理葬境

忍原富臣

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第六話「最期の旅路」

~叶わぬ願い~

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「貴方が回復してくれて本当に良かった」
「いえいえ……」

 海宝かいほうの謝辞に火詠ひえいは謙遜しつつ、二ヵ月前に起きた本堂での一連の流れを振り返る。

「……やはり、早めに処置をして頂けたのが良かったのでしょう。剛昌ごうしょう殿の側近は未だに療養しておられるそうです」
「そうですか……」

 海宝はみんの事を心配に思いつつ、火詠の元気そうな姿に安堵の表情を浮かべていた。

翠雲すいうんさんと剛昌さんはお元気ですか?」
「はい、翠雲殿は海宝様の居ない寺で代理を務め、剛昌殿は王城にて色々と動いています」
「そうですか……」

 海宝はか細い声で返事をすると、輝き始めた星空を見上げて視界の両端に映る空を眺めた。海宝にとって最後の夜空、最後の夜。

「星が綺麗ですね」

 海宝の優しい呟きに火詠も空を見上げた。煌めく星々がお互いを尊重し合うかのように交互に光を放っている。
 星を見つめる火詠は感慨深げに海宝に話しかけた。

「時代が変わろうとも、この輝きだけは変わりませんね」
「ええ……」

 昔の思い出を夜空に見る火詠と明日の終わりを夜空に見る海宝。両者の想いは異なるものだったが、星の光は今も昔も変わらないものだった。
 人生の終幕を迎えるには丁度いい夜風だと、海宝は静かに微笑む。

「……おっと、そういえば」

 火詠はハッと何かを思い出し懐から何かを取り出そうとした。

「海宝様にこれを」

 火詠から手渡されたのは一通の手紙だった。

「ありがとうございます。どちら宛てでしょうか?」
「それは陸奏殿に宛てた手紙だそうです。翠雲殿が渡しそびれていたものだと」
「ありがとうございます。陸奏に渡しておきますね」
「はい、よろしくお願いします」

 火詠の返事を聞いた海宝はゆっくりと深呼吸をした。

「……火詠さん」
「はい」

 海宝はこの旅を終わらせるために、人々の怨恨を断ち切るために、火詠へ最後のお願いを申し出る。

「翠雲さんと剛昌さんに伝えてください。明日の夕方、黒百合村に来てくださいと……」
「承知致しました。他は、何か伝えておくことはありますか?」

 海宝の想いを知らない火詠は淡々と務めをこなしていく。

「他は……えっと……」

 海宝は何か伝えなければならないような気がした。だが、迫りくる死期にさすがの海宝も心の中までは動揺を隠せなかった。

「……なければ王城に戻りますが」
「えっとですね……」

 思い出そうとする海宝の横を風がすり抜けていく。風と一緒に百合の花の香りがほのかに鼻腔を刺激する。
 海宝は太陽が沈む前の陸奏と涼黒りょうこくの姿が脳裏に浮かんだ。

「ああ、そうでした」
「何でしょう?」
「剛昌さんに伝えて頂きたいことがあるのです」
「はい」
「黒百合村の涼黒という青年が生きていたと、剛昌さんに伝えてもらえますか?」
「生き残りですか?」
「ええ、多分一人だけですが……」

 火詠は海宝の言葉を確認する為もう一度聞き直す。

「村人が生きていたのですか?」
「え、ええ……」

 海宝は相槌を打った後、火詠が黒百合村の任務に参加していた事を思い出した。

「すみません……そういえば……」
「いえ、海宝様が謝る事ではありませんから……」

 火詠の表情には影が差し、海宝は申し訳なさそうに目を伏せた。
 取り巻く空気が重たくなる前に、火詠は自ら苦痛の海へと飛び込んだ。

「……任務とはいえ、罪のない人達を手にかけてしまいましたから……このあやまちは一生、背負い続けなければなりません」
「……」

 海宝は火詠の気持ちを理解し、何も言わずにただ見守っていた。励ましの言葉を述べた所で、傷付いた人間の考えや価値観がそう易々やすやすと変わるものではない事を海宝は知っている。
 火詠は深く息を吸うと海宝へ静かに問いかけた。

「生きていたのは一人だけですか?」
「私が知る限りは……」

 火詠は思いつめた顔で携えていた鞘をそっと握り締める。

「独りで生きていたとは残酷な事をさせてしまいました……いっそ殺してあげた方がよいかもしれない」
「大丈夫ですよ、きっと」

 海宝は火詠の肩にそっと手を添えて呟いた。
 火詠なりの優しさや情けで涼黒を殺してしまえば、火詠の背負う罪がただ増えるだけ……。人々の悲しみや憎しみを絶つのは火詠の役目ではない。それに加えて、海宝には別の理由もあった。
 陸奏と涼黒は、きっと仲の良い兄弟になるだろうと。

「……」

 鞘を握り締める火詠の手に力が込められていく。

「これ以上、負の連鎖を生むわけには……」

 火詠が自身に言い聞かせるように呟いた。

「……だからこそ、生きて先に進むのですよ」
「……」

 海宝の言葉に火詠は潤んだ瞳を海宝へと向けた。
 世界は黒く染まっていく。星の明かりがあるとはいえ、海宝から火詠の表情は非常に見えにくいものだった。
 火詠が握り締めていた手を放す。

「……海宝様が仰るのなら、そういう事にしておきましょう」
「ありがとうございます」

 海宝の返事を聞いた火詠は不意に空を見上げたが、すぐに海宝の方へ顔を向けた。

「では、海宝様、私はこれにて」
「はい、ありがとうございました」

 火詠が振り向いて立ち去ろうとした。

「海宝様」

 海宝が視界に入らない程度に首を回し火詠が呼びかける。

「どうしましたか?」
「この旅が終わった時はぜひ、お礼をさせてくださいね」
「いえいえ、お礼なんて構いませんよ」
「それでは私の気が済まないのです」

 火詠は口角を上げて海宝に伝えた。
 それは叶わぬ願いです、とは口に出せず、海宝は心の中で苦痛を感じながらその言葉を噛み砕いていた。
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