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最終話「別れの時」
~最後の朝~
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「――翠雲殿、海宝様が剛昌殿と共に黒百合村に来て欲しいとの事です」
海宝に別れを告げた火詠は明朝、寺に居た翠雲にそのことを伝えた。二人は馬に乗って王城へと向かう。
天には曇天が果てしなく広がり、翠雲の気持ちを憂鬱に彩るには十分だった。走り抜ける城下町も、人がまばらに歩いているだけで、閑散とした町の風景は翠雲の心を徐々に枯らしていった。
先導する火詠の後ろを翠雲は無言で追随する。
「……」
火詠から海宝の言伝を聞いてからというもの、翠雲は道中、自分から口を開くことはなかった。火詠もまた黒百合村から王城に戻ってきたのが遅く、馬に揺られているとはいえ、その瞼はしきりに上下している。
早朝の風は目覚まし代わりには心地良い冷たさだったが、二人は気にせず走り続けていく。
翠雲は虚ろな目で火詠の背中を見つめていた。
「――翠雲殿」
前を走っていた火詠が呼びかけ、翠雲は馬を減速させるために手綱を引いた。
「おっと……」
急な操作に翠雲が乗っていた馬は前足を上げ、空を何度も蹴った後に荒っぽく着地した。馬はじたばたと足踏みを繰り返してから、ようやく落ち着きを取り戻した。
「翠雲殿らしくないですね」
「すみません。少し、ぼんやりしていました」
「ふむ、そうですか」
火詠はあっさり答えると翠雲にもう一度声をかけた。
「王城に着きましたよ」
「え……?」
人々の往来が少なかった事もあり、二人は思っていたよりも早く王城に辿り着いた。
火詠はあまり見せない大きな欠伸をしながら馬から降りる。
翠雲は正直なところ、寺から出た後の記憶が無かった。長く思えた今までの人生の時間が全て凝縮されたような感覚に翠雲は顔を引き攣らせた。
城門をくぐり抜けた後、二人は馬を小屋に預けて剛昌の部屋へと向かう。
火詠の歩みは眠気を伴ってゆったりとし、終わりを迎える翠雲の足取りは重たかった。
「……」
火詠が何も話さない翠雲へと目を向けた。火詠はまどろみながらも、眠たげな眼を擦りながら翠雲に問いかける。
「大丈夫ですか?」
声をかけられた翠雲は瞬時に表情を作り変えて聞き返す。
「何がですか?」
「何かその、様子が変だなと」
「朝が早かったですからね、まだ寝ぼけているのかもしれません」
火詠と並んで歩く翠雲の表情はいつも通りに戻っていた。
火詠は特に興味がなかったのだろう。「そうですか」と淡々と話を締めくくった。その後、ふと思い浮かんだ疑問が口から漏れ出した。
「でも、なぜ黒百合村に二人を呼んだのでしょうか?」
「さて、何故でしょうね」
翠雲もまた疑問符を付けて火詠へと言葉を返す。
火詠に知られないように、翠雲は微笑み続けて本当の表情を面の下に隠していた。
普段通りの翠雲の顔つきに火詠は首を傾げた。何か強張った表情を浮かべていたような、そうでないような……。考えてみるが頭の中にはハッキリとした記憶を残していなかった。
火詠は鼻筋の上を指でつまむと溜め息を吐きながら呟く。
「……やはり睡眠はきちんととらないといけませんね……頭がぼやけて仕方がありません……」
「寝てないのですか?」
微笑の仮面をつけた翠雲が問いかけた。
「黒百合村から帰ってくるのが夜中だったもので……夜道が暗いと目印もどこにあるのか分かりにくい……もう少し分かりやすくしておくべきでした……」
火詠は自分の段取りの悪さに頭を片手で押さえながら愚痴を零していた。
王城から黒百合村までは馬で半日ほどだが、それは明るいうちの話である。暗闇の中、見えにくい目印を頼りに帰ってきた火詠は久しぶりに疲れを感じていた。
「火詠」
「はい?」
翠雲は剛昌と二人で黒百合村に行かなければならない。火詠の役目はここで終わらせなければならない。
「剛昌には私が伝えておきますから、先に休んでください」
願ってもない翠雲の言葉に火詠はふと翠雲の顔を見つめた。
「いいのですか?」
「ええ、あとは私達に任せてください」
翠雲は微笑む。しかし、虚勢の反動は翠雲の内側にある心を深く傷付けていた。
火詠は立ち止まり、顎に手を添えて考える。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「はい。王城の方は頼みます」
「承知致しました。ではまた、戻ってきたらお知らせください」
「はい」
「では」
翠雲は火詠が視界から消えるまでその後ろ姿を眺めた。
「さてと……」
翠雲は剛昌の部屋へ行く前に自室へと向かった。
置いていた刀を手に取り、鞘と柄を握ってゆっくりと縦に引き抜いていく。刀身には翠雲の顔が綺麗に反射していた。
そこに映っていたのは悲哀に満ち、ひどく陰鬱な表情を浮かべる翠雲の顔だった。
「…………覚悟を決めなければ……」
翠雲は己に言い聞かせるように呟く。
刀身を鞘へと納めて深呼吸をした後、翠雲は刀を持って剛昌の部屋へと足を運んだ。
「失礼しますね」
翠雲が元気のない声で剛昌の部屋の扉を開けて中へと入った。剛昌は窓辺に近い椅子に座り腕を組んで頭を下に垂らしていた。仕事明けなのか、剛昌の机の上は書類が散乱していた。
「おはようございます」
翠雲の挨拶に椅子に座っていた剛昌がぴくりと反応した。
「ああ……」
剛昌は固まった身体をほぐすように背筋を伸ばした。
「剛昌、時間です……」
翠雲は剛昌から目を逸らしながら呟いた。
「分かった……」
剛昌の返事を聞き、翠雲は悟ったような面持ちで剛昌に呼びかける。
「剛昌」
「なんだ」
翠雲は笑みを浮かべて告げた。
「私はこの一件が終わったら、王城を去ろうと思います」
海宝に別れを告げた火詠は明朝、寺に居た翠雲にそのことを伝えた。二人は馬に乗って王城へと向かう。
天には曇天が果てしなく広がり、翠雲の気持ちを憂鬱に彩るには十分だった。走り抜ける城下町も、人がまばらに歩いているだけで、閑散とした町の風景は翠雲の心を徐々に枯らしていった。
先導する火詠の後ろを翠雲は無言で追随する。
「……」
火詠から海宝の言伝を聞いてからというもの、翠雲は道中、自分から口を開くことはなかった。火詠もまた黒百合村から王城に戻ってきたのが遅く、馬に揺られているとはいえ、その瞼はしきりに上下している。
早朝の風は目覚まし代わりには心地良い冷たさだったが、二人は気にせず走り続けていく。
翠雲は虚ろな目で火詠の背中を見つめていた。
「――翠雲殿」
前を走っていた火詠が呼びかけ、翠雲は馬を減速させるために手綱を引いた。
「おっと……」
急な操作に翠雲が乗っていた馬は前足を上げ、空を何度も蹴った後に荒っぽく着地した。馬はじたばたと足踏みを繰り返してから、ようやく落ち着きを取り戻した。
「翠雲殿らしくないですね」
「すみません。少し、ぼんやりしていました」
「ふむ、そうですか」
火詠はあっさり答えると翠雲にもう一度声をかけた。
「王城に着きましたよ」
「え……?」
人々の往来が少なかった事もあり、二人は思っていたよりも早く王城に辿り着いた。
火詠はあまり見せない大きな欠伸をしながら馬から降りる。
翠雲は正直なところ、寺から出た後の記憶が無かった。長く思えた今までの人生の時間が全て凝縮されたような感覚に翠雲は顔を引き攣らせた。
城門をくぐり抜けた後、二人は馬を小屋に預けて剛昌の部屋へと向かう。
火詠の歩みは眠気を伴ってゆったりとし、終わりを迎える翠雲の足取りは重たかった。
「……」
火詠が何も話さない翠雲へと目を向けた。火詠はまどろみながらも、眠たげな眼を擦りながら翠雲に問いかける。
「大丈夫ですか?」
声をかけられた翠雲は瞬時に表情を作り変えて聞き返す。
「何がですか?」
「何かその、様子が変だなと」
「朝が早かったですからね、まだ寝ぼけているのかもしれません」
火詠と並んで歩く翠雲の表情はいつも通りに戻っていた。
火詠は特に興味がなかったのだろう。「そうですか」と淡々と話を締めくくった。その後、ふと思い浮かんだ疑問が口から漏れ出した。
「でも、なぜ黒百合村に二人を呼んだのでしょうか?」
「さて、何故でしょうね」
翠雲もまた疑問符を付けて火詠へと言葉を返す。
火詠に知られないように、翠雲は微笑み続けて本当の表情を面の下に隠していた。
普段通りの翠雲の顔つきに火詠は首を傾げた。何か強張った表情を浮かべていたような、そうでないような……。考えてみるが頭の中にはハッキリとした記憶を残していなかった。
火詠は鼻筋の上を指でつまむと溜め息を吐きながら呟く。
「……やはり睡眠はきちんととらないといけませんね……頭がぼやけて仕方がありません……」
「寝てないのですか?」
微笑の仮面をつけた翠雲が問いかけた。
「黒百合村から帰ってくるのが夜中だったもので……夜道が暗いと目印もどこにあるのか分かりにくい……もう少し分かりやすくしておくべきでした……」
火詠は自分の段取りの悪さに頭を片手で押さえながら愚痴を零していた。
王城から黒百合村までは馬で半日ほどだが、それは明るいうちの話である。暗闇の中、見えにくい目印を頼りに帰ってきた火詠は久しぶりに疲れを感じていた。
「火詠」
「はい?」
翠雲は剛昌と二人で黒百合村に行かなければならない。火詠の役目はここで終わらせなければならない。
「剛昌には私が伝えておきますから、先に休んでください」
願ってもない翠雲の言葉に火詠はふと翠雲の顔を見つめた。
「いいのですか?」
「ええ、あとは私達に任せてください」
翠雲は微笑む。しかし、虚勢の反動は翠雲の内側にある心を深く傷付けていた。
火詠は立ち止まり、顎に手を添えて考える。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「はい。王城の方は頼みます」
「承知致しました。ではまた、戻ってきたらお知らせください」
「はい」
「では」
翠雲は火詠が視界から消えるまでその後ろ姿を眺めた。
「さてと……」
翠雲は剛昌の部屋へ行く前に自室へと向かった。
置いていた刀を手に取り、鞘と柄を握ってゆっくりと縦に引き抜いていく。刀身には翠雲の顔が綺麗に反射していた。
そこに映っていたのは悲哀に満ち、ひどく陰鬱な表情を浮かべる翠雲の顔だった。
「…………覚悟を決めなければ……」
翠雲は己に言い聞かせるように呟く。
刀身を鞘へと納めて深呼吸をした後、翠雲は刀を持って剛昌の部屋へと足を運んだ。
「失礼しますね」
翠雲が元気のない声で剛昌の部屋の扉を開けて中へと入った。剛昌は窓辺に近い椅子に座り腕を組んで頭を下に垂らしていた。仕事明けなのか、剛昌の机の上は書類が散乱していた。
「おはようございます」
翠雲の挨拶に椅子に座っていた剛昌がぴくりと反応した。
「ああ……」
剛昌は固まった身体をほぐすように背筋を伸ばした。
「剛昌、時間です……」
翠雲は剛昌から目を逸らしながら呟いた。
「分かった……」
剛昌の返事を聞き、翠雲は悟ったような面持ちで剛昌に呼びかける。
「剛昌」
「なんだ」
翠雲は笑みを浮かべて告げた。
「私はこの一件が終わったら、王城を去ろうと思います」
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