冴える

柳谷あお

文字の大きさ
上 下
1 / 1

冴える

しおりを挟む


人の体温がこんなにも熱いものだとは。

私は幽霊の様に呻き声を上げながら歩いた。
最高気温が36度と予報された今日、盆を迎えた世間はバスから降りる人、電車に乗り込む人、各々が大きなキャリーケースを抱え往来していた。
先月失業した私には手持ちはスマートフォンしかない。しかも、それも今月末までに支払いがなければ契約を切られる。あの上司の嫌がらせに少し耐えていれば、今頃はあのキャリーケースの人になっていたのだろうか、などとぼんやり思う。寝ると起きるの時間帯がしっちゃかめっちゃかになった私には新しい仕事の面接すらひどく億劫で、先週も一件、面接にとうとういけなかった。

鬱と診断されたのは仕事を辞める少し前のことだった。会社に行こうとすると涙が出て止まらなくて、そのまま布団に潜り込んだ。すっぽかしたその日一日中、電話は鳴り続けた。プレゼンの資料の場所くらい教えろというメッセージも、鬼の様に届いた。あんたが押し付けて作らせたものだろう、と送ったら、ふざけるなという呪詛が百倍にもなって返ってきた。誰もこの地獄を止めてくれないのなら、と、私は三日後に会社に退職届を郵送した。上司への恨みというよりも、どこか知らないところでひっそりと消えてくれていたら、と、願うしかなかった。

コンビニは昼時で人で満ちていた。
青い制服を纏って、盆なのに仕事に行くのだろうか、無言で会計を済ます男性や、家族連れで出先のためにジュースや菓子を買い込む団体、そして私がいた。
エナジードリンクを一本、タバコを一箱。これが私のいつもだった。
「暑いですね」
コンビニの店員も、毎日の様に来る私の顔を覚えていた。
「そうですねえ。ところによっては39度とか」
視線を感じ、後ろの列を見る。家族連れがカゴを抱えてこちらを伺う様に何度も商品と私の顔を覗き込んでいた。
「やだ、暑い。歩きでしたよね」
二つしかない商品では会話の前に会計は終わる。私はスマホを持った片手を差し出しつつ、どうやって会話を切り上げようか考えていた。
「そんなに大変でも。あ、でも自転車とかであなたも通ってるなら気を付けて」
それでは、と言いかけて、大きめのファンファーレの音にびくりと体を震わせた。当たりです!という空気を全て壊す声に、何事かと辺りを見回す。どうやら私の様だった。
「今、お会計でくじをやってて。お酒と飲み物のどちらか選べるんですけど、あれ、お酒って飲みましたっけ」
「いや、お酒は」
交換できるなら後日でも、と言いかけたところで、店員は急いでレジから駆け出し、交換商品のお茶を持ってきた。
「あなたたしか、前回は次来た時でいいですよって言って、それきり交換レシート持ってこなかったから。ね、この程度ならすぐ終わりますから」
後ろをずっと気にしていたことを気にされていた。私はああ、そう言えばそうでしたっけと適当すぎる相槌を打ちながら、わかりやすすぎる性分を恥じた。
「貰わないと損ですから。ね」
ピッとこぎみのいい音と共に、手渡される。手前ではなく少し奥から取ってきてくれたのか、よく冷えていた。

私は店を後にして、茶を開ける。糖分過多の頭になっていたから、冴える様な苦味が心地よかった。

もうその頃にはキャリーケースの人々のことは忘れていた。私は涼味に吹かれ、一人の夏の帰路に立っていた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

保育士だっておしっこするもん!

こじらせた処女
BL
 男性保育士さんが漏らしている話。ただただ頭悪い小説です。 保育士の道に進み、とある保育園に勤めている尾北和樹は、新人で戸惑いながらも、やりがいを感じながら仕事をこなしていた。  しかし、男性保育士というものはまだまだ珍しく浸透していない。それでも和樹が通う園にはもう一人、男性保育士がいた。名前は多田木遼、2つ年上。  園児と一緒に用を足すな。ある日の朝礼で受けた注意は、尾北和樹に向けられたものだった。他の女性職員の前で言われて顔を真っ赤にする和樹に、気にしないように、と多田木はいうが、保護者からのクレームだ。信用問題に関わり、同性職員の多田木にも迷惑をかけてしまう、そう思い、その日から3階の隅にある職員トイレを使うようになった。  しかし、尾北は一日中トイレに行かなくても平気な多田木とは違い、3時間に一回行かないと限界を迎えてしまう体質。加えて激務だ。園児と一緒に済ませるから、今までなんとかやってこれたのだ。それからというものの、限界ギリギリで間に合う、なんて危ない状況が何度か見受けられた。    ある日の紅葉が色づく頃、事件は起こる。その日は何かとタイミングが掴めなくて、いつもよりさらに忙しかった。やっとトイレにいける、そう思ったところで、前を押さえた幼児に捕まってしまい…?

【完結】【R18百合】会社のゆるふわ後輩女子に抱かれました

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 レズビアンの月岡美波が起きると、会社の後輩女子の桜庭ハルナと共にベッドで寝ていた。 一体何があったのか? 桜庭ハルナはどういうつもりなのか? 月岡美波はどんな選択をするのか? おすすめシチュエーション ・後輩に振り回される先輩 ・先輩が大好きな後輩 続きは「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」にて掲載しています。 だいぶ毛色が変わるのでシーズン2として別作品で登録することにしました。 読んでやってくれると幸いです。 「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/759377035/615873195 ※タイトル画像はAI生成です

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

処理中です...