OMEGA-TUKATARU

Kokonuca.

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雪虫

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「雪虫!落ち着け!  熱は?まだ高いのか?」

 ぽこん  と衝撃が止まって、鼻を啜る音がする。

「熱は、まだちょっと   しずる、は?ケガは?」
「オレ?オレは平気!全然痛くない!」
「 よか  たぁ」

 気配が崩れ落ちて、扉にもたれ掛かったのか、隙間から漏れる匂いがキツくなった。

 甘い。

 嫌味ったらしい、不快になる甘さじゃない、オレの好きな甘い匂い……

 薬も飲んでいるし、貼ってもいる。それでもこれだけ匂うのだから、直接会ったら理性なんて残らないのは確実だった。

 恋しい
 噛んで、

 愛したい
 弄って、

 繋がりたい
 押さえつけて、

 一つになりたい
 犯したい、

 ぶるりと震えて、腕の傷に爪を立てた。
 流石にじわりとした痛みがきて、頭がスッキリしたように思う。

「ご飯、食べたか?」
「  ん   ちょっと」
「また体重減るぞ」
「セキのじゃなくて  しずるのがいい」

 そう言うと、ひくりとしゃくり上げる。

 あんなにオレの料理がまずいまずいと言っていたのに、それを食べたいと言ってくれる変化が擽ったくて、思わず顔がにやけた。

「しずるに絵本読んでほしいし、しずるのご飯が食べたいし、しずるとお昼寝したいし、  しずるが傍にいてくれないと、やだぁ  」

 ぽこん  とまた扉が鳴る。

「  オレも、雪虫がいないから、泣いてるよ」
「それはだめ!」
「え?」
「しずるは 笑ってるのがいいから」

 小さく甘えた声で、もう一度名前を呼んだ。


「しずる  大好きだよ」


 扉に寄せた耳の鼓膜を震わせるその音が、幸せで……

 自分の笑顔を望んでくれる人が、最愛の運命だと言うのが、嬉しくて嬉しくて 嬉しくて……

「オレも大好きだ」
「泣かないでくれる?」
「わかった。泣かない!」
「ん、嬉しい」

 微かな衣擦れと、時折戸を叩く音、でも温もりは感じることができなくて、

「オレ、また雪虫の傍に戻れるように頑張るから」
「うん  」

 自分に凭れさせて、髪を梳きながら今日の話をしたら、雪虫は喜ぶだろうな。
 駅員から聞いた話なんかは特に目を輝かせて喜ぶかもしれない。

「そうだ、雪虫!これ」

 上着のポケットに手を入れると、ジャリジャリとした感触がして、その奥につるりとした物を見つけた。

「今日、海行ったんだ」

 扉の下の隙間にポケットから出した物を滑り込ませる。

 小指の先程の巻貝、
 ピンクの貝殻、
 丸くなった緑のシーグラス、
 そして、縞の入った乳白色の小さな石、

「うみ?   しずる、これなに?」

 はっと息を飲む気配が伝わる。

「海の拾い物。ピンクの貝殻は割れやすいから気を付けろよ」

 最後に小さな琥珀を取り出して、扉の下を潜らせた。

「貝殻と、ガラスと、石と  琥珀はなんになるのかな……見たことあるか?」
「  ない」

 大神が言うように、雪虫が人身売買の犠牲だとして、幼い時に連れ去られてまともに外の世界を見たことがないと言うのは想像に難くない。

 だから文字も読めなかったし、知らないことも多い。

 そう言うことだろう。

「すごく   ふしぎ   」

 ほぅ、と感嘆の溜め息が聞こえると、喜んでくれたのは十二分にわかって嬉しい。
 ……が、それと同時に雪虫を拐った奴らが、雪虫が感じるはずだった喜びを奪ったことに対して、とにかく腹が立った。

 渡した物をじっと見つめる雪虫は可愛いだろう。

 めちゃくちゃ可愛くて、世界一可愛いに違いない!

 そんな雪虫から喜びを奪ったそいつらが、憎くて憎くて堪らない。

「そう言うのが、海には落ちてるんだ」
「落ちてる?」
「うん、綺麗なのを探して散歩すると気持ちいいから、今度こそ行こう」

 戸惑う気配は、この前直江によって阻まれた散歩の記憶を思い出しているからか……

「   う ん」

 曖昧な返事は期待していない返事だ。

 きっと表情は曇っている。
 
「    しずる、本読んで」

 ことん と柔らかな音がしたのは、頭をつけたからか?

「  『お星さまのお城に住んでいる金の王子は   』    」

 オレが暗唱し始めると、それに紛れて時折しゃくり上げる声がする。
 幼い子供がどうしても堪えきれなかったような、切なくなるそれにぎゅっと拳を作って耐えた。

 やろうと思えば、蹴破ることぐらいならできるのだろうけれど、それをしてしまうと扉越しにすら会わせてもらえなくなるかもしれない。

 貝を滑り込ませた隙間に指先をこじ入れるが、流石にそこまでの高さはなかったようで、微かに廊下と違う温度の空気に触れただけだった。

「 『   銅の騎士は、金の王子に言いました』    」

 いつもより間を持たせて、いつもよりゆっくり声を出して。

 それで稼げる時間なんて僅かだったけれど。



「    『    おしまい』」

 タイミングを見計らったように、オレの言葉が終わると同時に直江が廊下に姿を見せた。
 目配せで一階に降りるように促され、一度扉を振り返る。

「  も 一回 っ」

 オレが喋り出さないことで、察したらしい声は泣きそうだ。

「明日も来れるようにお願いしてみるから、な?」
「  なんで、会えないの」
「オレが、  」

 雪虫を壊してしまうから。

「  雪虫を、好きすぎるから」

 ひくん とびっくりしたような気配。

 気配……しかわからない。

「明日も来てくれる?」
「うん」
「  わかった」

 じゃあ行くから  の言葉が出ず、扉に手を当てて黙り込む。

「この場合、馬に蹴られるのは私の役目ですかね」

 音もなく背後に立った直江は、いつもの長い溜め息を吐きながらオレの手を扉から引き剥がす。

 嫌だと振り払って、縋り付くのは簡単だけれど。

「雪虫、また明日な」

 小さな返事ははっきりと聞こえなくて、その場を離れる音に紛れてしまい。

 仕方なく降りる階段の途中で振り返る。

 静かなそこで、また雪虫が泣いているのかと思うと、駆け寄りたくて……

 慰めて抱き締めて、安心させてやりたくて。

「いつまでもそうしてたって埒が明かないだろう」

 大神を見下ろすなんて、滅多にない機会だ。

「明日も、ここに来ていいですか?」
「ドアを蹴破らなければいいんじゃないか」

 見透かされたのは、それだけ考えが安直だからか。

「お前が雪虫に対して暴走しないなら、俺は口を出すことはないからな」

 ソコ が、問題なのだけれど。

 絵本を読んでいるうちに少しは治ったけれど、愚息の主張はどうにかしてやらないとダメだろう。

「どうした。ちょっと遊びに出るか?」

 軽く尋ねて来る声は軽く、顔を見れば悪い顔をしている。
 行く と言ったらどこに連れて行かれるのか、考えるだけでも汗が出る。大人しく帰ると首を横に振り、送ってくれるらしい直江と一緒に玄関へ向かうと、セキが走り寄って来る。

「明日も来るなら、一緒に勉強しない?」
「うん?   そうだな」

 一人でくるくるとペンを回しているよりは進むかもしれない。
 念のために大神に視線をやると、仕方がないから許可すると言うような顔だった。

 雪虫がいる以上、セキに手を出さないと分かってもらえているらしい。


 明日から、昼間だけだけど雪虫も傍に行くことができる。
 もう二度と会えないんじゃないかと思っていたから、嬉しくて、嬉しくて、車に乗り込む足取りも軽い。

 食事の材料を買って、雪虫用の作り置きおかずを作ろう!
 せめて口に入る物くらいはオレが用意したい。


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