鳥に追われる

白木

文字の大きさ
上 下
47 / 94
第二章 選別の船

僕の敵

しおりを挟む
オオミ


 廊下を歩いている間、アオチさんはずっと無言だった。

 僕が嫌になって、あっちの船に行く、なんて言い出さないだろうか。

「ビュッフェですよ、凄いな。アオチさんもお腹空きましたよね」

 場違いに明るく言って後悔した。自分の声が誰もいない広い食堂に憐れに響いたからだ。そもそも僕は普段から陽気とは程遠いキャラだ。

 アオチさんが「うん」とだけ静かに返事をして、料理を覗き込んだ。

「……すごいな。誰が作ったんだ」

 良かった。いつものアオチさんの声に戻った。

「俺だよ」

 後ろから回収人の声がした。

「お前、凄いな。何でもできるんだな」

「ああ、好みを知らないから適当に作った。勝手に食べてくれ」

 適当に作ったとは思えない料理が二十種類ほど並んでいた。

「急に食欲が湧いてきたよ」

 アオチさんが、ふちに金色の繊細な模様が付いた真っ白な皿を手に取って嬉しそうに言った。

 僕にも皿を渡してくれた。冷たいはずのそれがじんわり温かく感じて泣きそうになる。

 ――向こうの船ではきっと皿さえ無機質な銀色で、栄養さえ取れれば良いというような味のない食べ物が乗っかっているに違いない。心の中で少し勝ち誇って、窓の外の隣の船の明かりを見た。

「気を取られるな。大事な物のことだけ考えていろ」

 回収人が僕の肩に手を置き、小さな声で素早く言った。

 この人には僕の心の中なんて絵本のように鮮やかに読めてしまっているに違いない。

 一皿目は僕の好きな人参の入っていないカレーにほかほかの白いご飯をよそって、カレーライスにした。

 アオチさんは何だろう。興味本位で覗くと、ハンバーグが四つのっていた。どれだけ好きなんだ。

 皿がもっと大きければ、四個どころじゃすまなかったはずだ。

 それにしても焦げ目まで美味しそうなハンバーグだ。僕もカレーを食べ終わったら試したい。それにあっちのパリパリしていそうな春巻きも食べたいし、僕の好きなピザの匂いまでする。 クアトロ・フォルマッジだ。何だかくどいものばかりだけど、少しも嫌な感じがしない。子どもの頃から好きな物ばかりで、死ぬ前に何を食べたいか聞かれたら、迷わず答える料理が揃っている。

 アオチさんは意気揚々とテーブルに皿を置いて、既に飲み物を取りに行くところだった。

 僕も続かないと。何故だか涙が滲んだ。


 食事中は向こうの船の話をしなかった。

 回収人さんはお腹が空いていないのか、料理をしながら味見がてら済ませてしまったのか、黙って隣のテーブルに座り、僕らを眺めていた。

 食べているところをじっと見られるのは普段なら気分の良いものではないけれど、回収人さんには見られていても気にならない。

 むしろお母さんに守られているような安心感さえある。それが証拠に、僕らが「美味しい」と口にする度、回収人さんの目の横に、あの優しいシワができた。

 僕はこっちの船に残って本当に良かった。

 アオチさんは僕の好きな明るい声で、当たり前のように「連休明け」とか「夏には」とか言った。

 それ切なくて、涙がこぼれる前に席を立った。

 いきなり立ち上がってしまったので、後付けで「デザートを取ってきます」と言った声が自分の耳に籠って聞こえた。

「俺も」

 ついて来て欲しくないのにアオチさんまで立ち上がってしまった。勢いで言ったはいいが、大体デザートなんてあったけ? さっきまではメインの料理しか目に入らなかった。

「厨房の冷蔵庫に入ってるぞ」

 回収人さんがまたお母さんみたいなことを言った。

 冷蔵庫を開けてまた驚いた。

 僕の大好きなレアチーズケーキじゃないか。おまけにチーズタルトまである。回収人さんはどこで僕がチーズに目がないことを知ったんだ。

「おい、見ろよ、これ」

 冷蔵庫の隣に設置されていた冷凍ケースの中を覗き込んで、アオチさんが声を弾ませた。

「宝石みたいなアイスクリームだ」

 子どもみたいにどれを取るか悩んでいる姿が本当に生きていて、嬉しくなる。

「全部の種類、試したらどうですか? 明日、どっちに転んでも、今日食べた物のせいで不健康になることも、太ることも心配もしなくて良いんですから」

「確かにそうだな」

 笑うアオチさんには何の曇りもない。この人が新しい世界に行かないなら、次の世界は始まりから終わっている。

 持てるだけの甘い物を持って、テーブルに戻ると回収人さんが灯台みたいな目で僕たちを見た。今夜のような時間を一生漂っていたい。

「お前ら、良く食うな」

 回収人さんがそう言って立ち上がった。

「どこに行っちゃうんですか」

「どうした? そんなに寂しいか。食後の飲み物を入れてきてやるだけだよ」

「そんなんじゃ――そうですよ、寂しいんです。悪いですか。早く戻ってきてください」

 開き直った僕をアオチさんと回収人さんが笑う。

 この人たちがいたら僕は何もいらない。


 しばらくすると回収人さんが僕にロイヤルミルクティーを、アオチさんにホットココアを持って戻ってきた。

 この人が僕たちの好みを熟知していることにはもう驚かない。

 お礼を言って受け取った。

 ――そろそろ向こうの船の話をして良いだろうか。

 甘さを残さず、香りだけが口で溶けるロイヤルミルクティーを一口飲んで言った。

「僕は向こうの船のみんなと争うつもりです」

 二人が僕の顔を見た。それぞれ多分違う意味の悲しい表情をしている。隣の船の明かりが少しだけ強くなった気がした。

「そんなに怒ることないだろ。オゼは自分が新しい世界に行くことと、俺がこっちに残されることを伝えただけだ。あいつが決めたわけでもないのにかわいそうだ」

 アオチさんが窓を眺めて言う。自分に明日が無い事を、ちゃんと自覚しているのに、さっきまで明るい顔で将来の話をしていたの? 

「お前は気にせず新しい世界に行ってくれよ」

 いつもと全く変わらない声と表情で言うので、もうおかしくなりそうで、回収人さんへ目で助けを求めた。

 回収人さんが深く溜息をついた。

「お前、本当に甘えん坊だな。……まあいい、説明してやる」

 隣のテーブルから僕たちの方へ移動して来た回収人さんの手に銀色のグラスがあった。何を飲んでいるんだろう。

「別に良いやつが新しい世界に連れていかれるわけじゃないんだよ。生きる意志の強いやつだけが進むんだ。正しいとか間違えではない」

 回収人さんの声に悔しさが滲む。

「それじゃあアオチさんに生きる意志がないみたいじゃないですか。逆にオゼさんなんて、自分からこっちに残るって言ってたくらいです」

「そんな単純な話なら俺も苦労はしない。お前たちは実は死にたがっているんだよ。いや、否定したいのはわかる。これから説明するから少し大人しく聞け」

 僕たちは反論することなく頷いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう
ライト文芸
航空自衛隊第四航空団飛行群第11飛行隊、通称ブルーインパルス。 その五番機パイロットをつとめる影山達矢三等空佐の不本意な日常。 こちらに登場する飛行隊長の沖田二佐、統括班長の青井三佐は佐伯瑠璃さんの『スワローテールになりたいの』『その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー』に登場する沖田千斗星君と青井翼君です。築城で登場する杉田隊長は、白い黒猫さんの『イルカカフェ今日も営業中』に登場する杉田さんです。※佐伯瑠璃さん、白い黒猫さんには許可をいただいています※ ※不定期更新※ ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※ ※影さんより一言※ ( ゚д゚)わかっとると思うけどフィクションやしな! ※第2回ライト文芸大賞で読者賞をいただきました。ありがとうございます。※

ただあなたを守りたかった

冬馬亮
恋愛
ビウンデルム王国の第三王子ベネディクトは、十二歳の時の初めてのお茶会で出会った令嬢のことがずっと忘れられずにいる。 ひと目見て惹かれた。だがその令嬢は、それから間もなく、体調を崩したとかで領地に戻ってしまった。以来、王都には来ていない。 ベネディクトは、出来ることならその令嬢を婚約者にしたいと思う。 両親や兄たちは、ベネディクトは第三王子だから好きな相手を選んでいいと言ってくれた。 その令嬢にとって王族の責務が重圧になるなら、臣籍降下をすればいい。 与える爵位も公爵位から伯爵位までなら選んでいいと。 令嬢は、ライツェンバーグ侯爵家の長女、ティターリエ。 ベネディクトは心を決め、父である国王を通してライツェンバーグ侯爵家に婚約の打診をする。 だが、程なくして衝撃の知らせが王城に届く。 領地にいたティターリエが拐われたというのだ。 どうしてだ。なぜティターリエ嬢が。 婚約はまだ成立しておらず、打診をしただけの状態。 表立って動ける立場にない状況で、ベネディクトは周囲の協力者らの手を借り、密かに調査を進める。 ただティターリエの身を案じて。 そうして明らかになっていく真実とはーーー ※タグを変更しました。 ビターエンド→たぶんハッピーエンド

トイレのミネルヴァは何も知らない

加瀬優妃
ライト文芸
「ストーカーされてるんだよね。犯人探しに協力してくれない?」  ミネルヴァの正体を黙っててもらう代わりに、新川透のストーカーを見つける手伝いをすることになった莉子。  高校を辞め、掃除婦として光野予備校で働く天涯孤独の少女、仁神谷莉子には「トイレのミネルヴァ」というもう1つの顔があった。  そんな莉子の前に現れたのは、光野予備校の人気数学講師、新川透。 「……協力はいいけど、新川透がよくわかんない。フェロモンがハンパない上に行動が予測できない。誰か私に彼のトリセツをください……」 「そういうのは知らない方が楽しめるよ?」 「お前が言うな!!」 ※本編は4時間目で完結しました。 ※「放課後」は後日談です。短編連作。 ※表紙は「こんぺいとう**メーカー」で作成いたしました。

アラヒフおばさんのゆるゆる異世界生活

ゼウママ
ファンタジー
50歳目前、突然異世界生活が始まる事に。原因は良く聞く神様のミス。私の身にこんな事が起こるなんて…。 「ごめんなさい!もう戻る事も出来ないから、この世界で楽しく過ごして下さい。」と、言われたのでゆっくり生活をする事にした。 現役看護婦の私のゆっくりとしたどたばた異世界生活が始まった。 ゆっくり更新です。はじめての投稿です。 誤字、脱字等有りましたらご指摘下さい。

後宮の下賜姫様

四宮 あか
ライト文芸
薬屋では、国試という国を挙げての祭りにちっともうまみがない。 商魂たくましい母方の血を強く譲り受けたリンメイは、得意の饅頭を使い金を稼ぐことを思いついた。 試験に悩み胃が痛む若者には胃腸にいい薬を練りこんだものを。 クマがひどい若者には、よく眠れる薬草を練りこんだものを。 饅頭を売るだけではなく、薬屋としてもちゃんとやれることはやったから、流石に文句のつけようもないでしょう。 これで、薬屋の跡取りは私で決まったな!と思ったときに。 リンメイのもとに、後宮に上がるようにお達しがきたからさぁ大変。好きな男を市井において、一年どうか待っていてとリンメイは後宮に入った。 今日から毎日20時更新します。 予約ミスで29話とんでおりましたすみません。

食いしんぼっち(仮)

あおみなみ
ライト文芸
「去るまちも、行くまちも、桜はまだ咲かないけれど」 就職のため、生まれ育った街を離れ、ひとり暮らしをすることになった「私」。 地元の名物やおいしいものを思いつくまま食べて、ブログに記録し始める。 舞台背景は「2014年」を想定しています。

陽炎、稲妻、月の影

四十九院紙縞
ライト文芸
心霊現象が毎日のように起こる、私立境山高等学校。そんな学校で「俺」は幽霊として目を覚ましたが、生前の記憶を全て失っていた。このままでは成仏できない「俺」は、学校公認の霊能力者である朝陰月陽と協力関係を結び、彼女の手伝いをしながら、記憶を探すこととした。音楽室の幽霊、死神、土地神問題、校内を徘徊する幽霊、悪霊……様々な心霊現象と遭遇しながら、果たして「俺」は記憶を取り戻すことができるのか。

オレンジ色の世界に閉じ込められたわたしの笑顔と恐怖

なかじまあゆこ
ホラー
恐怖の同窓会が始まります。 オレンジ色の提灯に灯る明かりが怖い! 泊まりの同窓会に行った亜沙美は……ここから抜け出すことが出来るのか!帰れるの? 東京都町田市に住んでいる二十五歳の亜沙美は最近嫌な夢を見る。 オレンジ色の提灯に明かりがぽつんと灯りオレンジ色の暖簾には『ご飯屋』と書かれた定食屋。 包丁を握るわたしの手から血がぽたりぽたりと流れ落ちる。この夢に何か隠れているのだろうか? 学生時代のわたしと現在のわたしが交差する。学生時代住んでいたあるのは自然だけの小さな町に同窓会で泊まりで行った亜沙美は……嫌な予感がした。 ツインテールの美奈が企画した同窓会はどこか異様な雰囲気が漂っていた。亜沙美に次々恐怖が迫る。 早く帰りたい。この異様な世界から脱出することは出来るのか。 最後まで読んで頂けるとわかって頂けるかもしれないです。 よろしくお願いします(^-^)/

処理中です...