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第二部
21話 心の炎(前編)
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村に足を踏み入れると、ヒュウと冷たい空気がリルの頬をかすめた。
「え?」
リルが不意に足を止めたので、手を繋いでいた久居もそれに引っ張られ、手が離れるギリギリのところで立ち止まる。
内心、冷や汗ものの久居だったが、リルの次の言葉で臨戦態勢を取った。
「誰か話してる、冷やし方が強すぎるって、誰か……怒られてるみたい……?」
「やはりまだ、いましたか」
久居が、予備の首巻で手早くリルと自身の手を縛る。これで多少動いても手が滑る事はないだろう。
「痛くはありませんか?」
「うん、大丈夫」
炎の膜に隔てられ、ぼんやりとした感覚ではあるが、確かに熱気の合間に冷気が混ざるのを感じる。
「相手はまだボク達のこと気付いてないみたい」
「このまま、なるべく距離を詰めましょう」
久居は、通りすがりに近くの民家の前に並んだ植木鉢を、一つ拝借する。
気配消しの術には土が必要だ。
村の中はほとんど無舗装の土の道だったが、念のために、久居は鉢を一つ掴んでおいた。
村の中央。開けた広場に敵はいた。
広場に繋がる道の隅には、園芸品を売るための店舗を兼ねた荷車が置かれている。
その後ろに、二人は身を潜めた。
もう相手にも声が届く範囲だろう。
だが、まだ飛びかかるには距離がありすぎる。
リルと久居は相手の様子をじっと伺う。
敵は、見る限り三人いた。
その中の、真ん中に立つ痩せた男が、腕輪を付けている。
クリスの時と違うのは、腕輪を付けた男より、赤い炎を纏わせてその男の肩を無造作に掴んでいる筋骨隆々の大男と、その反対側から指示を出す背の高い男の方が、あからさまに偉そうなところだ。
腕輪の男は、三十歳ほどだろうか。癖のあるクルンとした黒髪を、後ろだけ伸ばして臙脂色の長い布で蝶結びにしてある。
黒に近い深緑の上着の胸元は大きく開いていて、白いシャツの襟にはたっぷりと布が巻いてあった。
深い鼠色のズボンに茶色のブーツ。
そこらの村人よりはよっぽど良い物を身に付けてはいたが、その疲れ切った様子に、威厳は微塵も感じられなかった。
冷気をもっと少しずつ、広範囲に広げろと指図しているのは、長身で半眼の男だ。
歳の頃は二十代中頃だろうか。橙色の髪の合間から弓張月のようなツノが生えていたが、右に二本という偏った生え方だ。バランスを取るためだろうか、左側だけ髪が長く、細く三つ編みを垂らしている。
袖口の広がった白い長袖シャツに、赤地に茶と緑で蔦のような柄が入ったベスト。
下は細身のピタッとした黒のズボンに黒のブーツを履いている。
大男は三十代中頃か、褐色の肌をしていて、彫りの深い顔にキリリとした太い眉。髪は刈り上げてあり短かったが、もみあげと顎髭だけは伸ばしてあった。ツノは二本。左右に生えている。こちらの服装は意外にも上下揃いの黒いスーツにネクタイ姿だ。
長身の男が、腕輪の男に蔑みの言葉を投げる。
内容までは聞き取れなかった久居と違って、リルの表情にはハッキリとした嫌悪感が浮かぶ。
リルに、衝動的に動かないよう、声をかけるべきか久居が一瞬迷ったその隙に、リルは飛び出した。
「そのおじさんを離せ!」
叫ぶリルにぐんと手を引かれて、久居も敵に姿を晒す。
こうなった以上やるしか無い。覚悟とともに、久居は片手に持っていた植木鉢を、長身の男に向けて投げつけた。
「なんだテメェら!」
叫び返す長身の男が、飛んできた植木鉢を片手で払い落とすも、土が散らばり視界を奪われる。
「離せばこいつはすぐに死ぬが、いいのか?」
不敵に笑う大男の言葉に、腕輪男は震え上がった。
腕輪男の肩を掴んでいた大男は、そのまま腕輪男ごと後ろに跳ぶ。
「ひぃぃ」
腕輪男は、肩を掴まれた状態で宙吊りになっている。
「リル、あの人はおそらく人間です。鬼の炎が無くては、この温度では……」
「っ、でも、やめさせなきゃ! まだ生きてる人がいるのに!」
リルの叫ぶような言葉に、久居はリルの焦りの理由を知る。
(しかし、それを言ってしまっては……)
「殺り残しがいたか。おい、もう一度熱気だ」
肩を掴んでいた大男が、そう言って腕輪の男を地に立たせる。
「ダメだよっ!!」
リルが叫ぶが、腕輪の男は一瞬もたついた後、従順に熱気を放った。
ほぼ同時に、植木鉢を払った方の男がリルに迫る。
久居がリルの前に出て、細長い棒状の何かで男を跳ね返す。
リルは、立ち止まらずに腕輪男に向かう。
リルに引っ張られる形で、久居は土を被った男と対峙したまま、距離を取る事になった。
「おじさん! もうやめて! まだちっちゃい子も、女の人も生きてるのに!」
涙の滲むような悲痛な声でうったえるリルが、腕輪の男に手を伸ばす。
縋るように見つめられて、腕輪の男が明らかに狼狽える。
(せめて、リルが大男の射程に入る前に、長身の男を牽制しなければ……)
焦る久居が、横一閃に腕を振り、針のようなものを土を被った男に投げつける。
久居は、背後に障壁を出しつつ、リルの眼前に迫る大男に向き直った。
「チッ」
針を投げた方向から舌打ちが届く。少しは時間が稼げただろうか。
大男は、リル目掛けて赤々と燃える炎を纏った拳を打ち下ろす。
「くっ」
久居はその拳を力で作った刀で受ける。
久居の手にしっくりとなじむその刀は、カロッサに教わった技術で、久居が生み出した新たな技だった。
拳と刀が打ち合うと、刀が溶けて蒸発するような嫌な音がした。
久居が渾身の力を込め、握る刀に出来る限りの強度を注ぐ。
受ける事は出来たものの、ぐぐぐと上から押さえられ、片手ではどうしても堪えきれない。
「リル! 避けてください!」
「っ…………っ嫌だ!!!」
リルの叫びと共に、リルと久居を包んでいた炎が大きく広がる。黄味がかった白い炎に包まれて、溶けかけていた久居の刀が形を取り戻す。
と、嫌な音を立てて、男の拳が燃え焦げる。
ひたすら真っ直ぐに伸ばされ続けたリルの手が、ようやく腕輪の男に届いた。
「こんなこと、よくないよ……」
涙声のリルが腕輪にそっと触れると、男はひどく狼狽えた。
「わ、私だって分かっている! だが、こうするしかないんだ!!」
悲痛な腕輪男の訴えは、その肩を掴む大男の叫びでかき消える。
「ふっざけるな、ガキがっ!!!」
大男は焦げた拳に、より大きな炎を燃え上がらせる。
狙いはリル。と見せかけて、その軌道が逸れた。
久居が辛うじてリルの腕を引き、直撃を避ける。
が、二人を繋いでいた首巻きは、ボッと音を立てて燃え落ちた。
そこへ横から蹴りが襲う。
大男の巨体から放たれた蹴りは、久居が刀で受けはしたものの、衝撃までは殺しきれない。
吹き飛ばされる久居。
手を繋いでいたリルも共に吹き飛ぶ。
久居は刀を消し、空中でリルを胸に抱え、背から民家の壁に激突した。
背中に張っていた障壁が割れ、あちこち擦り傷は出来たものの、動けない程ではない。
久居はリルを支え立たせると、立ち上がる。
「お前、鬼じゃないだろ?」
長身の男がニヤリと笑って言うと、一瞬で間合いを詰めてくる。
その手には炎を纏わせた刃、深く反った幅広の剣があった。
長身の男が振り下ろす刃を久居が刀で受け流す。
刃の擦れ合う音が、炎のバチバチと弾ける音に混ざり込む。
「今、その腕ごと切り落としてやるよ」
敵は当然のように、リルと久居の繋ぐ腕を狙う。
この状況では、久居の弱点は明らかだった。
久居は何度目かの斬撃を辛うじて弾き返すが、やはり片腕では厳しい。
歯軋りする久居に、両腕で刃を振るっていた長身の男がそれを片手に持ち、振り下ろす。
久居が刀で受け止めた瞬間、空いた男の左手に二本目の刃が生まれた。
リルの腕を目掛け、薙ぐ刃。
この速度では、刃が溶けきる前に腕に届くーー。
久居は咄嗟に、リルを反対側に押し出すようにして、繋いだ手を解いた。
「久居!」
「え?」
リルが不意に足を止めたので、手を繋いでいた久居もそれに引っ張られ、手が離れるギリギリのところで立ち止まる。
内心、冷や汗ものの久居だったが、リルの次の言葉で臨戦態勢を取った。
「誰か話してる、冷やし方が強すぎるって、誰か……怒られてるみたい……?」
「やはりまだ、いましたか」
久居が、予備の首巻で手早くリルと自身の手を縛る。これで多少動いても手が滑る事はないだろう。
「痛くはありませんか?」
「うん、大丈夫」
炎の膜に隔てられ、ぼんやりとした感覚ではあるが、確かに熱気の合間に冷気が混ざるのを感じる。
「相手はまだボク達のこと気付いてないみたい」
「このまま、なるべく距離を詰めましょう」
久居は、通りすがりに近くの民家の前に並んだ植木鉢を、一つ拝借する。
気配消しの術には土が必要だ。
村の中はほとんど無舗装の土の道だったが、念のために、久居は鉢を一つ掴んでおいた。
村の中央。開けた広場に敵はいた。
広場に繋がる道の隅には、園芸品を売るための店舗を兼ねた荷車が置かれている。
その後ろに、二人は身を潜めた。
もう相手にも声が届く範囲だろう。
だが、まだ飛びかかるには距離がありすぎる。
リルと久居は相手の様子をじっと伺う。
敵は、見る限り三人いた。
その中の、真ん中に立つ痩せた男が、腕輪を付けている。
クリスの時と違うのは、腕輪を付けた男より、赤い炎を纏わせてその男の肩を無造作に掴んでいる筋骨隆々の大男と、その反対側から指示を出す背の高い男の方が、あからさまに偉そうなところだ。
腕輪の男は、三十歳ほどだろうか。癖のあるクルンとした黒髪を、後ろだけ伸ばして臙脂色の長い布で蝶結びにしてある。
黒に近い深緑の上着の胸元は大きく開いていて、白いシャツの襟にはたっぷりと布が巻いてあった。
深い鼠色のズボンに茶色のブーツ。
そこらの村人よりはよっぽど良い物を身に付けてはいたが、その疲れ切った様子に、威厳は微塵も感じられなかった。
冷気をもっと少しずつ、広範囲に広げろと指図しているのは、長身で半眼の男だ。
歳の頃は二十代中頃だろうか。橙色の髪の合間から弓張月のようなツノが生えていたが、右に二本という偏った生え方だ。バランスを取るためだろうか、左側だけ髪が長く、細く三つ編みを垂らしている。
袖口の広がった白い長袖シャツに、赤地に茶と緑で蔦のような柄が入ったベスト。
下は細身のピタッとした黒のズボンに黒のブーツを履いている。
大男は三十代中頃か、褐色の肌をしていて、彫りの深い顔にキリリとした太い眉。髪は刈り上げてあり短かったが、もみあげと顎髭だけは伸ばしてあった。ツノは二本。左右に生えている。こちらの服装は意外にも上下揃いの黒いスーツにネクタイ姿だ。
長身の男が、腕輪の男に蔑みの言葉を投げる。
内容までは聞き取れなかった久居と違って、リルの表情にはハッキリとした嫌悪感が浮かぶ。
リルに、衝動的に動かないよう、声をかけるべきか久居が一瞬迷ったその隙に、リルは飛び出した。
「そのおじさんを離せ!」
叫ぶリルにぐんと手を引かれて、久居も敵に姿を晒す。
こうなった以上やるしか無い。覚悟とともに、久居は片手に持っていた植木鉢を、長身の男に向けて投げつけた。
「なんだテメェら!」
叫び返す長身の男が、飛んできた植木鉢を片手で払い落とすも、土が散らばり視界を奪われる。
「離せばこいつはすぐに死ぬが、いいのか?」
不敵に笑う大男の言葉に、腕輪男は震え上がった。
腕輪男の肩を掴んでいた大男は、そのまま腕輪男ごと後ろに跳ぶ。
「ひぃぃ」
腕輪男は、肩を掴まれた状態で宙吊りになっている。
「リル、あの人はおそらく人間です。鬼の炎が無くては、この温度では……」
「っ、でも、やめさせなきゃ! まだ生きてる人がいるのに!」
リルの叫ぶような言葉に、久居はリルの焦りの理由を知る。
(しかし、それを言ってしまっては……)
「殺り残しがいたか。おい、もう一度熱気だ」
肩を掴んでいた大男が、そう言って腕輪の男を地に立たせる。
「ダメだよっ!!」
リルが叫ぶが、腕輪の男は一瞬もたついた後、従順に熱気を放った。
ほぼ同時に、植木鉢を払った方の男がリルに迫る。
久居がリルの前に出て、細長い棒状の何かで男を跳ね返す。
リルは、立ち止まらずに腕輪男に向かう。
リルに引っ張られる形で、久居は土を被った男と対峙したまま、距離を取る事になった。
「おじさん! もうやめて! まだちっちゃい子も、女の人も生きてるのに!」
涙の滲むような悲痛な声でうったえるリルが、腕輪の男に手を伸ばす。
縋るように見つめられて、腕輪の男が明らかに狼狽える。
(せめて、リルが大男の射程に入る前に、長身の男を牽制しなければ……)
焦る久居が、横一閃に腕を振り、針のようなものを土を被った男に投げつける。
久居は、背後に障壁を出しつつ、リルの眼前に迫る大男に向き直った。
「チッ」
針を投げた方向から舌打ちが届く。少しは時間が稼げただろうか。
大男は、リル目掛けて赤々と燃える炎を纏った拳を打ち下ろす。
「くっ」
久居はその拳を力で作った刀で受ける。
久居の手にしっくりとなじむその刀は、カロッサに教わった技術で、久居が生み出した新たな技だった。
拳と刀が打ち合うと、刀が溶けて蒸発するような嫌な音がした。
久居が渾身の力を込め、握る刀に出来る限りの強度を注ぐ。
受ける事は出来たものの、ぐぐぐと上から押さえられ、片手ではどうしても堪えきれない。
「リル! 避けてください!」
「っ…………っ嫌だ!!!」
リルの叫びと共に、リルと久居を包んでいた炎が大きく広がる。黄味がかった白い炎に包まれて、溶けかけていた久居の刀が形を取り戻す。
と、嫌な音を立てて、男の拳が燃え焦げる。
ひたすら真っ直ぐに伸ばされ続けたリルの手が、ようやく腕輪の男に届いた。
「こんなこと、よくないよ……」
涙声のリルが腕輪にそっと触れると、男はひどく狼狽えた。
「わ、私だって分かっている! だが、こうするしかないんだ!!」
悲痛な腕輪男の訴えは、その肩を掴む大男の叫びでかき消える。
「ふっざけるな、ガキがっ!!!」
大男は焦げた拳に、より大きな炎を燃え上がらせる。
狙いはリル。と見せかけて、その軌道が逸れた。
久居が辛うじてリルの腕を引き、直撃を避ける。
が、二人を繋いでいた首巻きは、ボッと音を立てて燃え落ちた。
そこへ横から蹴りが襲う。
大男の巨体から放たれた蹴りは、久居が刀で受けはしたものの、衝撃までは殺しきれない。
吹き飛ばされる久居。
手を繋いでいたリルも共に吹き飛ぶ。
久居は刀を消し、空中でリルを胸に抱え、背から民家の壁に激突した。
背中に張っていた障壁が割れ、あちこち擦り傷は出来たものの、動けない程ではない。
久居はリルを支え立たせると、立ち上がる。
「お前、鬼じゃないだろ?」
長身の男がニヤリと笑って言うと、一瞬で間合いを詰めてくる。
その手には炎を纏わせた刃、深く反った幅広の剣があった。
長身の男が振り下ろす刃を久居が刀で受け流す。
刃の擦れ合う音が、炎のバチバチと弾ける音に混ざり込む。
「今、その腕ごと切り落としてやるよ」
敵は当然のように、リルと久居の繋ぐ腕を狙う。
この状況では、久居の弱点は明らかだった。
久居は何度目かの斬撃を辛うじて弾き返すが、やはり片腕では厳しい。
歯軋りする久居に、両腕で刃を振るっていた長身の男がそれを片手に持ち、振り下ろす。
久居が刀で受け止めた瞬間、空いた男の左手に二本目の刃が生まれた。
リルの腕を目掛け、薙ぐ刃。
この速度では、刃が溶けきる前に腕に届くーー。
久居は咄嗟に、リルを反対側に押し出すようにして、繋いだ手を解いた。
「久居!」
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