とある画家と少年の譚

Kokonuca.

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朱夏

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「ほぼ対称に作られている屋敷ですが、庭だけは春夏秋冬の名にちなんだものばかり植えられていますから、それでどの辺りか分かると思います」

 指の先を視線で撫でるように伝い、庭へと目線を遣る。
 芍薬の花の見えるそこは夏の庭だろうか? それとも春?

 確かに庭を見ればどこかは朧げに知ることはできるようだったけれど、母屋には極力近づかないようにした方が無難と言うことだろう。

「あの……ご主人はいつお戻りに?」
「……父は  」

 遠くの芍薬を見ていた目をすがめるようにしてから首を傾げた。

 その拍子にさらりと黒髪がうなじを撫でて行く。

「忙しい方なので、あまり会う機会は……今度帰宅の連絡が入りましたら一番にお知らせしますね」

 そうか……と落ち着かない気持ちになる。

 奥方である峯子に挨拶をしたものの、後援者として名乗りを上げた南川氏とは代理人を通じてのみのやり取りしかしたことがなかった。
 代理人も言っていたことだけれども、忙しい方だから……と。

 だからと言って、ここまで厚遇してもらっているのに挨拶の一つもできないままだと言うのはどうにも不義理を感じて落ち着かない。
 
「ご挨拶だけでもしたかったのだけれど……」
「父は、作品さえ描けば挨拶なんてしなくとも気づきませんよ」

 それは、親に向かって辛辣な物言いだと思った。
 けれど自分が彼の年だった頃はどうだったかと朧げに考える。

 母親に、随分と生意気な口を利いていたはずだ。

 父親に対しては……
 
「庭も案内しましょう」
「あ……ああ」

 庭くらい案内されるほどでは と言いかけたが、この屋敷の門を潜るまでに壁伝いに歩いた長さを思い出して頷いた。





 菖蒲の高貴な紫が控えめに映える庭を横切る。

 なるほど。

 夏の庭と名づけられただけあって、そこはこれから咲こうと先を急ぐ花々の青臭い若い雰囲気に満ちていた。
 ともすれば埋もれてしまいそうな:勿忘草(わすれなぐさ)の可憐さに思わず目を細める。

 金鳳花きんぽうげ、 
 匂菫においすみれ、 
 百合ゆり
 苧環おだまき

 それから……?

 名前も知らない花が着物を広げ始めるその姿が広大な庭に広がっていた。

「これからが楽しみな庭だな」

 写生に困らないその豊かな茂りにうずりと心が騒ぐ。

「こちらを左手に回って行くと、卯太朗さんの部屋から見える秋の庭へと続きます」

 そして と続けながら彼は離れへと向かい始める。

「更にその向こうに行くと冬の庭が。そちらは父の書斎や母の部屋があるので立ち入ることは控えてくださいね」
「そうか……春がこれだから冬も見ごたえがあるだろうに、残念だ」
 
 翠也は残念がる俺に、幼い子供にでも向けるような笑みを向ける。

「一本、椿の巨木があるんです、あれは本当に見事で……咲きましたら許可を貰って案内しますよ」
「それは楽しみだ」

 春の植物が寂しくなる頃、離れらしき建物の瓦屋根が視界に入ってきた。

 歩いた距離を考えるとその広さは感嘆を通り越して呆れるばかりだ。
 さきほど出会った蒔田と言う庭師が一人でこれを世話しているのだとしたら、大層な労力だろう。

 離れへと来ると、開けておいた縁側の窓から中へと戻る。


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