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しおりを挟む手早くそれを身に着けている僕に声がかけられることはやっぱりなくて、見ていないのを承知で頭を下げてその部屋を出る。
結局、佐伯の視線はわずかでもこちらを向くことはなかった。
「…………っ」
僕に宛がわれた隣の部屋へ入ると、数歩先のベッドまで行く気力が続かずにその場にぺたんと尻をつく。
先ほどまでの情事の熱が嘘のように体は冷めきり、さんざん泣かされたせいで頬が引き攣る。
きっと隣では、まだ佐伯と奥さんが話をしているんだろう。
ほんの数分前まで僕とセックスしていたベッドの上で……
「正気じゃない」
そう言葉が出るも、一番正気じゃないのはこう言う扱いしかされない、こう言った経験を繰り返しているのに未だに佐伯に体を預けている自分自身だ。
熱の醒めた体はひやりとしていて、凍えてしまいそうに寒く感じる。
小刻みに震える体を引き摺るようにして、自虐と理解しながら佐伯の部屋側の壁に耳を押しつけてみた。
──……────……
…………──
────…………
薄いとは言え壁を隔ててしまった声は聞き取れるようなものではなかった。けれど、何事かを離し続けているのはわかる。
独り言を言うような人じゃないことは良くわかっている。
ぎゅうっと詰まるような息苦しさに喉元を掻きむしり、息をしているはずなのに空気を求めて口を大きく開けた。
溺れているか、首を絞められているかのような気分だ。
呼吸もままならない苦しみに、冷たい指先で膝をひきよせた。
翌朝の佐伯は昨夜の情事の欠片も残していない隙の見つけられないスーツ姿で、少しよれ気味の僕の姿とはまったく違っていた。
「酷い顔だな」
平坦で突き放すような声から顔を隠すようにさっと伏せる。
朝目覚めて屈みを見た時の自分と同じ感想を言われて、わかっていることを指摘されたバツの悪さからだった。
腫れぼったい目元と、色の悪い肌。
これから取引先の会社へと向かわなくてはならないと言うのに、これほど相応しくない姿もないだろう。
「……すみません、お湯で温めたりしたんですが……」
血行が良く鳴れば少しは とも思い、お湯で濡らしたタオルで顔を覆ってはみたがあまり効果は出なかった。
硬質な目に見つめられて思わず背筋が伸びる。
「 そうか」
何か辛辣なことを言われるかと身構えた心がほっとして萎んだ。
佐伯は何事か思案したような素振りを見せたけれど、腕時計に視線を落とすと緩やかに首を振ってから「行くぞ」と告げてきた。
出世街道のど真ん中を行く人にとって、たまたま見かけたゲイが会社にいた……と言うのは気に留めることでもなかったらしい。
資料室でのやり取りの後、いつ会社を辞めろと言われるのかとビクビクして過ごしていたが、そう言ったことも噂が広まった様子もなく。
また佐伯から何か言われることもなかった。
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