とある画家と少年の譚

Kokonuca.

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藤の女

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 振り返った先には、闇に消え入りそうな翠也が立ち尽くしている。
 自室の戸からわずかに入る光が、頼りなげにその足先だけを仄かに照らす。

「あぁ。……苦しいよ」

 俺の表情は逆光になっていて良くわからないはずなのに、翠也はくしゃりと顔を歪めた。

 
「  僕も、苦しい」


 言葉を絞り出した彼の爪先に、光るものがぽとりと落ちる。

「苦しいんです」

 空気を求めて喘ぐように言われた声を聞いた途端、何かが体内で弾けたような気がした。
 形容しがたい衝動に押されるようにして手を伸ばし、逃げ出そうとする前に華奢な腕を掴まえる。

「あっ」

 暑い夜気の中にあって、なおひんやりと冷たい肌。

 香る微かな……汗。

 抗い難い衝動に、口をつけようとした。

「やっ  いやっ!」
「どうして? 何があった? ……昼間はさせてくれただろう?」

 ぶるぶると聞き分けなく首を振り、鼻を啜り上げる音と共に吐き出す。

「もう、止めてください」

 制止の言葉を聞かなかったふりをして掴んでいた手の甲を舐めた。

「やめてっ」

 甲高く叫び、彼は身を引くようにずるずると座り込んでしまう。

「どうして?」

 昼間は、俺が舐めることに抵抗をしなかった。
 だからどう考えてもわからない。

「  く、苦しい  から」

 さきほども漏れた言葉に、首を傾げながら膝を折る。
 きつく口を結び、苦悶の表情の彼からは甘やかな感情は一切読み取れない。

「苦しいんです」
「どこが?」

 尋ねたが首を振って答えず、代わりにぽつりと問うように呟いた。
 
「……僕は、あさましい人間ですね」

 ますます泥沼の様相を見せ始めた翠也の思考を止めるために肩を揺する。

「本当に、どうした?」

 人形のように揺さぶられるままの翠也は、視線を合わせないまま「苦しい……ごめんなさい……」と繰り返す。

「……わかったよ。目の前に餌をぶら下げられているだけと言うのはごめん被りたい、俺も君と同じでからかわれるのは苦手なんでね」
「  っ」
「今日はもう失礼するよ」

 そう立ち上がろうとするも、翠也が俺の服の裾を掴んだために敵わなかった。

「どうしたんだい? 俺にいて欲しいなら言ってごらん」
「…………傍に、居てくれますか?」
「そう言っているだろう? それで、君が何を考えているか聞かせて欲しい」

 座り直すと、彼は双眸から流れ落ちる涙で頬を濡らしながら、切れ切れに喋り出す。

「  卯太朗さんが、病で大変だと言うのに……僕は、嫌なんです」

 嫌?

 思い至ったのは、舐めさせてくれると言う約束を拒否する姿だ。
 
 ああ、そうか と思い頷く。

 幾ら快楽が伴うと言っても、翠也にしてみれば俺はただの蹂躙者でしかない。
 病だと大義名分を掲げても、年若い彼にこの歪んだ関係は酷だったのか……

 どうにか縋りたい気持ちもあったが、泣くほど嫌だと言われてしまえば、もうどうしようもできない。

「わかった、すまなかったね。……もう触れないようにするから」

 この一言で済まないのは良くわかっているが、せめてもの態度を取ることが俺に出来ることだ。

「悪いのはっ! 僕ですっ!」

 大きな声を上げ、彼はまたしくしくと泣き出す。


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