調べれば答えられると思う」
柔らかく気を遣うレイに、久居が「十分です」と返しつつ、もうひとつ質問する。
「鬼も、皆ここに空竜がいる事を知っているものですか?」
久居には、カロッサの家がこうなった原因が、ハッキリしてきた。
「ああいや、天使はそんなに沢山のやつが空竜を知ってるって事は無いと思う。
 鬼だと……、もう少し多いかも知れないな。高位の鬼には、時の魔術師殿に肉体寿命を止めてもらう慣習があるから。それでも、限られた者しか知らないとは思うが……」
やはりそうだ。と久居は確信する。
カロッサはリル達が持ち去った環の引き換えとして、あの鬼達に拐われた。
相手は、空竜を見ればリル達とカロッサに繋がりがある事が分かった。つまり、リル達は敵に空竜を見せてしまった以上、迅速にここへ戻らねばならなかったのだ。
「ありがとうございます……」
久居は自身の判断ミスを激しく悔いながらも、それを腹の底に沈めて問いを重ねる。
「最後に、もうひとつ伺わせてください。カロッサ様を連れ去れば、天使が駆け付けるという事を知っている者は?」
久居の言葉に、レイがわずかに眉を寄せ、真剣な表情で答えた。
「上にも下にも、まず居ない。知っているとすれば、よほど責任のある者だけだ。だが、そんな立場の者はこんな事をするはずがない」
キッパリと言い切ったレイの言葉を聞いて、久居は、この男の存在が、鬼達との戦いで切り札になり得ると確信した。
キツくなりがちな自身の表情を、久居は意識して弛める。
「分かりました。色々教えてくださり、ありがとうございます」
レイに深々と頭を下げると、久居は告げる。
「では……、私達はこれで、失礼いたします」
久居の声に、レイの長い尾羽に気を取られていたリルが顔を上げる。
「もう行くの?」
「はい、急ぎカロッサ様を追いましょう」
「そっか、そうだね。レイ、また向こうで会おうね!」
気安く声をかけ、手を振るリルに、つられてレイも手を振り返す。
「あ、ああ。なるべく急いで向かう」
レイは、まるで待ち合わせでもするかのような会話に(俺が合流しても良いんだろうか……?)と疑問を抱きつつ返事をした。
が、久居に「お願いします」と返されて、レイは驚いた顔になる。
久居は、そんなレイの様子に、もう一押し、極力柔らかい笑顔を作って言った。
「レイさん、頼りにさせてくださいね」
「……っ!?」
動揺するレイの頬が、また少し赤くなる。
「ぜ、全力を尽くすと、約束する」
慌てて返事をするレイに、リルもにっこりと微笑んで言った。
「ボクも、頼りにしてるよーっ!」
こちらは、全く計算なしの可愛らしい笑顔だ。
「ああ、任せてくれ!」
レイが、頼られた嬉しさを隠しきれず滲ませながら、力強く答える。

やる気に満ち溢れたレイは、空竜と合流する二人の後ろ姿を見送ると、一刻も早く上司から出動許可をもらうべく、天界へと飛び立った。


「あー、レイ飛んでるねー」
長距離移動のために大きくなりつつある空竜の背で、リルが空を見上げる。
「やはりあの翼は、飛べるのですね」
久居も見上げて、感嘆する。
人が一人で、誰の助けもなしに空を舞うなんて、そんな姿を見る日がくるなんて、久居は思ってもいなかった。
……まあ、相手は正しくは人ではなかったし、離陸までに多少の助走が必要なのか、全力疾走する天使らしからぬ姿も目撃してしまったが。

久居は、焼け跡へ視線を投げる。
彼が去ったとなれば、しばらくは地下室に気付かれる事もないだろう。
確認したい点もあったが、勝手に捜索してカロッサの顰蹙をかうような事態になっては元も子もない。行き先の定まった今、地下室についてはそのままにしておく事にする。
「私達も行きますよ。空竜さん、お願いします」
リル達を乗せた空竜が「クオオオオオン」と気持ち良さそうに鳴いて飛び立った。





……それから、どれくらい経っただろうか。

日も傾きかけ、誰もいなくなった焼け跡に、ローブ姿の男……というよりまだ少し幼いシルエットの少年が現れた。
「……なんだよ、これ……」
小さく、掠れた声が焼け跡に落ちる。

少年は、焼け跡を見渡す。
何度も何度も。
何かを確かめるように、思い出を辿るように、少年は焼け残った家の残骸を見つめていた。

陽が落ちて、辺りは徐々に薄闇に包まれてゆく。
少年は、まだ僅かにくすぶっていた火種を踏み付けた。
「じいちゃん……カロッサ……」
ぽつり、とこぼれたのは、言葉だけだったのか。
俯いた顔は、ローブで隠れている。

ギリっと音がするほどに握り込まれた拳から、滲み出した赤い雫が一滴零れ落ちる。
赤い雫は、焼けた木片に触れ、シュッと乾いた音を立てて消えた。

「…………ごめん」
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