理葬境

忍原富臣

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最終話「別れの時」

~陸奏の想い~

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 黒百合村でも空模様は重く、太陽は雲で隠され灰色の明かりが世界を照らしている。
 黒百合村で祈りを捧げ終えた海宝かいほう達は家へと戻り、刻一刻と迫る最期を談笑して過ごしていた。

「――なので、海宝様はすごいお人なんですよ!」

 海宝は寺に住む僧侶の頂点、大僧正だと言うことを陸奏りくそうが自慢げに涼黒りょうこくへと話すが涼黒は難しい顔を浮かべ眉をしかめている。

「んだこと言われても分っかんねぇ……」
「つまり、海宝様はすごいんですよ!」
「へぇ……そんな感じに見えんけんどね……」

 涼黒は海宝を眺めながら呟いた。海宝はただ微笑み続け、陸奏は腕を組んで首をかしげている。

「涼黒には海宝様の偉大さが分からないかなぁ……」
「んー……」

 陸奏の隣で座る涼黒の関心は海宝に向けられた。

「んでさ、海宝のじっちゃんはなんでおでこに変なん貼ってるん?」
「ああ、これですか?」

 海宝はそっと札に触れて確かめると涼黒はうんとうなずいた。

「供養参りをするための儀式……と言って伝わりますかね?」
「ぎしき?」
「何かをする為の準備、お祈りをする時に手を合わせるようなもの、と言って分かりますかね」
「へー……」

 いまいち理解しきれていない声音で涼黒は返事をした。

「んでもさ、んなもん付けてたら前見えんよ?」

 首を傾げて純粋に質問する涼黒に海宝は優しく微笑んで答える。

「ふふっ、そうですね。でも、だからこそ陸奏に付き添いを頼んだのですよ」
「ふーん……」

 涼黒は海宝が貼り付けている札をまじまじと見つめる。

「なんて書いてるん?」

 涼黒の問いかけに答えたのは海宝ではなく、落ち込んでいた陸奏が顔を上げて一文字ずつ丁寧に教えた。

「ちん、こん、ばく、ふ、と書いているんですよ」
「ちんこんばくふ?」
「そうです。亡くなった人の魂を集めて供養するためのお札なんです」

 微笑を浮かべる陸奏の表情はなんだか悲しげに涼黒の瞳に映り込んでいた。
 涼黒は目をらして海宝の額に貼られた札を見つめる。

「……なんか物騒じゃな……とくに三つ目のなんかぐちゃぐちゃなっちょって変じゃ」

 涼黒の素直な呟きに陸奏が丁寧に注意する。

「物騒なんて失礼ですよ」
「ふふっ、でも、確かに『ばく』の文字だけは怖いかもしれませんね」
「海宝様までそんなこと言わないでくださいよ……」

 涼黒の意見に賛成した海宝を険しい表情で陸奏は見つめた。

「ふふっ、思ったことを口にするのは貴方の特権でしたね」
「なっ……!」

 海宝の言葉に陸奏は目を丸くしてバタバタと立ち上がった。

「もー! 海宝様はまたそうやって私を馬鹿にします!」
「ふふっ、馬鹿にはしていませんよ」
「『には』って何ですか! 『には』って!」

 親子の口喧嘩のような光景に涼黒は陸奏の顔を見上げながら足のすそをつまむ。そして、陸奏にそっと注意した。

「陸にいはちっとばかし怒りっぽいの直した方がよかよ」
「なっ……」
「ふふっ……」

 陸奏は何も言い返せず、海宝は口に手を添えて笑っていた。

「おかしいです……正しいのは私のはずなのに……」

 陸奏は納得できずに悩ましげな顔で頭を抱えたところ、海宝が陸奏に言葉を渡した。。

「陸奏、正しい道は一つだったとしても、辿り着く前の道程(みちのり)は幾つもあります。急いでいても、考えてから行動すれば近道になるかもしれませんし、遠回りになるかもしれない。間違いや失敗を経て、人は成長していくのですよ」
「うぅ……分かりました……」

 久しぶりの教えに対して陸奏は大人しく、海宝の助言を心身しんみに受け取り肩を落とした。
 その様子を見ていた涼黒は心配そうに海宝に尋ねる。

「陸にい怒られとるん?」
「いえいえ、見る方向を変えれば違ったものが見えてくると伝えただけですよ」
「ふーん」

 涼黒はいまいちピンと来ていない様子で陸奏に視線を向けた。受け入れてはいても、陸奏の顔はいまいち納得がいってない面持ちだった。

「ふふっ、ゆっくりでいいですからね……」

 海宝が見守りながら座る位置を少しずらそうとした時、懐から手紙が一つ零れ落ちた。

「ああ、そういえば」

 海宝は落とした手紙を丁寧に拾い上げた。

「海宝様、それは?」
「すみません、陸奏宛てに翠雲すいうんさんからお手紙を預かっていたのをすっかり忘れていました」
「翠兄さんからですか?」

 落ち込んでいた陸奏の顔に元気が戻っていく。

「ええ」

 話についていけない涼黒は二人の顔見ながら問いかける。

「翠兄さんってだれ?」
「陸奏のお兄さん、つまり涼黒さんのお兄さんになりますかね」
「翠兄さんはすごいんですよ! なんたってこの国を治める大臣の一人ですからね」

 陸奏は誇らしげに胸を張って涼黒に話す。

「んじゃ陸にいも凄いんじゃな!」
「え……いやいや、私は何も無いですよ」
「でも、海宝のじっちゃんと旅しちょってお兄ちゃんが大臣ってすごかよ?」

 涼黒の質問に陸奏は一瞬だけ目を逸らした。

「海宝様と翠兄さんが凄いだけですよ」
「でもさ……」

 涼黒の言葉を聞く前に、陸奏は頭を掻きながら呟いた。

「ほんと……私には何も無いですから……」

 陸奏は微笑んではいるものの、その表情はどことなくぎこちなかった。

 翠雲に拾われ、海宝と共に過ごしてきた陸奏にとって、自分の取り柄は何もなかった。見捨てられないように、飽きられないように、陸奏は自分に与えられる課題は全て死ぬ気で努力してきた。陸奏は自分の取り柄を何も知らない。頭の中にあるのは翠雲と海宝、困っている人達のことだけだった。
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