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I 成り上がりゲーム
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しおりを挟むそれからの一ヶ月、信は秋津の手ほどきで勉強を進めた。
教え方は丁寧で、勉強は順調に進んでいたが、秋二との共通点に気付くたび、秋二を思い出しては葛藤していた。
顔の造形が似ているわけではない。しかし、屈託のない性格がそっくりなのだ。
信は、そんな思いを持て余しながら日々を送っていた。
「うん、よくできてますね。わかんないとこあります?」
そう言ってノートを返してくる秋津に首を振る。
「大丈夫です、今のところ」
この日もいつものように自宅で勉強をみてもらっていた。
午前中からお昼を挟んで数学、英語を目標単元まで進め、午後二時を過ぎたところで秋津が言う。
「じゃあちょっと休憩しましょう」
「はい。お茶淹れますね」
そう言って立ちあがろうとした信を、秋津は押しとどめた。
「それよりちょっと外に出ませんか? いい天気だし、ずっと缶詰めだと息が詰まるでしょう」
確かに空は晴れ渡っていた。家にいるのがもったいない天気だ。
信は同意して上着を手にし、秋津と一緒に外に出た。
冬の凍てつくような、しかし清浄な空気が肺を突く。信が息を吐き出すと、呼気が一瞬白くなり、虚空に消えていった。
「やー、寒いなー」
「そうですね」
「あ、この辺でオススメのお店とかあります? 男だけどカフェ巡り大好きなんですよー。甘いものに目がなくて」
その言葉に、不意に菓子を食べまくっていた青年の顔が浮かぶ。秋二は元気にしているだろうか、と思いながら空を見上げた。
アンダーソン秋二は、店にいた頃可愛がっていた部屋付き禿(かむろ) だった。
「そちらの道を入ったところに一軒ありますよ。パンケーキのお店じゃなかったかな。中女の人しかいないけど」
「行きましょうっ! 行きましょうっ! あ、もし天野さんが大丈夫だったら……」
「いいですよ」
パッと顔を輝かせた秋津に、どくり、と胸が鼓動する。今まで気づかなかったが、彼は本当に秋二に似ていた。
素直でまっすぐで屈託がない。ちょっと空気が読めないところも、思ったことをすぐに口に出してしまうところも、無邪気なところもそっくりだった。
その屈託のなさ、太陽のような明るさが大好きだった。恋をしていたんだと思う。
だが、相手はまだ子供だった。十七とかサバを読んでいたが、実際は十五にも満たなかっただろう。
当時成人していた信に手の出せる相手ではなかった。
だから成就しなかった恋だった。
秋津と秋二は外見上は似ていない。
しかし内面は驚くほどよく似ていた。
信は今、秋二が隣にいるかのような錯覚に陥っていた。
カフェは住宅街にたたずむ瀟洒なマンションの1階にひっそりあった。看板も小さく、初めて通る人は絶対に発見できない場所だ。信も近所の奥様方に連れられてきて初めてそこがカフェだと知ったくらいだった。
階段を上がって木の扉を開けると、ちりんちりん、と涼やかな音が響く。
中はこじんまりしていて、通りに面した窓際にカウンター席が、右手の壁にひっつくようにして2人席が3つ、そして中央あたりに4人席が2つ。そしてその奥にレジと厨房があった。
いつものように近所の人たちで賑わっていたが、幸い見知った顔はない。信はなぜかホッとした気分で迎えてくれた店主にあいさつをして空いていたカウンター席に腰かけた。
こうすると他の客たちに背をむけられるのでさほど視線も気にならない。
信は興味津々で場違いな2人を見る女性たちを意識しないようにして、おしぼりを手に取った。
「わーっ、メニューめっちゃ充実してますね」
まったく周りを気にしないタチらしい秋津は、無邪気にそう言った。
彼が覗き込んでいるメニュー表には、パンケーキや他のデザートの写真などが説明書きと共に載っている。秋津のはしゃぎぶりを新鮮に感じながらメニューを見ていると、だんだんおいしそうに見えだした。
「オススメ、あります?」
「いや、あんまり来たことないんで……。知り合いはベリーがおいしいって言ってたけど」
「へえー。なになに、いちご、クランベリー、ブルーベリーをふんだんに使用……いちごは『とちおとめ』で、ソースには北海道産のフランボワーズを使用……。わーおいしそー。僕フルーツめっちゃ好きなんですよっ」
相手があまりに無邪気なので信は笑い混じりに聞いた。
「チョコは?」
「あ、チョコももちろんっ。ちょっと中毒みたいな」
「食べすぎると肌荒れちゃいますよ」
そう言って秋津の顔を覗きこむと、相手が一瞬動きをとめた。そして信をまじまじと見たのち、ハッとしたように目をそらした。
「あっ、えぇっと、そうですね。だから気を付けてます。……えーっと、天野さんもメニューどうぞ」
そうメニューを手渡してきた秋津に、信は言った。
「敬語、もうやめてもらえません? 却って気遣うので」
「あっ、そうです、か? うーんと、じゃあ、そうする、ね?」
「はい」
「あ、じゃあこの機会だから、これから下の名前で呼んでもいい? 僕のことも、そうしてもらっていいし。何か苗字だと堅苦しいからさ」
「わかりました……隆之さん」
「うん」
秋津はちょっとはにかんだように笑って頷いた。また心臓がドクリと鳴る。こんなに似ているのになぜ今まで気づかなかったのか。それが不思議なくらい、秋津は秋二とうり二つだった。
信はメニューを選ぶフリをしながら、秋二に会いたい、と強く思った。
世界を照らすような明るい光を放つあの子に、また会いたい。言葉を交わせなくてもいいから、ひと目だけでもまた見たい。
玉東を出て一年、じりじりと体内で燻り続けた欲望の炎が、秋津の出現で一気に燃え上がるのを感じた。
信はそっと息を吐いて、秋津といるのは辛すぎるな、と思った。
◇
夢の中で、美しいオリーブの目の少年が駆けてくる。屈託のない笑みを浮かべ、手を振って。
『おれ、ここの子になる』
『信さん、お茶いーれて』
『信さん見て見てっ、紅葉めっちゃ綺麗だよ』
『いつか、連れてってやるよ、あっち側に。マトモな世界に、一緒に戻ろうなっ!』
信はハッと目を覚ました。伸ばした手が虚しく宙をかく。信は腕をパタリと布団に落とし、身を起こした。
久しぶりに秋二の夢を見た。夢とは思えないほどリアルで、すぐそこに秋二がいるかのようだった……。
信はため息をつき、それもこれも秋津のせいだ、と思った。
まだ玉東にいる秋二が現れるなどということはありえない。彼にはまだ契約が八年残っているはずだ。
長い長い八年――あそこでの一年は、こちらの十年に匹敵するくらい長いのだ。
その八倍など、考えただけで眩暈がする。
秋二はそれに耐え抜けるのか。
秋二を気に入っているらしい笠原という賓客や、信の友人の章介の庇護があるうちは大丈夫だろう。
しかし、章介の契約期限は秋二より五年早く、笠原も永久に後ろ盾となってくれる保証はない。
もし誰もいなくなったら―――。
信はそこまで考えて嫌な考えを振り払った。
笠原の庇護を失うなどありえない。彼は秋二をいたく気に入り、ゾッコンだったのだ。
だれよりも貢がれていたのがその証拠。
だから大丈夫。きっと大丈夫……。
そう言い聞かせてみても、不安はなくならない。目がさえてしまった信は起きだして台所に行き、ほうじ茶を淹れた。そしてリビングに持っていって少し口に含む。
電気をつけずにしばらくぼんやりしたあと、信は立ち上がって、窓際の本棚の一番下の引き出しの奥から白い封筒を取り出した。
そこに入っているのは、手紙の束。大事な人に出せなかった書簡だ。
この二年、ほとんど毎日のように書いてきた手紙が山ほど入っているが、これは一部だ。残りは納戸の奥に押しこんである。
ほとんどは切手のない封筒だが、中にはちらほらと切手が貼ってあるものもある。投函寸前までいった手紙だ。しかし、身請け後ひと月くらいたったころに出した一通を除き、すべて未投函だった。
だって、誰がのうのうと手紙など出せる? あの地獄でもがき苦しんでいる相手に。
外での楽しい生活の近況報告など死んでもできなかった。
秋二からは返信が欲しいと何度も請われたが、無事を知らせる最初の一通の後、信は返事を書くのをやめた。あと出したものといえば年賀状くらいだ。
信が元気でいることくらいは今もちょくちょく白銀楼を訪れる森から伝わっているはずだし、それ以上の情報はいらないと思った。
信はため息をついて、秋二からもらった手紙を一通一通丁寧に伸ばし、じっくり読み返し始めた。内容はもう暗記している。だけど、秋二の筆跡を辿るだけで癒されるから不思議だった。
信はそれから夜が明けるまでそうやってずっと薄暗いリビングで、秋二からの手紙を読みふけるのだった。
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