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第二話 転生というものがあるのならば

10-1.届くことはないまま消えた「想い」の行く末

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 翌日、全ての貴族の元に届けられた皇帝陛下直々の手紙には、ローレンス・ルイス・オーデン皇太子殿下が廃嫡されたことが書かれていた。

 それに伴い、次男、ブラッド・ルイス・オーデン第二皇子殿下が皇太子殿下となると書かれていた。

 以前ではありえない話だ。

 婚約破棄をしたアリアの命を奪うことに異常な執着を見せていたローレンス様とエイダ嬢の企みは皇帝陛下の手で世間の目に晒され、アリアの公爵令嬢として背負わされた汚名をすすぐことができる。

 それらは皇帝陛下から届けられた私宛の手紙に書かれていた疑いようもない事実である。

 前世では死後もすすがれることのなかった汚名は、皇帝陛下のお言葉により綺麗なものへと変わった。

 人々の期待を裏切った悪役令嬢ではなく、婚約破棄をされた悲劇の公爵令嬢へと世間の噂は変わっていくことだろう。

 世間の目に晒されることには変わりはないが、それでも、屋敷に閉じこもっていなくては命の危機に晒されるようなことはないだろう。

 一体、なぜ、このようなことになったのか。
 手紙を受け取った時は前世とは全く違う展開となり、困惑が隠せなかった。

 なぜ、皇帝陛下はローレンス様を廃嫡にされたのか。

 前世では婚約破棄の一件の結末はアリアを処刑することにより収まっていた。前世でのローレンス様は一切の責任問題を問われなかったのだ。

 全ては公爵家が至らなかったとして片付けられていた問題だったのだが、今世ではこのような結末を迎えることになるとは、恐らく、誰も思わなかっただろう。

 もっとも、私以外には前世の記憶を取り戻すという不可思議な経験をしている者などいないだろうが。


* * *


 皇帝陛下からの手紙が届けられた翌日。
 それらは市民も手にすることができる新聞に堂々と掲載されていた。


 当然だろう。
 皇国の今後を揺るがすような一大事件なのだ。

 廃嫡されたローレンス様の行く末を案じるような言葉よりも、第二皇子であったブラッド皇太子殿下への期待の声の方が大きい。十七歳という若さで実力主義の騎士団に所属し、第三騎士団の副団長に大抜擢をされたのも全てかの人の実力を認められたからだと聞く。

 実際、訓練相手を務めさせていただいたことがあったが、私では歯が立たず、圧倒的な実力を見せられて敗北した。

 天才というのは、あのような御方のことを言うのだ。

 ローレンス様には大変申し訳なく思うが、ブラッド皇太子殿下の治世は皇国の名を世界中に轟かせるものとなるだろう。

 武力を重視している彼が頂点に君臨をすれば、今世も戦争が始まる可能性もある。しかし、無謀な真似はしないだろう。

 負け戦だとわかっているものには手を出さない人だ。


「お姉様――!!」

 階級を問わずに配られた新聞に目を通していると、扉を叩きもせずにアリアが部屋の中へと飛び込んできた。

 スプリングフィールド公爵家が手掛けている事業の機密情報や領地経営に関わる書面、皇家の方々に関する手紙等が厳重に管理されている執務室だというのにもかかわらず、扉の番をしているセバスチャンがアリアの侵入を止めなかったのは、彼女が手にしている新聞に気が付いたからだろう。

 アリアだからこそ礼儀作法に欠ける行いをしても怒ることはしないが、少々、不安になる。

 この子はいずれ決まるだろう嫁ぎ先でも同じような礼儀作法に欠けた行いをしないだろうか。心配で仕方がない。

 私がそのようなことを考えているとは、アリアは知らないだろう。

 可能ならばアリアと共に暮らしたいものだが、状況が変わればそのようなことばかりを言っていられないだろう。

「ローレンス様の皇位継承権が取り消されたと新聞が報じておりますの! 皇帝陛下の管理下にある筈の新聞がどうしてこのような記事を出しましたの!? ど、どうしてこのようなことになってしまわれたのですかっ!」

「そこまで理解をしているのならば、分かるだろう」

「いいえ、分かりませんわ! 分かりたくなどありませんわ!」

 なぜ、この子はこんなにも優しいのだろうか。

 幼い頃より慕っていたローレンス様から一方的な婚約破棄を告げられ、命さえも奪われそうになったというのにもかかわらず、まだ、ローレンス様を思って涙を流すというのか。

 その優しさは私には理解できない。

 恨めばいいのだ、自分を捨てたからこうなったのだと笑えばいい。
 そうすれば、手に入らないものに縋ることもなく先に進むことができるだろう。

 これが父と義母の教育の成果なのだろうか。

 それならば、これから先、スプリングフィールド公爵家の一員として生きていくのは厳しいだろう。

 危険な目に遭う前に安全な場所へと移動させるべきなのかもしれない。

 スプリングフィールド公爵家に生まれた者ならば、皇国に心身を捧げ、必要とされるのならばその命すらも惜しまない。この命が燃え尽きるその時まで全てを皇国に捧げ、皇帝陛下の治世を守り抜く。

 そのような人にならなくてはならないのだと、母は呪いのように言い続けていた。
 事実、皇帝陛下と皇后陛下の治世の繁栄を願い、息を引き取るような人だった。

 だからこそ、父は母を愛せなかったのだろう。
 個人ではなく国の為に生きる人を愛することができなかったのだろう。

 それを責めるつもりはない。父も悩んだのだろうから。

「お姉様、お願いですわ。ローレンス様をお助けくださいませ」

 婚約破棄という屈辱を受けても、ローレンス様を助けてほしいと乞うアリアの姿が二つに重なって見える。忘れることは許さないと囁くかのように私の中に残り続ける前世のアリアの姿が見えた気がした。

「ローレンス様はあの女に騙されていただけなのですわ。きっと、今頃、お一人で苦しんでいられます」

 前世を思い出す。
 あの時、処刑を告げられても、アリアはローレンス様の身を案じていた。

 自分の命よりもローレンス様を大切にしていたのだ。

 それならば、そのような自身の死を回避することができたアリアがローレンス様の身を案じるのは、当然のことなのかもしれない。

 幼い頃から慕い続けた相手というのは、どのような別れを告げられても忘れられないものなのだろう。残念ながら、私にはアリアがそれほどにローレンス様を恋い慕う気持ちは理解できない。

「なぜ、ローレンス様を庇おうとするのだ。あの方は皇位継承権を失ったのだ。一か月の謹慎処分を受け、あの方は皇太子としては相応しくない振る舞いをし続けた。皇帝陛下は皇国の未来を考え、あの方の身分を剝奪した。その切っ掛けはアリアとの婚約破棄にあると考えるのは間違いではない。だけどね、それはあの方が引き起こしたことなのだ。お前にはなにも非はない。それは皇帝陛下と皇后陛下が証明してくださっただろう」

 婚約破棄をせずにアリアと共にあり続けようとしていたのならば、ローレンス様はなにも失うことはなかっただろう。

 前世ではローレンス様は皇太子殿下であり続けた。

 異なる未来になり始めた切っ掛けが、アリアが生きていることだというのならば、私はこの選択が正しいと言い続けるだろう。

 皇族であるからこそ、ローレンス様を守るべき人として慕ってきた。

 いずれは皇国を背負われる方だからこそ、この身を挺してでも守ろうと思ってきた。しかし、婚約破棄後もアリアの命を狙う姿を知ってしまった後は、幼い頃から抱いていた敬意は消し飛んでしまった。

「いいかい、アリア。ローレンス様のことを庇おうとしても構わないが、これだけは忘れてはいけない。お前は婚約破棄をされた被害者なのだ。ローレンス様はスプリングフィールド公爵家の令嬢が嫁ぐ意味を理解していなかった。そして、正当な理由がないままに行われた一方的な婚約破棄は、貴族社会においては恥じるべき行為の一つだ。それは皇国を背負う皇太子殿下がしてはならない行為だった。それをあの方は理解をされていなかった。それがどういう意味を持つのか、分かるね?」

 私には、幼い頃から恋い慕い続けている人はいない。

 恋がどのようなものなのかを知らないわけではないが、その甘くて苦しい思い出は公爵を継ぐために手放した。

 他人を想い続けるということがどれほどに大変なことか知らないが、それを忘れるのも苦しい選択だということは知っている。

 それでも、その苦しい選択は永久に続くわけではない。
 いつの間にか苦しい気持ちは消えていく。

 苦しくて辛いことばかりは続かない。

 それならば叶わない想いを抱え続けて生きていくよりも、その想いを心の奥底に封じ込めた方がいいだろう。

「だからね、お前がローレンス様を気に掛ける必要はないよ。皇位継承権を持たないあの方はどこかの貴族の養子として迎え入れられることになるだろう。そうすればアリアが幾ら望んでも会うことは許されない。公爵令嬢としてこの先を歩みたければ、ローレンス様のことは忘れるといい」

 三大公爵家ではない貴族が選ばれることは分かり切っている話だ。
 皇帝陛下の慈悲が強いものだと考えても伯爵家か辺境伯爵家だろう。

 過去の事例を考えれば子爵家が妥当なところだろうが、こればかりは皇帝陛下のご決断を待つしかない。アリアとの婚約破棄から引き起こされたローレンス様の信頼を損なう姿を見た者は限られている。
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