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第二部

16話 四つの腕輪(中編)

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「わぁーいっ」
リルの弾む声に、空竜はブワッと空色の毛を逆立てると一目散に逃げ出した。
飛び立った瞬間の空竜に、普段よりずっと俊敏な動きでリルが飛び付く。
「くーちゃん久しぶりーーっ」
ガシィッと音が聞こえそうなほどにガッチリとホールドされて、白目をむく空竜の口から「キュィィィィ」と儚げな声が漏れた。
「会いたかったよー……」
ふかふかの空色に顔を埋めて、リルが告げる。その声が滲んで聞こえて、空竜はリルの顔を見た。

ぎゅっと閉じたリルの目尻にじわりと浮かんだ涙。
それを、空竜は舌を伸ばしてペロリと舐めた。
リルは驚いたように空竜を見て、それから感極まったように瞳を潤ませる。
空竜は、とても嫌な予感がした。
リルは空竜の予想通り、さらにむぎゅうううと空竜を抱きしめる。
「ギュイィィィィィィィィ!!」
という空竜の断末魔を聞きながら、久居は苦笑した。

離れていた間、リルは頻繁に空竜の心配をしていた。
街に連れて入っては目立つからと、街の外で待機をしていた空竜が、ちゃんとご飯を食べているだろうか。と。
雨が降れば、濡れていないだろうか。
夜になれば、寂しくないだろうか。
そう心配するリルの方が、随分と寂しそうだったと、久居は思う。

二人と一匹は、再会を喜び合い、カロッサの元へと戻った。

----------

「以上がこの度の報告となります」
「そう……良くわかったわ。四環を狙ってきたのは、その鬼ね……」
久居の報告に、カロッサの表情が暗く沈む。
もしかしたら、カロッサにはその鬼についての心当たりがあるのかも知れない。
久居は何とはなしにそう感じつつも、それはまだ尋ねるべきではないと判断し、別の質問をした。
「……四環と呼ばれる物について詳しくお伺いしても良いでしょうか」
「ええ」
と返事したカロッサが、久居を見下ろして、ほんの少し言いにくそうに告げる。
「……その前に、椅子に座ってもらえるかしら? 何だか私まで座れないわ」
久居は慣習からか、カロッサの前で床に膝を付いて報告をしていた。
「それは申し訳ありませんでした」
謝罪しつつ、久居はカロッサに示された椅子を引いた。
「四環はね、正しくは大気の四環って言うんだけど、天候に関わる事象を操る事ができる四つの腕輪の事を指しているの」
カロッサが同じテーブルに着きながら説明を始める。
「これを見てくれる?」
カロッサの女性らしい柔らかな手で、卓上に今度は四つの腕輪の絵が広げられた。
「今回見たのが風と雲ね。あとは、雪と陽があるんだけど……」
カロッサが最初に指した二つは確かにクリスの付けていた斜めに風を示すような流線が彫刻された腕輪と、あの青年から取り返した流れるような雲の彫刻が施されていた腕輪だった。
雪と陽と言われたものは、雪の方は雪の結晶のような柄が彫刻されていて、陽と言われたものは陽炎が揺らめくような柄をしている。
四つとも、形そのものはぽってりと厚みのあるシンプルな腕輪で、同じ形をしているようだ。
「この雪と陽が、どうやら昨日、その鬼の仲間に持ち去られたみたいなのよね……」
カロッサの言葉に、久居は僅かに眉を寄せる。
あの少年鬼に言われた言葉が胸に蘇った。
『四環はしばらく預けておく……』
声をかけられてから振り返るまで、酔いのためいつもより手間取ったとはいえ、それほどの時間は無かったはずなのに。
あの一瞬で、気配……むしろ存在までもがプツリと途絶えたように感じた。
あれだけ近い距離で、完全に見失うなんて事は、久居の経験上初めての事だ。

「悪いんだけど、もう一度お使いを頼んでもいいかしら」
カロッサの言葉に、久居は胸の前で固く手を握りしめると、頭を下げて答えた。
「はい……」
(菰野様……。どうか、今しばらくお待ちください……)
久居は、今は遠く離れてしまった菰野の事を強く想う。
主人のためならば、久居はどこへだって行き、何だってするつもりでいた。

「クリスのとこに、また行くの?」
空竜と遊んでいた……と言うより、空竜で遊んでいたリルが、ヘトヘトの空竜を腕に抱えたまま声をかけてくる。
「今度はボク達の事、話してもいい?」
そんなリルにカロッサは若干引き攣った笑顔を向ける。
「ええと、次は別の腕輪のところへ行ってもらおうと思ってるんだけど……。私の話聞いてた?」
「え? じゃあクリスにはもう会えないの?」
キョトンと聞き返されて、カロッサの頬に汗が滲む。
「ええ……」
「そっちに行く前に、クリスに会いに行ってもいい?」
「ごめんなさいね、あまり時間に余裕がないのよ」
「えー……」
不満げな声を上げるリルを、久居が窘める。
「リル、我儘を言ってはいけませんよ」
宥めるように頭を撫でられて、リルは久居に頼るような視線を投げる。
「久居……」
見上げられて、久居が優しい表情になる。
「次の仕事が終わったら、私が一緒にクリスさんのところまでお付き合いしますから」
「ほんと?」
嬉しそうなリルの声に、久居が答える。
「はい」
「絶対だよっ、約束だからねっ」
リルは、久居の服の端を両手で握り締めて、一生懸命にうったえる。
久居は、短いながらも心を込めて答えた。
「はい」
「あら?」
カロッサの不思議そうな声に、久居が向き直る。
「リル君は耳が消せるようになったのね」
言われ、ギシッと音を立ててリルが固まった。
「え?」
予想外の反応に、カロッサが不思議そうな顔をする。
リルは、うるり。と目に涙を浮かべた。
「耳……出てこなくなっちゃったの……」
半べそで告げるリルに、カロッサがまた顔を引き攣らせた。
「ちょっと目を閉じてみて」
「こう?」
カロッサに言われるまま、リルが目を閉じる。
「わっ!!」
「ひゃぅっ」
突然のカロッサの大声に、驚いた途端、リルの両耳が姿を現した。
「出るじゃな……」
カロッサの言葉が終わるよりも早く、その耳はまた消えてしまう。
それを見て、カロッサの表情に険しいものが差し込んだ。
「うーん……リル君は、常に力を抑え続けようとしてしまっているみたいね」
言われたリルは「そーなの?」と首を傾げているが、その隣で久居はそっと胸を痛めた。
(リル……)

「気にする事はないわ。音の聞こえは問題ないんでしょ?」
カロッサの言葉に、リルが少し困った顔をする。
「うん……。けどお風呂で困るよー」
「え?」
「顔にね、じゃばーって水かかるのー」
リルの言葉に、カロッサが慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと触ってもいいかしら?」
「うん」
カロッサが手で触れてみると、リルの耳があったはずの場所には、耳らしき感触は全く無かった。
(ホントに無い……)
カロッサは小さく息を呑む。
(私みたいに不可視にしてるわけじゃない……。リル君はもう、内包できるんだわ……)
そっと手を離すカロッサに、リルが尋ねる。
「ねぇ、どうしたらいいのかなぁ?」
「それはもちろん、力の抑制を解けばいいんだけど……」
リルは、困った顔でカロッサを見上げている。
カロッサは、椅子に座り直しながら言う。
「できないのよね?」
「うんっ」
コクリッと音が聞こえそうなほどに、リルが思い切り頭を縦に振るのを、隣で久居が心配そうに見つめている。
カロッサは、完全に内包されている耳を見ながら思う。
(こういう事ができるなら、やれないはずは無いと思うんだけど……)
「ちょっと私と練習してみる?」
聞かれてリルがほんの少し躊躇うように、尋ねた。
「……怖くない?」
「え、私!? そんなスパルタに見える!?」
思いもよらなかったリルの言葉に、カロッサが衝撃を受けていると、リルの隣から久居がそっと補足する。
「リルは、自身の力に恐怖を覚えているようなのです……」

(なるほどね)
カロッサは納得する。
今回、その怖い力を使ったせいで、さらに強く抑え込んでしまったということだろうか。
(うーん。これは結構手強そうだわ……)
口元に手を当てて考え込むカロッサの前で、リルはテーブルの上のお菓子に手を伸ばしている。
「久居ー、お菓子食べてもいいー?」
「それは私ではなくカロッサ様に伺ってください」
そんな二人に「遠慮なく食べてちょうだい」と返事をするカロッサへ、久居が慎重に声をかけてくる。
「あの、もしご迷惑でなければ、私も見ていただきたいのですが……」
久居は、内心焦りを感じていた。
このままでは、あの少年鬼に太刀打ち出来ないと。
もっと腕を磨かなければ、と切に思うものの、日々の自己鍛錬の繰り返しでは、次に会うまでにあの鬼と対等になれるとはとても思えなかった。
「え? 私は攻撃とかそういうのはちょっと……」
久居に真剣な眼差しで見つめられ、分野外のカロッサがたじろぐ。
「いえ、その、制御を……」
けれど、久居の口からは意外な言葉が出てきた。
「制御? リリーに教わってたんじゃないの?」
「リリー様とは基本的に離れて生活していたので……」
「あら、そうだったの……って、じゃあクザンからしか教わってなかったわけ!?」
カロッサが叫ぶ。ガタンと椅子から立ち上がり、全力で。
「あの力押ししか知らない奴に!?」
「え、ええと……」
久居が、師であるクザンのフォローをしようと言葉を探す。
「そんなことは……」
久居は力押しでない彼の姿を思い浮かべようと試みる。

いつだったか、壕に取り残された沢山の魂を送ることになり、結界で囲んで持久戦になったことがあった。
『いいか、久居、相手は数が多い。持久戦だからな、忍耐が大事だぞ』
クザンはそう言っていたはずだ。
だが結果はどうだっただろうか。
それから数時間、蝶を追いかけて遊んでいたリルも遊び疲れて眠ってしまった頃。
クザンのイライラはピークを迎え、耐えきれずに叫んだ。
「あ゛ーーーーーーっっもう全員まとめてかかってこいっ! 俺が一人残らずぶっ飛ばしてやるぜ!!」
せっかく囲った結界をわざわざ破って、相当数の魂をクザンは一人で全部相手にしていた。

結局、久居はクザンの力押しでない姿を記憶の中に見出せず、肩を落として言葉を繋げた。
「な……い……こともないですが……」
「でしょ?」
カロッサは、久居の隣で饅頭を大切そうに両手で握ってあむあむと頬張っている幸せそうなリルを見ながら言う。
「リル君がこんななのも納得だわ」
言われて、リルがキョトンとカロッサを見る。
「とにかく、私で良ければ手伝うから、早いとこ練習を始めましょ」
カロッサの言葉に、久居は深く頭を下げた。
「ありがとうございますっ!!」
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