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藤の女
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しおりを挟む膳に乗せた夕飯を持って工房に入ると、翠也はすでにいつもの着物で縁側の戸の傍に立っていた。
どこか思いつめたような背中が気になり、膳を置いて声をかける。
「明日は晴れるだろうか?」
振り返った彼は「さぁ」と返しながら戸を閉じた。
途端に遠退いた雨音を聞きながら、冷めた夕餉を前にどうしたものかと内心で溜息を吐く。
何があったか問い詰めたい気持ちもあったが、翠也の性格上それで素直に言うとは思えなかった。
「鴛鴦は……」
何か話題を探して出した言葉だったが、翠也はこちらが驚くほどの反応を見せる。
利休鼠色の上で作られた白い拳を横目で見ながら、俺が描いた鴛鴦が原因なのだと腑に落ちて項垂れた。
それならば、翠也の態度もわかると言うものだ。
俺の鴛鴦は先方には受け入れがたいものだったのか……
「……そうか」
「え?」
「どうやら俺はしくじってしまったみたいだね」
そう言うと翠也は怪訝な顔をして首を振った。
「違います! 黒田の小母様は大変喜んでて……」
語尾がその続きがあると知らせる。
「喜んでくれたのに、何かあったような口ぶりだけれど?」
「あっいえ……皆さんとても褒められていて、母も鼻が高かったと思います」
取り繕うような翠也の言葉が気にかかった。
俯いたまま微動だにしない彼に近づき、手を取ろうとするとするりと身を引いて首を振る。
焦らされているようにも思えるその行動に、つい言葉が荒くなった。
「はっきり言ってくれないか? 俺は君や奥様に恥をかかせたのかい?」
きつく問うと、翠也は耐え切れなくなったように一筋の涙を零す。
「……泣くほどの、何があった?」
微かに動く彼の口から漏れる言葉は聞き取りづらく、俺は体を傾けて左耳を近づけた。
「 卯太朗……と、……」
「え?」
「っ 晋太郎さんの奥様が、……絵を見て 卯太朗って」
観念したかのような翠也の言葉。
絵には署名をしているのだから、俺の名前を相手方が知るのは不可能ではない。
けれど、
「奥様を、僕は見たことがあります」
翠也の水を湛えた目が棚を見た。
そこに置いてあるのは俺が今までに描いてきた写生帳だ。
「卯太朗さんが、理想と言った……」
翠也は一言言い終わるとぐったりと肩を落とした。
「とても美しい、あの方でした……」
……多恵。
こちらに向けられた白い面が脳裏をよぎる。
眩暈に襲われたような気がして、目を閉じて眉間に皺を寄せた。
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