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準備室
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しおりを挟む初夏とは言え、夜はどことなく肌寒かった。
車を降りた葉人は、光彦に小さく手を振りながら曲がり角へと歩き出す。
「……」
光彦から見えなくなるだろう辺りまで歩き、振り返ってもう一度小さく手を振り直すと、光彦もこちらに小さく手を上げた。
それがくすぐったくて、はにかみながら歩き出した途端、暗闇から手を引かれた。
「えっ…!?」
とっさのこととは言え、自分を易々と引き寄せる力強さに、恐怖心がわいて言葉が喉に貼り付いた。
「ぁ…っ……!」
何か声を出して助けを呼ぼうとする葉人の口を、大きな手が塞ぐ。
「葉!騒がないでくれっ頼む!」
耳に届いた声に、葉人はぎょっとして体を硬直させた。
「た…たけ……る?」
「…ごめん。こんなことして……でも…」
「…ホントだよ、びっくりした。何か用事?」
今日も一日中、威から着信があった。
「昨日のこと…俺、ちゃんと話したくて…」
いつもこちらを真っ直ぐに見て、にっこり笑っていた威はそこにはいなかった。
しょぼくれ、明らかにクマの出来た目を落ちつかなげに瞬かせている。
そこに見える疲労から察すると、昨日今日とずっと葉人のアパート前にいたのかも知れなかった。
ぐっ…と、胸に重いものがのし掛かったような気がして、息が苦しくなる。
「昨日って…なんだっけ?ああ…オレは話すことないよ」
「……」
威が握る手の熱さに気づきたくなくて慌てて振り払い、家へと歩き始めた。
「葉っ」
振り払った手が、もう一度葉人を捕まえる。
「離せよっ」
「羽鳥か?」
びくっとして威を見上げたが、暗闇の中でその表情を窺うことはできなかった。
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