理葬境

忍原富臣

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エピローグ

理葬境 前

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 春桜達の時代から幾百年もの時が過ぎ、田畑の上には黒い煙を吐き出して駆け回る物体に人が乗り込み野菜や米を収穫していた。

 遥か昔に起きた飢饉の出来事を人々は知っている。だが、その陰で何があったのかは今の時代の人々は知るよしもない。国王の死も海宝の死も、あの時代に取り残され、それぞれの行いや想いが文献に載ることなどなかった。

 人は大切なものを見落としやすい。
 当たり前だと受け入れて、目の前の大切な命の重さを理解していない。

 千年以上もの時間が流れた旧黒百合村、理弔(りちょうと名付けられた村はかろうじて存続していた。
 これは村が潰える少し前のお話、誰も知らない最期の物語――




 穴を掘り、人の死体をその中へと入れて埋葬する。そして、両手を合わせ村人全員で言の葉を合わせ祈りを捧げる。

「その魂、心が、安らかに眠らんことを」

 私が人を埋めたのは、もうこれで三十一人目だった。

 この村の名前は埋めて弔うことを生業とする村、理弔――

 この世界は見たくないものは隠される。無かったことにされる。人は死ねば埋葬されるということを知っていても、墓を作って埋める作業を誰がしているのかは知らない。
 ここは埋めるためだけに作られた村。一番近い人里でも丸一日かかってしまうような辺鄙な場所に作られた村……。

 村長が去年亡くなり、村人の数はもう数人程度しか居ない。村長を埋めた時、自分が何をしているのかふと考えさせられた。
 自分の家族でも知り合いでもない者を、見ず知らずの者を埋める。墓の数は優に百を超えて、小さいものを含めれば五百はあるのではないかと思う。

 元の風習は違うものだったらしいが、いつしか大きな石碑の周りに石が積まれるようになったらしい。そこから、埋めた人の名前を石に刻み、埋めた上に置く。
 小さい頃、村長に聞いたことがある。「ここにはどれくらいの人が埋まっているのか」と。村長ですら知らなかった。

 村長が死んでもこの村の埋めて弔う行為、理弔は続く。

 新しく村長を決めようと誰かが話し始めた。だが、誰も立候補するような立場ではないことを理解しているせいで、誰一人として村長になりたいという者は居なかった。
 一蓮托生、何も考えず、自分たちは理弔をする。

 数人しか居ない村人は全員、私も含めて争いごとを好まなかった。平等に、公平に、嫌がることは全員で分かち合う。それがこの村の掟だから、少ない人数でもその掟を守り続けた。
 また一人どこからともなくやってきた。「自分の子どもが死んだのだ」と、泣き疲れた様子で子どもをこちらへ引き渡した。

 暫くしてまた一人やってきた。「最愛の妻が死んだのだ」と、こちらへ引き渡した。
 でも、あまり悲しそうには見えなかった。何故だろうか。

 また、兄弟がやってきて女性をこちらへと置いて行った。挨拶も無しに帰って行ってしまい、とりあえず理弔した。

 それから数ヶ月経ち、変な人がこの村に訪れた。何を思ったのか彼は「殺して埋めてくれ」と懇願していた。

「こちらはあくまでも死者を埋めるための村であり、人を殺して埋めるなんてことはしていない」

 そう伝えると、翌日、置き手紙とともに村の入り口付近で首を吊って死んでいた。
 死んでしまい返すことも出来なかったため、私たちは理弔した。

 村にはどんどん見ず知らずの人間がその身を埋めていく。村が出来た頃は悪臭でひどかったらしいが、今は土の中に蟲を飼うことで人間の体の解体を促進しているおかげで、そこまでひどくはない。
 ただ、土を被っていく人の姿が最後には骨だけになる。

 自分も最後はこうなるのかと思うと、私は何をしているのだろうかと、心が空虚と化してしまいそうになる。

 数年後、村人は自分一人だけとなっていた。

 死んだ者も居れば逃げ出した者も居た。最後の一人というのは責務を全うしなければならない。なんとなくだがそういう気持ちで、自分は今もなお、来る者を拒まずに埋め続けている。だが、最近はあまり人も来なくなってしまい、仕事が無い日が続いた。

 理弔は埋葬する代わりに金品を受け取る。しっかりとした報酬を貰えることは少なかった。金持ちはこんな所では埋められない。貧困に満ち溢れた世界で生きてきた者たちが、せめてもの幸せ……死後の幸せを求めてやってくる。貰えるものと言えば、芋や野菜の類が多かった。でも、それだけでもありがたかった。

 昔、腹が減り過ぎて屍を喰った奴が追放されたことがあった。

「死者への冒涜は許されない」

 掟を破ればこの村には居られない。だが、屍を食べた村人を誰も攻め立てることはしなかった。追放の時も、空腹を堪えさせたことを村長が詫びていた。ここの村人たちの心は限りなく澄んでいた。何か問題が起これば全員で立ち向かい、病弱な者を助け、その中でも強い者は他の村人を守り続けた。

 ここが美しい世界なのだと知ったのは、死ぬ間際になってからだった。
 人は何事にも、気付くには遅すぎるみたいだ。
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