理葬境

忍原富臣

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最終話「別れの時」

~再会~

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 剛昌ごうしょう翠雲すいうんが馬で林を駆ける。馬のあしは砂を巻き上げながら地面を蹴り上げては踏みつける。
 二人は一言も発しない。

 林を抜けた二人は開けた土地を無言で駆けていく。背の高い草がゆらゆらと、風に揺られて乾いた音を奏でていた。
 空を覆っている雲はゆっくりと二人の頭上へ近付き、目に見えない圧力が二人の肩にのしかかっていく。
 未だ二人に交わす言葉はない。

 二人は野原を駆け抜けて黒百合村へと続く坂道を進んで行く。
 砂利道の左右は木々が背を高くして伸びているが、剛昌が以前に来た時よりも坂道は整備されていた。道幅も建物を作る為に、人の往来をしやすくする為に馬が三頭ほどは並べるくらいにまで広げられている。

 馬の駆ける音。細かな砂利が馬のひづめによって勢いよく後方へと飛び散っていく。

 結局、二人は辿り着くまで一言も話すことはないまま、海宝かいほう陸奏りくそうが昨日の日暮れ時に足を止めた地に到着した。
 見上げる空には曇天が延々と広がり、体と心に間接的に圧力を加えているように感じる。

「ここだ」

 剛昌はようやく口を開いた。

「そうみたいですね」

 黒百合村に到着した二人は、馬を近場の木に繋げて家屋の方へと向かおうとするが剛昌は目に映った景色に足を止める。

「……」

 剛昌は前とは違う村の風景に胸へと突き刺さる棘のような痛みを感じ苦悶くもんの表情を浮かべた。
 自責の念が剛昌を攻め立てていく。

「……剛昌、どうかしましたか?」

 翠雲は立ち止まった剛昌の横顔を見つめ問いかけるが、翠雲の表情にはいつもの微笑みはなかった。
 剛昌は端的に翠雲の問いかけを否定する。

「……いや、何もない」

 何もない。そう、何もあってはならない。これ以上、感情を背負ってしまえばきっと崩れてしまう。心が壊れてしまうから、何もないと思わなければならない。
 今の剛昌には、此処に居た者達のことを考えている余裕はなかった。

「さあ、行こう」
「え、ええ」

 二人は家屋がある方へと足を進めていき、一軒、また一軒と手当たり次第に中を確認していく。

「居ないな」
「そうですね」

 二人の会話は弾まず淡白な会話となっていた。

「どこに居るのか分からんのか」
「火詠からきちんと聞いておくべきでしたね」
「まあ今更言った所で意味もない。見ていくしかないだろう」
「すみません……」

 何に対しての「すみません」なのか、剛昌は少し引っ掛かりを覚えたが質問を投げかけることはしなかった。
 剛昌が三軒目の家の前に立ち、戸を開けようと手を伸ばしたその時だった。

「む……」

 戸が勝手に開き中から陸奏が現れた。

「うっ……」

 剛昌にぶつかった陸奏は反動で数歩後ろへと退いていく。

「あいたたた……すみません……」

 陸奏がぶつけた鼻を押さえながら態勢を整える間、翠雲は剛昌の背中で表情を作っていた。

「こちらこそすまない」
「……あれ、剛昌さんに……翠兄さん?」
「ああ」
「ええ」

 二人はいつものように返事をするが、その目線は部屋の中へと向けられていた。

「海宝殿は居られるか?」

 剛昌はなるべく落ち着いて陸奏へと問いかける。

「海宝様は今散歩に行ってますけど……」
「そうか……」

 陸奏の返答に対して剛昌は気の抜けた声で相槌を打った。

 剛昌は心のどこかでホッとしてしまっていた。気を抜いてはいけないのに、海宝がこの場に居ないということに安堵の表情を隠せなかった。

「……おっちゃん?」

 火詠ひえいが伝えた忘れていた事はもう一つ――

「その声は涼黒りょうこくか?」

 剛昌は部屋の奥、声がする方へと顔を向けると、居間の壁から顔を覗かせる涼黒が目に映った。

「やっぱおっちゃんかぁ!」

 涼黒は何も知らない純粋な笑顔を剛昌へと向ける。剛昌もまた、涼黒が生きていた事にわずかながら笑みを零した。
 剛昌はそっと呟く。

「生きていたのか……」
「おっちゃんのおかげでなんとか生きちょるよ!」

 涼黒は履き物を履いて剛昌の元に近寄った後、申し訳なさそうに剛昌へ話しかけた。

「……あのな、おっちゃんに貰ったお金返そお思ってな、あと追っかけて王城まで行ったんやけど入れてくれんくて……お金も使ってしもうて……ごめんなさい……」

 剛昌はかがんで涼黒の肩をしっかりと握り優しい表情で声をかけた。

「気にすることはない……生きていただけで十分だ……」
「ごめんなさい……」
「私の方こそ……すまなかった……」
「……なんでおっちゃんが謝るん?」

 涼黒は綺麗な瞳で剛昌を見つめて問いかける。

「それは……」

 剛昌の反応に涼黒は首をかたむける。この時、剛昌を手助け出来るほどの余裕は翠雲には持ち合わせていなかった。

「……」

 険悪……というわけではないが、周囲の空気は四人の肩にじわじわとのしかかっていく。

「……そ、そういえば海宝様に何か用でもあったんですか?」

 陸奏は嫌な空気を打開するべく剛昌に問いかけた。

「あ、ああ……」

 剛昌の声は暗く、次の言葉が続かない。

 今の剛昌は口から出す言葉ですら、己の気力を使って吐かなければ崩れてしまいそうだった。海宝を殺さなければならない重圧に、己の指示で涼黒の村を壊滅させたこと。
 涼黒の何も知らない瞳は剛昌の心を深くえぐっていく。
 空気は相変わらず重い。

「でしたら私が探してきますので、剛昌さんと翠兄さんは部屋でゆっくりしてください!」

 陸奏が慌てながら戸の前で屈む剛昌の横をすり抜けようとした時、翠雲が陸奏の肩をそっと掴んで家の中へと押し戻した。

「陸奏と彼は家でゆっくりしていてください、いいですね?」
「え……翠兄さん?」

 翠雲の手が離れた陸奏は翠雲の顔をじっと見つめる。涼黒も翠兄さんという陸奏の言葉に気が付き翠雲の顔を見つめていた。

「どうしましたか?」

 翠雲は微笑む。後ろに回した拳で感情を握り潰しながら、いつも通り陸奏に微笑む。

「……もしかして泣いてましたか?」

 陸奏の問いかけに握り締めていた翠雲の拳が急に制止した。
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