50 / 206
第二部
14話 金と白(前編)
しおりを挟む強風の吹き荒れる中、リルは、鍋……もとい帽子が吹き飛ばないように押さえていた。
クリスが右手で左手首の腕輪を押さえたまま、腕を振る。
それに応えるように、風はふわりと霧散した。
後には、風に煽られ吹き飛んだコートの男達が、壁に押し付けられるようにして倒れている。
街路樹も、強風の直撃を受けたものは皆無惨な姿になっていて、根こそぎ抜かれて飛んだものもあった。
(すごい威力だ……)
リルは、しんと静まり返ったその場で、ごくりと唾を飲んだ。
リルを背に庇うように立っていたクリスは、肩で息をしている。
すっかり上がった苦しげな呼吸音が、リルにはよく聞こえていた。
「クリス……、大丈夫……?」
返事も辛いかもしれないと思うと、ほんの少し躊躇われたが、リルがそっと声をかける。
クリスはその声にハッと我に返ると、リルの手を掴んで駆け出した。
「今のうちに逃げるわよっ!!」
走る二人に、牛乳も続く。
(とにかく、久居さんのところまで戻って……)
と、クリスが考える間もなく、周囲にどこからともなく水が湧いた。
ゴボゴボと音を立て、水は勢いよく足元から二人と一匹を包み込む。
(これは……!!)
クリスはその姿を探す。
見回すクリスの視界へ、淡い金髪の青年が姿を現す。
青年は、土地の者なのか、白のシャツに緑のベスト、赤いリボンタイを柔らかく結んでいた。
身なりはシンプルだったが、縫い目や布の光沢から、良い品を身につけている事は間違いない。
青年は、腕輪の威力に酔いしれるように、口元を上げて言った。
「こっちもさ、そう毎回逃げられるわけにはいかないんだよ」
クリスの求めていたそれは、見知らぬ青年の手首で確かに煌めいた。
(『雲』だわ!!)
この場に姿を見せた雲に、誰より衝撃を受けたのは、三階建ての家屋の屋根から様子を見ていたフードの少年だった。
(あいつ!! 四環を勝手に持ち出したのか!!)
コートの男達の様子を見に来た少年は、あまりに信じたくない光景に、眼を覆いたくなる衝動を何とか堪えて、奥歯を噛み締める。
水の中でもクリスは慌てる様子なく、自分の腕輪に手を添え、力を操る。
内から巻き起こった風に、水の塊は派手に弾け飛んだ。
水音と共に辺りに撒き散らされた水。
それに混じって、べちょっとリルが顔から地面に激突する。
牛乳は、リルの横へスタッと着地した。
水を飲んでしまったのか、地面に座り込みゲホゲホと涙目で咳き込むリルの隣で、牛乳が全身を振るった。
水飛沫を全身で浴びて、リルがさらに半べそになっている。
「二人とも大丈夫?」
クリスの声に『当然だぜっ』と言わんばかりに「にゃあっ」と牛乳が答える。
「うん……一応……」とリルは涙混じりに答えた。
二人の様子にホッとするクリスには、どことなく余裕があった。
一方で、フードの少年は焦りの色を濃くしている。
(あのバカが!! 雲じゃ風に勝ち目は……っ!!)
雲の腕輪を構えた金髪の青年が、もう一度雲へと意識を集中させる。
「くっ」
青年の願いに応えるように、青年の周囲に五本の水柱が現れる。
一本ずつがそれぞれ巨木ほどはありそうな水柱を背に、青年は不敵に笑った。
その迫力に、リルが慌てる。
クリスの後ろにいるリルには、クリスの表情は見えていない。
フードの少年は、それを憎々しげに見下ろし、歯軋りした。
(チッ、こんな大技使ったら、奴らに気付かれるだろ!!)
胸の中で膨れ上がる焦りが、少年の鼓動を速める。
地上は、奴らに監視されてる。奴らはどこにだってやってくる。
少年の記憶の中で、母の温もりが蘇る。
奴らの刃から、少年を庇おうと飛びついてきた母。
温かな体温と、柔らかい母の匂い。
飛び散った赤は、母の命の雫だった。
母に罪なんて無かった。
奴らに協力しただけだ。感謝されてもいいくらいだ。
奴らは、分かっていながら、母を斬った。
母は、何度斬られても、俺を離さなかった。
ぎゅっと、さも大切そうに、俺の頭を抱え込んで。
一刀ごとに、母の匂いに混じる血の匂いは濃くなり、少年の視界が真っ赤に染まってゆく。
「くそっ!!」
少年は激しく頭を振って、赤い記憶を振り払った。
(今は考えるな!!)
眼下では、水の柱が一本残らず、クリスの生み出した風に吹き飛ばされていた。
散らされた水の粒が風に舞う。
「くっ」
金髪の青年は、吹き飛びそうになりつつも、何とか耐えていた。
(とにかくこっから離れねぇと……)
フードの少年は、そんな青年に見切りをつけ、ローブを翻す。
(地上では探られる可能性があるか。……一回潜るしかないな)
家々の屋根の上を飛び移る少年の目に、路地を駆ける先程の黒髪青年の姿が飛び込んだ。
少年は進路を変えると、青年目掛けて飛び降りる。
久居は、リルのもとへ急いでいた。
不意に現れたフード少年の姿に、久居は目を見開いて振り返る。
すれ違い様、二人は一瞬視線を交わした。
「四環はしばらく預けておく。すぐ取りに行くが、な」
言葉と共に、何かが沈み込んでいくような、耳慣れない音がした。
全力で走っていた久居が、体勢を立て直し振り返った時には、少年の姿は無かった。
路地は、何一つ少年の痕跡を残さず、しんと静まり返っている。
(……四環というのは……?)
急旋回の拍子に解けた首巻きを肩に戻す久居の元に、ゴウッと強風が届く。
(リル!!)
久居はまた駆け出した。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
愛し子
水姫
ファンタジー
アリスティア王国のアレル公爵家にはリリアという公爵令嬢がいた。
彼女は神様の愛し子であった。
彼女が12歳を迎えたとき物語が動き出す。
初めて書きます。お手柔らかにお願いします。
アドバイスや、感想を貰えると嬉しいです。
沢山の方に読んで頂けて嬉しく思います。
感謝の気持ちを込めまして番外編を検討しています。
皆様のリクエストお待ちしております。
白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる