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冴える
しおりを挟む人の体温がこんなにも熱いものだとは。
私は幽霊の様に呻き声を上げながら歩いた。
最高気温が36度と予報された今日、盆を迎えた世間はバスから降りる人、電車に乗り込む人、各々が大きなキャリーケースを抱え往来していた。
先月失業した私には手持ちはスマートフォンしかない。しかも、それも今月末までに支払いがなければ契約を切られる。あの上司の嫌がらせに少し耐えていれば、今頃はあのキャリーケースの人になっていたのだろうか、などとぼんやり思う。寝ると起きるの時間帯がしっちゃかめっちゃかになった私には新しい仕事の面接すらひどく億劫で、先週も一件、面接にとうとういけなかった。
鬱と診断されたのは仕事を辞める少し前のことだった。会社に行こうとすると涙が出て止まらなくて、そのまま布団に潜り込んだ。すっぽかしたその日一日中、電話は鳴り続けた。プレゼンの資料の場所くらい教えろというメッセージも、鬼の様に届いた。あんたが押し付けて作らせたものだろう、と送ったら、ふざけるなという呪詛が百倍にもなって返ってきた。誰もこの地獄を止めてくれないのなら、と、私は三日後に会社に退職届を郵送した。上司への恨みというよりも、どこか知らないところでひっそりと消えてくれていたら、と、願うしかなかった。
コンビニは昼時で人で満ちていた。
青い制服を纏って、盆なのに仕事に行くのだろうか、無言で会計を済ます男性や、家族連れで出先のためにジュースや菓子を買い込む団体、そして私がいた。
エナジードリンクを一本、タバコを一箱。これが私のいつもだった。
「暑いですね」
コンビニの店員も、毎日の様に来る私の顔を覚えていた。
「そうですねえ。ところによっては39度とか」
視線を感じ、後ろの列を見る。家族連れがカゴを抱えてこちらを伺う様に何度も商品と私の顔を覗き込んでいた。
「やだ、暑い。歩きでしたよね」
二つしかない商品では会話の前に会計は終わる。私はスマホを持った片手を差し出しつつ、どうやって会話を切り上げようか考えていた。
「そんなに大変でも。あ、でも自転車とかであなたも通ってるなら気を付けて」
それでは、と言いかけて、大きめのファンファーレの音にびくりと体を震わせた。当たりです!という空気を全て壊す声に、何事かと辺りを見回す。どうやら私の様だった。
「今、お会計でくじをやってて。お酒と飲み物のどちらか選べるんですけど、あれ、お酒って飲みましたっけ」
「いや、お酒は」
交換できるなら後日でも、と言いかけたところで、店員は急いでレジから駆け出し、交換商品のお茶を持ってきた。
「あなたたしか、前回は次来た時でいいですよって言って、それきり交換レシート持ってこなかったから。ね、この程度ならすぐ終わりますから」
後ろをずっと気にしていたことを気にされていた。私はああ、そう言えばそうでしたっけと適当すぎる相槌を打ちながら、わかりやすすぎる性分を恥じた。
「貰わないと損ですから。ね」
ピッとこぎみのいい音と共に、手渡される。手前ではなく少し奥から取ってきてくれたのか、よく冷えていた。
私は店を後にして、茶を開ける。糖分過多の頭になっていたから、冴える様な苦味が心地よかった。
もうその頃にはキャリーケースの人々のことは忘れていた。私は涼味に吹かれ、一人の夏の帰路に立っていた。
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