1 / 184
プロローグ
しおりを挟む
第一航空艦隊の参謀長である草鹿龍之介は、赤城の艦橋から南方に飛び去ってゆく大編隊の海軍機を見送っていた。彼は、艦橋の中央で緊張した面持ちで立っている南雲長官に顔を向けて小声で話した。
「長官、矢は放たれました。彼らからの戦果報告をまずは待ちましょう」
南雲長官は黙ってうなずいた。
彼のもとに通信参謀の小野少佐が電文用紙を持ってきた。
「山本長官からの直電です」
草鹿参謀長は無言でそれを受け取り目を通す。内容については口に出さずに、南雲長官にその紙を渡した。
その用紙には、一文だけが書きなぐってあった。
『ハト、トビタテリ』
南雲長官は、草鹿参謀長を見返すと黙ってうなずいた。あらかじめ艦隊が日本を出港する時に、連合艦隊司令部との間で取り決めた在米日本大使館の行動を示す通知文だった。アメリカでの宣戦布告の手順が進んでいることを確認するための独自の暗号だ。『ニイタカヤマノボレ』の命令後に攻撃作戦を実行するか否か最終判断をするための通知だった。
文章は、伝書鳩を飛ばせたとの意味から、来栖特命大使と野村大使が宣戦布告文書を持って米国務長官の面談に向かったことを示していた。ワシントンの日本大使館の海軍駐在武官である横山大佐から通知された情報だ。この後、何事もなければ、我が国の最後通牒がハル国務長官に1時間以内に手渡されるだろう。
一方、空母から発艦した攻撃隊は2時間程度でオアフ島に達して基地への攻撃を開始する手はずになっている。これで、山本大将が最も心配していた宣戦布告の前に攻撃が開始される事態はまず避けることができる。
草鹿参謀長は後ろを振り返ると、様子を見守っていた一航艦の参謀たちに小声で伝えた。
「最後通牒が発出された。まもなく米国国務長官が受領する。これで作戦中止はない。我々は定通り攻撃を開始する」
源田航空参謀が後ろから報告した。
「夜が明けてきたので敵機の警戒のために、直衛機を上げます。今日は、通常警戒の2倍です。続いて、オアフ島周辺の敵艦を索敵するために艦偵を出します」
あらかじめ、夜が明けてきたら敵機の攻撃を警戒して直衛機を上げることが予定されていた。加えて、オアフ島近海でのアメリカ艦艇の有無を確認するために、一航戦に配備されている新型艦偵を飛ばすことも計画していたことだ。当然、南雲長官も草鹿少将も首を縦に振った。
眼下の飛行甲板では、零戦が1,600馬力の金星エンジンをふかして甲板の前方に進んでゆく。飛行甲板の離着艦作業員がワイヤの両端を主脚に取り付けると、中央部の金具をカタパルトのフックにかみ合わせて機体を固定した。飛行甲板士官がカタパルトや機体に異常がないか確認を終えると、黄色の旗を下げて青い旗を振る。一呼吸おいて、零戦が急激に前進を始めた。数秒で飛行甲板の前端までカタパルトにより加速して行くと、そのまま前方に飛び出した。零戦は軽やかにやや左に進路を変えながら上昇して行く。右舷側では、加賀の艦首から同様にカタパルトにより射出された零戦が飛び立っている。
飛行甲板上では、待機していた複座の零戦が既に前方に動き出していた。日本を出港する間際に、一航戦の赤城と加賀に追加で配備された艦上偵察機だ。零戦に偵察員兼航法員の後席を追加して、風防を後方にやや延長した機体のため変更量は少ない。複座化により重量が増加したため、零戦本来の機銃は13.2mm機銃が4挺から2挺に減らされている。それでも、零戦とほぼ同様の飛行性能を有するので、いざとなれば空戦も可能だ。
カタパルトにより、複座型零戦の艦偵が射出された。若干胴体下の増槽が大きく見えるのは、この機体と同時に配備された大型増槽を装備しているためだ。艦偵として必要となる航続力を確保するために、従来の330リットルから450リットルに容量を増している。
草鹿少将は、日本を出港する前に空技廠を訪問した時の鈴木大尉との会話を思い出していた。まるで予言のように彼が話したことは、決して軽んずべきではないことは今までの実績からよく心得ている。
その時に言われた内容を信じれば、かなりの確率で、この攻撃によりアメリカ海軍に大きな損害を与えられるだろう。緒戦で米艦艇に対して戦果を出せたならば、更にそれを拡大しなければならない。湾内の艦船だけでなく、地上の燃料タンクや工廠の設備も攻撃対象とすべきだと鈴木大尉からも言われた。加えて、真珠湾に停泊していない艦艇はハワイの近海を航行している可能性が高い。特に空母には注意が必要だと、鈴木大尉から釘を刺されていた。
既に、源田参謀や飛行隊の淵田中佐には大尉の助言を内密に話してある。第一次攻撃隊の成果次第だが、彼はこのハワイで徹底的に戦うことを決意していた。緊張でうっすらと顔に汗を浮かべている南雲中将の横顔を見ながら、誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「ハワイは我々がそう簡単に来られる場所じゃない。一度の攻撃で日本に帰るなんて、弱気なことは言わないでくださいよ」
「長官、矢は放たれました。彼らからの戦果報告をまずは待ちましょう」
南雲長官は黙ってうなずいた。
彼のもとに通信参謀の小野少佐が電文用紙を持ってきた。
「山本長官からの直電です」
草鹿参謀長は無言でそれを受け取り目を通す。内容については口に出さずに、南雲長官にその紙を渡した。
その用紙には、一文だけが書きなぐってあった。
『ハト、トビタテリ』
南雲長官は、草鹿参謀長を見返すと黙ってうなずいた。あらかじめ艦隊が日本を出港する時に、連合艦隊司令部との間で取り決めた在米日本大使館の行動を示す通知文だった。アメリカでの宣戦布告の手順が進んでいることを確認するための独自の暗号だ。『ニイタカヤマノボレ』の命令後に攻撃作戦を実行するか否か最終判断をするための通知だった。
文章は、伝書鳩を飛ばせたとの意味から、来栖特命大使と野村大使が宣戦布告文書を持って米国務長官の面談に向かったことを示していた。ワシントンの日本大使館の海軍駐在武官である横山大佐から通知された情報だ。この後、何事もなければ、我が国の最後通牒がハル国務長官に1時間以内に手渡されるだろう。
一方、空母から発艦した攻撃隊は2時間程度でオアフ島に達して基地への攻撃を開始する手はずになっている。これで、山本大将が最も心配していた宣戦布告の前に攻撃が開始される事態はまず避けることができる。
草鹿参謀長は後ろを振り返ると、様子を見守っていた一航艦の参謀たちに小声で伝えた。
「最後通牒が発出された。まもなく米国国務長官が受領する。これで作戦中止はない。我々は定通り攻撃を開始する」
源田航空参謀が後ろから報告した。
「夜が明けてきたので敵機の警戒のために、直衛機を上げます。今日は、通常警戒の2倍です。続いて、オアフ島周辺の敵艦を索敵するために艦偵を出します」
あらかじめ、夜が明けてきたら敵機の攻撃を警戒して直衛機を上げることが予定されていた。加えて、オアフ島近海でのアメリカ艦艇の有無を確認するために、一航戦に配備されている新型艦偵を飛ばすことも計画していたことだ。当然、南雲長官も草鹿少将も首を縦に振った。
眼下の飛行甲板では、零戦が1,600馬力の金星エンジンをふかして甲板の前方に進んでゆく。飛行甲板の離着艦作業員がワイヤの両端を主脚に取り付けると、中央部の金具をカタパルトのフックにかみ合わせて機体を固定した。飛行甲板士官がカタパルトや機体に異常がないか確認を終えると、黄色の旗を下げて青い旗を振る。一呼吸おいて、零戦が急激に前進を始めた。数秒で飛行甲板の前端までカタパルトにより加速して行くと、そのまま前方に飛び出した。零戦は軽やかにやや左に進路を変えながら上昇して行く。右舷側では、加賀の艦首から同様にカタパルトにより射出された零戦が飛び立っている。
飛行甲板上では、待機していた複座の零戦が既に前方に動き出していた。日本を出港する間際に、一航戦の赤城と加賀に追加で配備された艦上偵察機だ。零戦に偵察員兼航法員の後席を追加して、風防を後方にやや延長した機体のため変更量は少ない。複座化により重量が増加したため、零戦本来の機銃は13.2mm機銃が4挺から2挺に減らされている。それでも、零戦とほぼ同様の飛行性能を有するので、いざとなれば空戦も可能だ。
カタパルトにより、複座型零戦の艦偵が射出された。若干胴体下の増槽が大きく見えるのは、この機体と同時に配備された大型増槽を装備しているためだ。艦偵として必要となる航続力を確保するために、従来の330リットルから450リットルに容量を増している。
草鹿少将は、日本を出港する前に空技廠を訪問した時の鈴木大尉との会話を思い出していた。まるで予言のように彼が話したことは、決して軽んずべきではないことは今までの実績からよく心得ている。
その時に言われた内容を信じれば、かなりの確率で、この攻撃によりアメリカ海軍に大きな損害を与えられるだろう。緒戦で米艦艇に対して戦果を出せたならば、更にそれを拡大しなければならない。湾内の艦船だけでなく、地上の燃料タンクや工廠の設備も攻撃対象とすべきだと鈴木大尉からも言われた。加えて、真珠湾に停泊していない艦艇はハワイの近海を航行している可能性が高い。特に空母には注意が必要だと、鈴木大尉から釘を刺されていた。
既に、源田参謀や飛行隊の淵田中佐には大尉の助言を内密に話してある。第一次攻撃隊の成果次第だが、彼はこのハワイで徹底的に戦うことを決意していた。緊張でうっすらと顔に汗を浮かべている南雲中将の横顔を見ながら、誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「ハワイは我々がそう簡単に来られる場所じゃない。一度の攻撃で日本に帰るなんて、弱気なことは言わないでくださいよ」
54
お気に入りに追加
154
あなたにおすすめの小説
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら
もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。
『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』
よろしい。ならば作りましょう!
史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。
そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。
しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。
え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw
お楽しみください。
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
蒼海の碧血録
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。
そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。
熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。
戦艦大和。
日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。
だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。
ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。
(本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。)
※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。
皇国の栄光
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。
日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。
激動の昭和時代。
皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか?
それとも47の星が照らす夜だろうか?
趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。
こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる