理葬境

忍原富臣

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最終話「別れの時」

降り出した雨

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 急に音を立てた陸奏りくそうに驚いた涼黒りょうこくは掴んでいた枯れ木を落として目を向ける。

「陸にい?」

 涼黒の集中力が切れると共に燃えていた小さな灯火はふっと消え、小さな煙をゆらりと立ち上らせた。
 竜のように舞い上がる煙。その臭いに気付いた涼黒が視線を火元へと戻す。

「あーぁ……消えちゃった」
「……海宝かいほう、様…………」

 涼黒の声は既に陸奏の耳には届いていなかった。

 涼黒の声を無視した陸奏は手紙を握り締め、ふらつきながら、裸足のまま外へと飛び出していく。溢れる涙がぽたぽたと、地面に吸い込まれては消え失せた。

 陸奏は見つけなければならない三人の名前を呼ぶ。

「海宝様ぁ! すい兄さん! 剛昌ごうしょうさぁあああん!」

 百合の咲く草原、家屋の中……思いつく場所を陸奏は泣き叫びながら探した。しかし、探しても探しても三人の姿は見当たらない。

「うぐっ……こんな……こんなの嫌だ……」

 溢れ出るものを拭いながら陸奏は探し続ける。陸奏の足は砂利で擦り切れ、揺らめく葉に細かく切り傷を付けられていた。
 だが、そんな僅かな痛みよりも陸奏の頭の中は海宝のことで一杯だった。

「海宝様……」

『――畑の向こう側には何かあるのですか?』

 出て行く間際、海宝が涼黒に尋ねた言葉が脳裏をぎる。

「っ……!」

 陸奏がまっすぐ畑へと走っていく。思い切り踏みつけたとがった小石が足に食い込み血が出ても無視して走った。土の割れ目からその身を露わにしている葉っぱの群生が足を切り刻もうとも、陸奏は走って行った。

「あ……ああ……そんな……」

 畑の上を走り抜け、柵の向こう側に続く光景が目に見えた陸奏の心は暗転した。かすかな希望は打ち砕かれ、心は虚無へと引きずり込まれていく。

「いやだ…………こんなの嫌だ……違う……こんな……こんな別れ方は違う……」

 大好きだった人の胴体と頭は離れた場所に転がっていた。
 魂が刺されたような、心が握り潰されたような痛みが陸奏の全身を駆け巡る。
 もう、陸奏の心は粉々に砕かれどうすることも叶わなかった。

 震える足で一歩、また一歩と柵の中へと進み、惨状を目の当たりにする。
 剛昌が持つ刀は引き抜かれ、刃先には血が付着している。
 その近くに転がる海宝の頭……。笠で隠れてはいるものの、その下からは血が地面を這いつくばり、己の存在を主張していた。

 剛昌と海宝の近辺には血が飛び散り、終わりを告げているようだった。

「陸……奏……」

 剛昌の後ろに立っていた翠雲は声に気が付き振り向くが、その顔には頬を伝い流れ落ちる涙がつらつらと続いている。

「こんな……こんなことって……」

 陸奏の呼吸は荒く、涙を零し、力尽きるようにその場に崩れ落ちて顔を伏せた。

「うっ……うぅ……」

 陸奏が顔を上げる。嘘であれと、夢であれと願いながら先ほど見た景色をもう一度視界に入れる。
 笠の隙間からは微笑んだまま眠る海宝の顔があった。

「ぁあああああああああああああああああああ…………!」

 陸奏の大きな叫び声に剛昌も振り返る。

「陸奏……」

 翠雲はただ弟の名前を呼びかけることしか出来なかった。

「いやぁああああああああ! あああああああああ! あああああああああ!」

 陸奏は地面を何度も叩きつけては叫んだ。力任せに殴った拳が砂利で擦れ血が出始めている。しかし、陸奏は力一杯に叩き続けた。
 何故もっと早く気が付かなかったのかと、陸奏は己の無力を憂(うれ)いた。
 翠雲は弟の苦しむ姿に耐えられず陸奏の元へと駆け寄る。

「やめなさい……」
「っ!」

 翠雲は弟の拳を優しく受け止め、痛々しい血だらけの拳が翠雲の目に映り込んだ。
 陸奏は目を開けたまま、ゆっくりと翠雲の顔を見上げる。

「……」

 翠雲は溢れ出る涙をこらえることに必死で何も言えずに唇を噛みしめた。
 陸奏もまた、震える唇を開くだけで言葉は出なかった。

 陸奏は全身の力が抜け落ち、ただ涙を流した。

「うぅ……うわああぁあああああああああ…………!」

 翠雲は黙って抱きしめる事しか出来ず、胸元で泣く弟を見つめる。

「……」
「……大丈夫か?」

 剛昌が二人の元に近寄り静かに声をかけた。涙こそ流してはいないが、剛昌の目にも溜まるものが確かに存在した。

 剛昌に返事をしようとした翠雲。だが、陸奏の様子がおかしい事に気が付き、返事をすることを中止して陸奏に問いかける。

「陸奏?」
「はぁっ……はぁっ……」

 陸奏の意識は朦朧もうろうとしていた。
 走り、泣き叫び、絶望し……陸奏の精神は既に限界を超えてしまっていたのだった。

「……」

 翠雲は陸奏を仰向けにし、自身の膝の上に頭を寝かせた。
 己の零れる涙を無視して、翠雲は陸奏の涙をそっと拭きとっていく。

「……すまない」

 剛昌は陸奏へと謝罪しながら目を瞑る。

「……」

 剛昌の言葉は陸奏には聞こえない。
 陸奏の寝息が静かに翠雲と剛昌の耳に届いた。

「……うぅ……うぐっ…………」

 陸奏が眠りにつき、翠雲も耐えられずにその場に泣き崩れた。

「本当に……すまない……」
「……うぐっ……うっ…………」

 眠った弟を抱き寄せて涙を零(こぼ)す翠雲、その隣で静かに佇み空を見上げる剛昌。

 三人の間を畑の方から吹く風がすり抜けていく。百合の香りがほのかに漂う。

 世界から分断されたような、切り離されたような空間で、二人は悲しみに暮れ、一人は眠りについた。その雰囲気は他の誰も近寄ることが出来ない領域と化している。

 雨粒が剛昌の頬に落ちた。
 曇天からは雨がぽつりぽつりと降り始めたようだった。
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