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第1話 狐塚町にはあやかしが住んでいる

01-4.

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 どちらにしても、狐塚町の中でも最大規模を誇る商店街の片隅で営業を続けている老舗豆腐専門店『芦屋』で造られている豆腐を使用した物には、敵わない。

「この油揚げはねぇ、狐塚様の御供え物なんだよ。狐塚様は、油揚げがお好きでねぇ。こうして、今朝、作った油揚げを持って来るんだよ」

 老婆は、穏やかな声で話しかける。

 酷く疲れたような顔からは、想像することも出来ない優しい声だった。

「お兄さんも、狐塚様にお願い事をしに来たのかい?」

 老婆の問いかけに、旭は応えなかった。

 何も言わない旭からは目を反らすかのように、老婆は、また眼を閉じる。

「……美弥が無事に帰ってきますように」

 それから、願いごとを何度も何度も繰り返す。

(行方知らずか。さて、どこに迷い込んだのか)

 先ほどまでの穏やかな声とは違い、苦しそうな、どこか淋しさが含まれた声で呟かれる願いごとを耳にした旭は、ようやく、袋に向けられていた視線を老婆に向けた。

 一方的な問いかけへの答えには、興味を示さなかった。

 ビニール袋の中身以上に興味をそそる話題ではなかったからである。

「美弥が無事に戻りますように」

 しかし、縋るような声で願いごとを呟いている老婆の姿を見てしまった以上は、気に掛けないわけにはいかなかった。

「……美弥、お願いだから、帰ってきてちょうだい」

 隣で願いごとを呟いている老婆の姿は、あまりにも、儚かった。

 悪戯にその心を踏み弄れば、老婆は狭間へ落ちてしまうだろう。

 いや、そのまま黄泉へと足を踏み入れてしまってもおかしくはない。

 それほどに、弱く、儚い存在へとなっている老婆を見ても、旭は、好物のことだけを考えていられる心を持ち合わせていない。

(人の子は、歳を喰うのが早いのだったな)

 狐塚稲荷神社の境内にありながらも、人の眼を欺くかのように安置されている“狐塚”。

 そこには、毎日、ビニール袋に入れられた油揚げが供えられている。

 その袋の中身は、必ず狐塚町を代表する豆腐専門店『芦屋』で作られている油揚げだった。それなのに、ここ数日は市販のものが置かれている。
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