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闇夜の皓
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しおりを挟む薄く色づく鳥の絵は焦れば焦るほど筆が進まず、どうにも筆を持っているのが苦痛で腕を降ろした。
進まない理由はわかっている。
他に気を取られてまったく集中できないからだ。
あれから翠也はまったく姿を見せず、見せたとしても遠目に俺を見つけただけで逃げ出す。
工房や自室に声をかけても反応せず、戸の前で何を言い募ろうとも顔を見せてくれることはなかった。
わんわんと鳴く蝉に苛つき、とうとう下げた腕から筆を放り出した。
「 新山さん」
みつ子の声にはっと顔を上げる。
水回りの掃除と食事の知らせ以外に家人が離れに来ることは滅多になく、何事かと腰を浮かす。
「ご友人とおっしゃる方がお見えですよ」
「え?」
先触れも出さずに訪ねてくるような友人なんて一人しかいない。
みつ子の後ろにいる、男柄がそのまま形を取ったような人物に鬱とした気分が晴れるのを感じて、思わず顔が綻んだ。
「玄上か!」
「よぉ」
のしりと音が聞こえてきそうな体躯だが、それに似合わず繊細な絵を描く古くからの友人だった。
「お茶をお持ちしますね」
そう言ってみつ子が下がると、田城玄上はきょろりと物珍しげに見まわしながら工房へと入ってくる。
いつ見ても男丈夫で、隆々とした筋肉は羨ましくさえもある。
「工房を構えたというのに、いつまで経っても招いてくれんとは、薄情だろう?」
「お前ならそのうち勝手に来るだろうと思ってな」
ばらりと無精髭の生えた顎を撫で、庭を見て頷く。
「躾の良い家政婦に庭に……こりゃあ随分と良い工房だなぁ。大出世じゃないか、羨ましいねぇ」
「君には並木の未亡人がいるじゃないか、ずいぶんよくしてもらってるだろう?」
その言葉が含む事柄に、玄上はにやりと助平ったらしく笑った。
「よくしてんのは俺だ。あいつは俺の絵と言うより、こっちに惚れ込んで援助しているようなもんだしなぁ」
ぱん と小気味のいい音を立てて腰を叩く。
「そんな馬鹿なことばかり言ってると、そのうち白い絵の具で絵を描くことになるんじゃないか?」
「はは! それもいいな!」
からかってやったと言うのに、玄上は面白いと声を上げて笑った。
「ところで、今日はどうした?」
「いやぁ、残暑見舞いがてら顔を見に来ただけさ。お前、どこにも顔を出してないだろう? この出不精め」
「あー……このところ籠りっぱなしだったからなぁ」
「ああ、あのことを聞いて落ち込んでるのかと思ったんだ、それなら慰めてやろうと思ってな」
「……あのこと?」
ふ と会話が途切れた時、見計らったようにみつ子が冷たい茶を運んできた。
凍りかけた雰囲気が撤回され、ほっとした瞬間に告げられる。
「 ──── 子供ができたとよ」
器を落としそうになり、寸でで堪えるも茶は足の指へと吸い込まれるように零れた。
「おっと、ほらよ」
傍らの雑巾を投げて寄越すのを取り損ね、動けないままに「そうか」と返事をする。
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