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雪虫
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しおりを挟むきつい、日本では馴染みのないような臭いがつんとして……なんだ?
すん と鼻を鳴らす。
「匂いが 消えた」
今までどんな芳香剤だろうと潜り抜けて匂ってきていたαやΩの匂いが消えた。
確かにきつい煙草の臭いはするが……
静まり返った雪の夜の静寂のように、匂いがない。
「なん……」
いつも何かしら香ってきていた物がないと、ソワソワと落ち着かない。あれだけ邪魔っけで、存在することに苛立っていたのに、思わず探そうとしてしまう。
キョロキョロとして鼻を鳴らしているのが可笑しかったのか、大神の唇歪んでいるのに気がついた。
「一体、あんたなんなんだ」
「ソコは重要じゃあない。要はコレが本物か知りたいだけだ」
コレ とは、さっきセキとか呼ばれてたΩが持っていたモノのことだろう。
「オレのだとしたら、間違いなくナニだよ」
アレは、オレの人生の中でも歴代トップに入るくらい屈辱的な出来事だった。
そんなモノを何にするかはどうでも良かったが、ジジィ達はそれを持って機嫌が良さそうだったのは確かだ。
思い出して不愉快になり、そこに転がっている二人を蹴り飛ばしたくなったが、生憎トドメは刺したくないのでぐっと我慢することにした。
「 先生を呼んでこい。そのゴミは適当に片付けておけ」
大神が溜め息と共に煙を吐き出し、部下の男達に指示すると、誰も逆らうことなく従順に二人を運び出す。
死んでようが生きてようがどうでもいいが、これ以上人様に迷惑はかけないでくれよと、扉の向こうに消えていく足に祈った。
鼻血は何度か袖で擦れば止まり、切れたらしい口の中の傷もそう酷いものじゃなさそうで……
余裕が出てきてしまうと、オレ自身がこれからどうなってしまうのかを考えてブルリと震えた。
「はいはい。せんせーだよ」
ばっと扉から入ってきたスーツ姿の男は、その場に似つかわしくない明るさでそう言うと、臆することなく事務所の中へ入ってきた。
上等な物だと分かるスーツと、柔和そうだが癖のありそうな笑顔だ。
「呼ばれて飛んでくるって、ぼくって健気だよね」
ふぅー……と、紫煙を吐く大神の表情は変わらず、飛び込んできて一人はしゃぐのその年配の男が滑稽に見えた。
大柄な大神の前に立つと小さく見えるが、上背のある男だ。そいつに大神は何やら渡し、チラリと視線をこちらへ向けた。
「先生。頼みますよ」
「ノリが悪いね、大神くん。なんかあったの?」
スーツの上着を脱ぎながら言う男に、大神はきつい視線を向けたが相手には通じなかったようだった。
「セキくんにまたなんか怒られたの?」
「先生。そこの男です」
「やめときなよぉ、彼に逆らうなんて無理なんだからさぁ」
「先生。予定があるのでお早く」
「君ねぇ、あんまり堅苦しいとハゲるよ?」
「先生」
流石に最後の言葉にははっきりと分かる苛立ちが表れていて、軽いやりとりだと油断していたオレは飛び上がることになった。
癖のある風に唇の端を歪めて、こちらを向かれて落ち着かない。
何をされるのか……正直、ジジィ達にいろいろやらされてきたけれど、本業のやり口はまったく見当がつかなかった。
「君は派手な顔になってるね」
「え、あ。見た目だけです」
鼻は別に折れてないし、口の中は切れてはいるが顎が動かないわけじゃない。
踏みつけられた喉が痛むが、これは時間経過でどうとでもなると分かるのは、経験則からだ。
「そう、じゃあもう一丁いってみようか?」
は?と声が出る前に目の前に突き出された注射器は、拳以上の恐怖をオレに見せつけた。
「はーい。ここ押さえてね」
「……」
注射器に溜まった血液は、鼻血で流した血よりも少量だとは思うけれど、注射器で抜かれるよりは鼻から垂れ流すほうが精神的にはいい。
「注射器嫌いかい?」
「好きな人っています?」
「ぼくは好きな方だけれどね」
好きな奴がここにいた。
お情け程度に鼻から出た血を脱脂綿で拭われて、先生はこちらに背を向けた。
「さーて君は本物かな?偽物かな?」
オレから採った血液をなんか水っぽい物の入った試験管に移して、軽く振っている。
何がなんだかわからなかったが、オレの意志云々でどうにか出来ないことが行われているのは確かなようだ。
「パチモンかどうかって なんだよ」
「君がアルファか、アルファ因子の強いベータかってことだよ」
「因子?」
「聞いた事ないかい?オメガ、もしくはアルファの特性を持つベータの話」
男女性以外に3つの性別があると習うのは小学生だったか?
正確にはバース性と呼ばれる第二の性は4種類ある。
フェロモンにまったく反応しない無性。
フェロモンに反応しないと言われているβ性。
フェロモンに過剰反応し、過剰に放出し、発情期を持ち男女に関係なく子供を設けることのできるΩ性。
そしてΩのフェロモンに過剰反応し、支配フェロモンを持ち、男女に関係なくΩを孕ませることができるα性。
「ああ、ベータん中にいるオメガやアルファのフェロモンに反応する奴らのことだろ?」
「擬似オメガとか擬似アルファとかも言うよね」
医者はそう言うと血液を入れた試験管をもう一度軽く振った。
「うん、分離はしないね」
シンプルな腕時計を見てから、もう少し様子を見ようか と呟く。
「バース性なんて、生まれた時に調べるだろ?」
「まぁ念のためにね」
念のため とは、確かにだ。
日本では生まれた際にバース性チェックも義務化されていて、一般には誤魔化すことはできないとされてはいる。
「うん、ここまで待って変化なしなら、しずるくん、君はやっぱりアルファだね」
こちらに突き出された二本の指に挟まれていたのは、バース性が明記されている保険証だ。
そこにはオレの名前と共に、『β』の文字もしっかり刻まれている。
「 ……」
好きで偽っているわけじゃない。
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