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赤い写生帳
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しおりを挟む物悲しい季節を独り過ごさせてしまっている罪悪感はあったけれど、いつか玄上が面白半分で口に出した冗談が招いたのか、黒田の屋敷の絵を見た人々から依頼が舞い込むようになっていたために、会いに行く時間をとることは難しかった。
いや、そう言い訳してわざと距離を取るのは、翠也と言うかけがえのないものを手放す気はないからだ。
この絵のように、羽化して美しい羽を広げる様を見続けたいからだった。
「今にも飛んで行ってしまいそうだね」
あまりにもありきたりな言葉だったかと、自分の語彙力の無さに落胆を感じたが翠也は気にしないようだった。
「写生帳に沢山あったので……でも、人を描いたものがなくて…………」
「あぁ、あいつは人物はやらないんだ」
ずいぶんと昔にこっぴどく振られたせいで描くのをやめただか諦めただか言っていた記憶がある。
以来、肖像画もすべて断っていると言っていたから、余程その人物に愛着があったんだろう。
絵を描くことで金を貰っているのだから、もう諦めて仕事と割り切って描けばいいものを……
一度くらいはあいつの描く人物画を見てみたいと思わなくもないのだし。
そうなってくると、若い頃に試しに描かせろと言われた時に描かせてやるべきだったのかもしれない。
「翠也は人が描きたい?」
「……卯太朗さんなら」
そう言って一人赤らむ姿が愛らしい。
「美丈夫ならともかく、俺なんか描いても楽しくはないよ」
「そんなこと、ないです!」
嬉しいことを言ってくれるが、外見の凡庸さは良くわかっている。
「俺なら、君を描きたい」
「えっ……僕は、恥ずかしいので嫌です」
恥じらいながら俯く項が、計算されたかのように芸術的だと彼は気づかない。
不意に匂い立つような色香に目が眩みそうになって、誤魔化すために首を振る。
「じゃあお互いに無理だな」
そう言ってお互いに笑い合った。
銀杏が色づき、日差しを浴びても暑いとは思えなくなった日の午後だった。
ひどく畏まった様子の新見が一冊の赤い写生帳を持って俺を訪ねてきたのは……
「ご無沙汰しておりました」
深く頭を下げて、いつか玄上の工房で見かけた赤い写生帳を俺の方へと差し出す。
何も考えずにそれを受け取りながら呆れた声が零れてしまった。
「また新見さんを使って……個展だかなんだかで忙しいのはわかるが、自分で来いと伝えてください」
それから早めに個展の知らせを寄越すように と言いかけ、新見のしっかりと引き結ばれた唇が微かに震えたことに気が付いた。
明らかにおかしい様子に言葉が止まる。
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