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黒鳥の湖
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しおりを挟む着物や帯は衣裳部屋に保管されているし、手元にあるのは何枚かの肌着とわずかな筆記具、後は今肩にかけているショールと時宝から贈られた黒いスーツ一式、それから……時宝が置いて行った上着。
「…………」
二人部屋ではいろいろと持つこともできたけれど、下の部屋は大部屋だ。複数人で使うために自身の荷物は最小限しか許されず、手渡された小さなボストンバックに入る分だけを持って行ける。
肌着を入れてしまうともうスペースが少なくて……
断腸の思いで黒いスーツを畳んで脇に置いた。
滑らかな手触りで、蛤貝に合わせて選ばれたものだったけれど、時宝から贈られた愛しいものだった。時宝に引っ張られて破れてしまったシャツの襟元を直して眺めて過ごそうと考えてはいたけれど、これを入れる余裕は残念ながらない。
名残惜し気に黒いスーツの裾を撫でるオレに向けて、蛤貝が鼻で笑うのが耳に届く。
無視を と思ったけれど「俺が切ってあげようか?」ってからかいの口調で言われた瞬間、思わず振り返って睨みつけてしまった。
オレが反抗することに慣れていない、ご機嫌を取ってもらえないことに慣れていない蛤貝にそれはずいぶんとショックだったらしく、ぽかんとした顔で飛び上がってこちらを見つめ返してくる。
弟で、愛らしくて、華やかで、多少我儘なところもあるけれどそれも魅力で、大切な存在だと過ごしてきたけれど……
オレはこれから下の部屋に行かなくてないけないから、もう機嫌を取ってたしなめてくれる人間はいないのだと、蛤貝はわからなくてないけないし、オレ自身も自分は特別なのだと勘違いしてしまった蛤貝を、これ以上誤らせるわけにはいかない。
「これの処分は自分でするから放っておいて」
切り捨てるように強く言うとぶるりと体を震わせて怯んだようだった。
「な 」
「オレのことよりも、自分が切った服の後始末は自分でちゃんとしなよ。オレは手伝わないからね」
今までは手を貸していたけれど、これからの蛤貝の傍にそう言った人がいるとは限らない。ましてや、神田様が迎えに来られたら蛤貝は外の世界に出てこことはまったく違う環境で過ごさなくてはいけなくなるんだから。
震えが大きくなって、何か言い返そうとしているんだろうけれど、反省室から出たばかりのせいか蛤貝は何も言わずに立ち上がると一度も振り返らずに飛び出して行ってしまった。
今が一緒の部屋にいることのできる最後の機会だったのだから、こちらが譲歩して穏やかに話をするべきだったかと思いもしたけれど……
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