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真新しい画布
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しおりを挟むどぉん と、体に響くような音に言葉を遮られて声が途絶えた。
拳が振り下ろされた台に乗っていた鍋や皿が揺れて小さい音を立てる。
「あ……」
拳を震わせる田口の形相に、一歩退く。
「なっに、をっ! この家はなぁっ‼ この家はっ……旦那様が遺されて、お嬢さんが身を挺して守っておられる家なんだっ! あんな男の屋敷なんかじゃねぇっ!」
再び、どんっと振り下ろされた拳の音に、のれんの向こうから怯えたような表情の志げが顔を見せる。
「安っさん!? どうしたんだい? そんなに怒るとまた倒れるよ?」
志げにそう言われ、田口はばつが悪そうになんでもないと言ってぷいと背を向けてしまう。
「新山さん」
そんな田口から見えないように、志げは俺を手招いた。
いきなり怒鳴られた居心地の悪さを振り払いたくて、ちょいちょいと揃えた指先で手招かれるままに裏口を抜けて調理場の裏手へと向かう。
「安っさんに旦那様のことをいっちゃいけませんよ」
そう忠告してくる。
志げの年月が刻んだ皺を見て、ああと納得した。
二人は大体の年の頃が似通っている、ということは同じように長くここに居る可能性があり、先程の良くわからない話の説明もできるということだ。
「田口さんはどうしてあんなに?」
俺の言葉に志げはなんだか嫌なものを見るような目を向けてくる。
「あんなにって、そりゃあ……」
言いかけてはっと目を瞬かす。
「新山さんはどこまで知っとんかね」
「以前教えていただいた……奥様のことくらいしか」
「あぁ、そう……」
志げは調理場の方をちらりと見遣ってから、少し離れた庭石の傍らに腰を下ろした。
「この屋敷はねぇ、奥様のお父上の屋敷だったのさ」
老いた手が石を撫で、懐かしむ口調に深みを添える。
「元が男爵の出とかで、……でも小豆の先物で失敗してね。一時はこの屋敷も手放そうとされたようだったけれどねぇ」
志げの口調は哀愁を帯び、俺に話しかけると言うよりは一人語りのようにも見えた。
「悪いことは重なって、坊ちゃん……奥様のお兄様も亡くなって、それが堪えたのか旦那様も奥様も臥されて二進も三進も行かなくなって……」
志げは言葉を区切って再び調理場の方を見遣り、他に誰も聞いていないのを確認してから溜め息のように吐き出す。
「だん……いや、あの男が、奥様を妻にしたいと言い出して……っ」
妻?
「女学校に通われている奥様を見初めたのだと……」
「ま、待ってください。なぜ? 妻にと請われたのに……?」
そう尋ねた俺の声は彼女に届いていたのかどうか、分からなかった。
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