宿命の女

柳井 椿

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プロローグ

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人は生まれる前の記憶を持っていない。母の胎内に宿る前、どのように祝福されどのように定められた日時にこの地球に来たかを知らない。

宇宙は広大だが、その先にエデンがある。魂はそのエデンにおいて創造される。魂の根拠は様々であるが、ある者についてここでは語っていく。その者はアルテミスを母としアポロンとオリオンを父にしていることからまず魂の創造の段階からして地球の多くの人間とは出自が異なっている。しかしながら、地球に生れ落ちるためにはこのエデンにおいて神の祝福が必ずなければならないために、多くの魂と共におりながらも一番後ろの一番端っこで空を眺めているばかりであった。異質な魂を他の魂たちが侮蔑することはもちろんないことだが、その異質な魂は際立って美しく遠巻きに他の魂たちは時々視線を送っていた。アルテミスを母としアポロンとオリオンを父とする。その魂に名付けられたのは森村しおり。魂が見送られるその日、たいていの魂は司教による祝福の後地球に投下されるのだが、その森村しおりの魂には主イエスが直々においでになった。森村しおりが生まれたばかりのころ、イエスの私邸に迷い込んだことと、今は夜明けを待つ者となっているアルテミスの友であったことが縁であり特別に祝福された魂というわけではない。主イエスは森村しおりを祝福したのち、バイオリンの音色でささやかれた。「しおり、地上において自らに気づいたとき父と母と私を思い出しなさい。さすれば、困難がいかに陳腐なまやかしであるかがわかるから」。罪のないしおりはにっこり微笑んで頷いた。取り巻く天使や主の万軍にかかわる軍人たちはしおりの微笑みに恐ろしさを感じた。一様に場の者たちは思った。「この子の笑顔がすべての発端になる」と。アルテミスは二人の男のファムファタルであったが故に眠りを余儀なくされていることはあまりにも有名な話であったが、その娘は異質にも増して恐ろしい賜物を秘めていた。この子が地上に降りることは自殺行為だと哀れむ者もいた。そして森村しおりは新月の夜に地球に宮国しおりとして誕生した。感受性の強すぎるしおりに太陽と月の光が照らす日時は耐えられなかったからである。

宮国しおりは初潮を迎えるまで、とても健やかに育った。祖父、おじ、父親にとても大切にされて育った。子を宿す能力を与えられた初潮を境に、彼女の人生は暗闇をさまようことになる。幾度かの度重なる病気と精神疾患。自殺未遂と暴飲暴食、そしてアレルギーのために顔はできものだらけになり、もはや幼い日々の愛らしい姿は面影すらなかった。これ幸いと女たちはしおりを攻撃した。エデンから眺めると人々の心の機微はわかりやすいが、しおりは終生女たちと相いれることはできない。なぜなら、アルテミスの娘である異質な魂だからだ。しおりに序章のごとく転機が訪れたのは愛らしさと華やかさの見る影が消えてからちょうど10年目の歳だった。彼女はすでに青春と言われるティーン時代を棒に振り、20代も半分つぶしていた。彼女にかかわっていた女たちが次々と死んでいったのである。バタバタと、何かにつぶされるようにあっけなく死んでいった。彼女はこの歳を境に愛らしさを取り戻していった。20代最後で出会った森村敬一郎と30歳でめでたく結婚し、森村しおりとなった。その数年後、33歳になったしおりは受洗から15年目を迎え、長年悩まされていた月経困難症のためホルモン剤を飲むようになった。子を宿す能力を科学的に制御したのだ。しおりの変化は他人からも目を見張るものがあったが、一番戸惑ったのはしおり本人だった。出発点も通過点も忘れてしまうほどの自らの変貌にどう立ち回るべきか、どうふるまうべきか足がすくむ思いだった。
そして時は訪れた。ペンテコステのその日、しおりに聖霊が降った。聖霊はしおりの魂の中心で声をあげた。「ファムファタルよ、男は狂う。しかしそれも神の御心」。一瞬の出来事でもしおりは魂に刻みついたその神の言を理解した。すべての出会いに関連を見出し、進むべき道を確認した思いだった。しおりは魂にて神に宣べた。「歩みます、その道を」
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