51 / 54
最終話「別れの時」
降り出した雨
しおりを挟む急に音を立てた陸奏に驚いた涼黒は掴んでいた枯れ木を落として目を向ける。
「陸にい?」
涼黒の集中力が切れると共に燃えていた小さな灯火はふっと消え、小さな煙をゆらりと立ち上らせた。
竜のように舞い上がる煙。その臭いに気付いた涼黒が視線を火元へと戻す。
「あーぁ……消えちゃった」
「……海宝、様…………」
涼黒の声は既に陸奏の耳には届いていなかった。
涼黒の声を無視した陸奏は手紙を握り締め、ふらつきながら、裸足のまま外へと飛び出していく。溢れる涙がぽたぽたと、地面に吸い込まれては消え失せた。
陸奏は見つけなければならない三人の名前を呼ぶ。
「海宝様ぁ! 翠兄さん! 剛昌さぁあああん!」
百合の咲く草原、家屋の中……思いつく場所を陸奏は泣き叫びながら探した。しかし、探しても探しても三人の姿は見当たらない。
「うぐっ……こんな……こんなの嫌だ……」
溢れ出るものを拭いながら陸奏は探し続ける。陸奏の足は砂利で擦り切れ、揺らめく葉に細かく切り傷を付けられていた。
だが、そんな僅かな痛みよりも陸奏の頭の中は海宝のことで一杯だった。
「海宝様……」
『――畑の向こう側には何かあるのですか?』
出て行く間際、海宝が涼黒に尋ねた言葉が脳裏を過ぎる。
「っ……!」
陸奏がまっすぐ畑へと走っていく。思い切り踏みつけた尖った小石が足に食い込み血が出ても無視して走った。土の割れ目からその身を露わにしている葉っぱの群生が足を切り刻もうとも、陸奏は走って行った。
「あ……ああ……そんな……」
畑の上を走り抜け、柵の向こう側に続く光景が目に見えた陸奏の心は暗転した。微かな希望は打ち砕かれ、心は虚無へと引きずり込まれていく。
「いやだ…………こんなの嫌だ……違う……こんな……こんな別れ方は違う……」
大好きだった人の胴体と頭は離れた場所に転がっていた。
魂が刺されたような、心が握り潰されたような痛みが陸奏の全身を駆け巡る。
もう、陸奏の心は粉々に砕かれどうすることも叶わなかった。
震える足で一歩、また一歩と柵の中へと進み、惨状を目の当たりにする。
剛昌が持つ刀は引き抜かれ、刃先には血が付着している。
その近くに転がる海宝の頭……。笠で隠れてはいるものの、その下からは血が地面を這いつくばり、己の存在を主張していた。
剛昌と海宝の近辺には血が飛び散り、終わりを告げているようだった。
「陸……奏……」
剛昌の後ろに立っていた翠雲は声に気が付き振り向くが、その顔には頬を伝い流れ落ちる涙がつらつらと続いている。
「こんな……こんなことって……」
陸奏の呼吸は荒く、涙を零し、力尽きるようにその場に崩れ落ちて顔を伏せた。
「うっ……うぅ……」
陸奏が顔を上げる。嘘であれと、夢であれと願いながら先ほど見た景色をもう一度視界に入れる。
笠の隙間からは微笑んだまま眠る海宝の顔があった。
「ぁあああああああああああああああああああ…………!」
陸奏の大きな叫び声に剛昌も振り返る。
「陸奏……」
翠雲はただ弟の名前を呼びかけることしか出来なかった。
「いやぁああああああああ! あああああああああ! あああああああああ!」
陸奏は地面を何度も叩きつけては叫んだ。力任せに殴った拳が砂利で擦れ血が出始めている。しかし、陸奏は力一杯に叩き続けた。
何故もっと早く気が付かなかったのかと、陸奏は己の無力を憂(うれ)いた。
翠雲は弟の苦しむ姿に耐えられず陸奏の元へと駆け寄る。
「やめなさい……」
「っ!」
翠雲は弟の拳を優しく受け止め、痛々しい血だらけの拳が翠雲の目に映り込んだ。
陸奏は目を開けたまま、ゆっくりと翠雲の顔を見上げる。
「……」
翠雲は溢れ出る涙を堪えることに必死で何も言えずに唇を噛みしめた。
陸奏もまた、震える唇を開くだけで言葉は出なかった。
陸奏は全身の力が抜け落ち、ただ涙を流した。
「うぅ……うわああぁあああああああああ…………!」
翠雲は黙って抱きしめる事しか出来ず、胸元で泣く弟を見つめる。
「……」
「……大丈夫か?」
剛昌が二人の元に近寄り静かに声をかけた。涙こそ流してはいないが、剛昌の目にも溜まるものが確かに存在した。
剛昌に返事をしようとした翠雲。だが、陸奏の様子がおかしい事に気が付き、返事をすることを中止して陸奏に問いかける。
「陸奏?」
「はぁっ……はぁっ……」
陸奏の意識は朦朧としていた。
走り、泣き叫び、絶望し……陸奏の精神は既に限界を超えてしまっていたのだった。
「……」
翠雲は陸奏を仰向けにし、自身の膝の上に頭を寝かせた。
己の零れる涙を無視して、翠雲は陸奏の涙をそっと拭きとっていく。
「……すまない」
剛昌は陸奏へと謝罪しながら目を瞑る。
「……」
剛昌の言葉は陸奏には聞こえない。
陸奏の寝息が静かに翠雲と剛昌の耳に届いた。
「……うぅ……うぐっ…………」
陸奏が眠りにつき、翠雲も耐えられずにその場に泣き崩れた。
「本当に……すまない……」
「……うぐっ……うっ…………」
眠った弟を抱き寄せて涙を零(こぼ)す翠雲、その隣で静かに佇み空を見上げる剛昌。
三人の間を畑の方から吹く風がすり抜けていく。百合の香りが仄かに漂う。
世界から分断されたような、切り離されたような空間で、二人は悲しみに暮れ、一人は眠りについた。その雰囲気は他の誰も近寄ることが出来ない領域と化している。
雨粒が剛昌の頬に落ちた。
曇天からは雨がぽつりぽつりと降り始めたようだった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。



王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる