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雪虫
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しおりを挟む「たっ っー……!」
「しずるくん!」
セキがこちらに駆け寄ろうとしたのを大神が止めて、冷え冷えとした目でオレを見下ろす。
「周りに振り回されるしか能のないクソガキが」
噛み締めた奥歯がギリ と鈍い音を立てて、口の中が金臭い。
「玩具が欲しいのなら、相応になって出直すんだな」
「雪虫はそんなんじゃないだろ!」
その存在を玩具と言われてカッとなった。
あの小さくて頼りない存在に、大神がする事を考えたら震えがくる。
「 雪虫を番にしたい」
ふと出た言葉が思いの外しっくりきて、言った自分自身が驚いた。
大神と瀬能も驚いたように目を見開いているし、セキはキラキラした目でこちらを見ている。
「 あんたと、殴り合っても オレは、雪虫を番にする!」
勢いで出たんじゃないかと思うのに、思った以上に腑に落ちて……
「 ぷはっ!」
緊張の糸が切れたのは瀬能が吹き出した瞬間だった。
「先生。笑う事はないでしょう」
「いや、いや、いや、ごめんごめん」
瀬能はまだ小さく笑いながら、床に転がったままのオレを起こすために手を差し出してくる。ありがたくその手に掴まりながら二人の顔を見て、ああ これは大神と瀬能の間で何が取り決めがあったことなのかと、ぼんやりと感じ取った。
「じゃあ雪虫はうちが引き取るよ」
「相応の収入と腕っ節を見せてもらってからです」
口調は和らいではいるが、こちらを眇めて見る表情は変わらない。
「しずるくん、これ。口元拭いて」
セキが渡してくれたタオルを口に当てると、赤いものが布に広がる。床で跳ねた時にでも噛んだのか、意識してしまうとズキズキと痛みを感じ始めた。
「冷やすものいる?」
「いらない。 どう言うことなんだよ」
表情を変えない大神に対して、瀬能は大袈裟すぎるほどキョトンとして見せた。なんだかハメられた気がするのは、間違いじゃないんだろう。
「世の中悪い大人が多いってことさ」
「じゃあ、助手とかって話は 」
「それは本当。君、明日から忙しくなるよ」
瀬能が鼻歌を歌い始め、「お風呂借りるよー」と騒動などなかったように廊下に消えてしまった。
「なん なんだ 」
意味がわからない。
ついでに言うと、大神とセキが一組のパジャマを分け合って着ているのも意味が分からない。
「説明してくれよ」
困ったようなセキが口を開こうとしたが、大神に睨まれてやめてしまった。小さく片手で謝って、口の形が「ごめん」と動く。
「明日から覚悟しておくんだな」
そう言って廊下を向いた大神の、背中の龍神と小鬼に睨まれて飛び上がる。
「いや、オレ 」
明日からどうなるんだ?
朝は一番に起きることができたかと思ったけれど、リビングに降りてくるとすでにスーツ姿の大神と瀬能が何やら話し合っていた。
「 無茶だよ」
「 それが望みです。我々にはどうしようもない」
「 医者としては、どうかと思うけどね 」
こう言う時に限って、廊下がキシリと音を立てるのは、そう言ったルールがあるんだろうか?
会話が途切れて、二人の視線がこちらを向いて見つかってしまった。
「お おはようございます」
「やぁおはよーいい朝だね。雪虫の熱も引いたみたいだし、ぼくは適当なところでお暇するよ」
「 はい」
正直、昨日の説明をしてもらいたかったが、大神がセキを止めていたところを見ると、オレには話してもらえないだろう。
悔しいけれど、この二人の掌の上で転がされるしかないようだった。
「オレは今日から、何をすればいいんですか?」
「そうだね、ひとまずセキくんを手伝ってあげてよ」
瀬能の視線の先を見てみれば、セキが一人で台所に立っているのが見える。
「セキ、おはよう」
「おはよ。口の傷は?」
もちろん痛むに決まっているが、なんとなく意地で首を横に振った。
「こっちは俺がするから、雪虫の食事を作ってあげて」
「さっき覗いたらまだ寝ててさ。起こして食わせた方がいいと思う?」
「そうだね、一度起こしてもいいかもね」
手際良くサラダを作る隣で、お粥を作る準備に取り掛かる。
レタスを水洗いする音に紛れて、セキが声を潜めた。
「 あのね、大神さんは……あんなだけど、悪い人じゃないから」
悪い人じゃない人は人を蹴り飛ばさないし、床に投げもしないと反論しようかとも思ったが、真剣なセキの表情に負けて口を引き結ぶ。
ざぁざぁと、向こうに声が聞こえないようにわざと大きく音を出して、ポツリポツリとセキが続ける。
「俺も、雪虫も、大神さんがいなかったらどうなってたかわかんない」
「それって 」
「オメガってね、いろんな 使い途が あるんだって」
溜められた間は、その使い途が人道に反することだと暗に物語って……
ぷつりと切れた言葉は、セキなりに思うところがあるんだろう。
「 アルファにも、いろいろ使い途があるんだってさ」
最初に会った時に、セキが持っていたオレのナニを思い出して顔が赤くなるのを感じる。
オレの顔を見て思い出したのか、セキも目の縁を赤らめて慌てて俯いてしまった。
米と水を入れた土鍋を火にかけて、ほっと息を吐く。
「セキは、今の生活って嫌じゃないの?」
「え⁉︎」
「嫌か嫌じゃないかってだけの話なんだけど」
「ないない!全然ない!元々、進学も出来なかったし……ずっと働いてたから、今はすごく、幸せ」
全力の否定はどこも取り繕った箇所がなくて、大神といて苦痛じゃないんだろう。オレにはそれはわからないけれど、もしかしたら雪虫といて感じるような何かがあるのかもしれない。
「むしろ、大神さんが大変そうで 」
「大変?」
ガラス皿を並べて、セキからサラダを受け取る。
「 ん、しずるくんは」
「しずる、で いい」
「 しずる は、わかるからぶっちゃけると、俺のヒートってちょっと激しくて……」
「あ、ストップ。わかった」
「えっ聞いてよ!」
「なんで⁉︎」
人の床事情なんて知りたくない。
それでなくとも匂いでおおよそのことがわかってしまうのに!
「こう言う 話のできる人、いないから……」
「そりゃそうだけどさぁ」
「組の皆は年上だし、大神さんの立場的に言うのもアレだし、バイトばっかで友達とか いなかったし」
もじ と恥じらわれても困る。
「まぁオレも、ジジィ達のことで学校も行かなかったし、ダチもいなかったよ。オレ達の状況は似てるのかも。セキとは長い付き合いになるよな、よろしく」
「えっ」
「えって……嫌なのか?」
「ちが、違う! えっと、末長くよろしくお願いします」
「ぷ なんだよそれ」
お粥を軽く混ぜて、焦げがないか確認する。くつくつと小さな音が響いて、会話がなくなった。
きゅっと口角を上げているセキは嬉しそうで、昨日の一幕は夢じゃなかったのかと思わせる穏やかさだった。
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