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瑞に触れる
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しおりを挟む「は、はい」
「翠也の絵を見てやってくれないかしら?」
突然の言葉に「はい」と返事をする勇気が出ずに戸惑っていると、艶のある黒髪がさらりと動く。
「ご迷惑とは思うのだけれど、いつまでも独りの世界に浸っているのもねぇ」
ああ、そうか……と口を引き結ぶ。
南川の家に翠也以外に他に子がいる様子はない。
彼は嫡子だ。
こんな大きな屋敷に住まう家系の跡取りが絵描きでは困るのだろう。
絵から離れるように引導を渡すほどでなくとも、趣味の一つ程度にさせたいのだ。
確かに翠也は常に工房に入り浸りで、活発に外に出かけて交友を楽しんでいるようには見えない。
将来的な様々なことを踏まえて、それでは駄目なのだと母親としての心配があるのは十二分に分かる。
「わかりました。翠也くんと話してみます」
「そう、有難いわ。あの子は貴男のことが気に入っているようだから」
「……気に?」
ふつ と視界が開けたかのような気がして、軽く目を瞬かせる。
「えぇ、貴男の絵が気に入っているのだそうよ」
そうとろりとした微笑を零し、峯子は傍らの団扇をぱたりと動かしてみせた。
安堵のために脱力を感じながら離れの戸を潜ると、いつも通りの油の臭いが鼻を突く。
ここに世話になるようになってから一月、そう言えばこの戸を開ける機会がなかったのだと気がついた。
いつも翠也が俺の工房に来ていたから、自分の絵を見せることはあっても彼の作品を見たことはなくて。
見せて欲しいと言ったこともあったが適当にはぐらかされて、新天地に馴染むための忙しさもあってそう言うものかと思ってしまっていた。
「…………」
戸を前に、微かな逡巡。
けれど放り出せば放り出すほどに、会いにくくなるのだと言うことは良くわかっているつもりだ。
片手に持った小さな包みに背中を押されるようにして、息を止めて戸を叩く。
けれど返事はない。
戸を叩く直前まで小さな物音が聞こえていたので、主不在と言うことはないだろう。
居留守を使われるのだろうかと思っていると、衣擦れの音がしてかたりと小さな音が響く。
「はい っ」
家政婦のどちらかと思ったのだろうか? 出てきた瞬間の彼の視線は顔ではなく胸の辺りに注がれていた。
それがゆるゆると何かを確認するように持ち上がり、喉仏を過ぎる辺りから小さく狼狽え始める。
「あ……」
「翠也くん、話がしたいんだがいいかな?」
俺の顔を見てみるみる間に頬が朱色に染まって行く。
「あ、あの、今は……」
首を振ろうとした彼の目の前にさっと小さな包みを突き出す。
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