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闇夜の皓
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しおりを挟む「まぁいいか。早く仕上げろよ? 夏の末に俺の個展をするからな」
「そうか、楽しみだな」
力任せに抱き締めて来る玄上の腕の中から這う這うの体で逃げ出すと、にやにやと満足そうに笑っている。
「お前もすれば良いだろう?」
「俺は……人の入らない個展なんかしても、な」
そう言うと玄上は盛大に顔をしかめて返事をしないまま、強い力で肩を叩いてくる。
そして久しぶりに会ったと言うのに、特に長話もせず作業を中断させて悪かったなと告げて玄上は帰って行った。
薄い箔の色をした月に照らされてふらりと庭に転び出る。
「夜になってもまだ暑いな……」
ふらりふらりと、真昼の暑さを忘れさせる陰の冷たさにほっと息を吐いた。
そうすると昼間の、水揚げされた魚の気分からやや人間に戻った気になる。
白い花を房のように垂らす菩提樹の元に腰を下ろし、悟ったつもりになって寄ってきた蚊を潰さずに手で払う。
三日月の光は乏しく、照らされていてもすべては闇の中と変わらない。
涼を得るために、ひっそりと虫になった気分で呼吸する。
さり と、下生えを踏む音に顔を上げた。
静まり返った夜の静寂にはそれすら大音響で……
細い体が幽鬼のようにこちらに向けて歩いてくるのが辛うじて見えた。
惑うように俺の工房の傍で立ち止まり、覗き込むような動きをする人影に声をかける。
「 ──── 翠也くん」
悲鳴を飲み込んだ気配と共に、写生帳がばさりと足元に落ちた。
「ぁ の、こんばんは」
すぐ後ろに現れた俺に怯えるように、彼は逃げ道を見つけられず工房の方へと後ずさる。
「こんな時間に、何か用かい?」
中を窺う様子は何か用がある人間のそれだ。
「いえっ違います」
「そう……ああ、写生かい?」
俯いた彼にそう助け船を出してやると、
「ぇ、ええっ! そうです!」
と飛びついてくる。
その様子が、さながら気づかずに火に飛び込む羽虫のようで薄く笑いが唇に乗る。
「お互いの顔も良く見えない夜に?」
意地悪く返してやると、はっとして再び顔を伏せた。
「ち……違います! 花を摘んで帰ろうと……」
「そう、で? その花はそこにあったかい?」
工房の周りにあるのは花をつけていない下生えばかりで、翠也の居る辺りには花は一本もない。
それは、ここに暮らしていれば十二分に知っていることだ。
「 っ」
視線を合わせないまま、翠也は観念したように口を開く。
「ひ 昼間の、方は……」
なぜ、翠也がそれを問うのかわからなかった。
「ずいぶんと……いえ、出過ぎました。忘れてください」
ゆるりと息を吐き、踵を返そうとした背に声をかける。
「忘れ物だよ」
さっと走った緊張を安堵に変えながら、翠也は俺から写生帳を受け取ろうと手を伸ばす。
三日月にすら皓く見える腕を捕らえて舐めた。
「あっ……はな、してっ!」
俺の舌が這う腕を引っ込めようとするのを許さず、握り締めて引き寄せる。
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