理葬境

忍原富臣

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第五話「冥浄陸雲」

旅立ち

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「っ……」

 剛昌ごうしょうは口を閉じて眉間に皺を寄せた。そして剛昌と代わるように、なんとか落ち着きを取り戻した翠雲すいうん海宝かいほうに尋ねる。

「……それで……貴方を殺して村を作った後はどうされるおつもりですか」

 海宝を見つめる翠雲の瞳には、義弟への心配が秘められているように感じられた。
 翠雲の想いを悟ったのか、海宝は的を射た返事を返す。

「あの子は優しい子ですから、寺に居させてはさぞかし辛いでしょう……」

 言い終えた海宝はほんの一瞬、物悲しそうに視線を下へと動かした。

「その為に村を?」

 翠雲の問いかけに海宝は丁寧に言葉を続ける。

「いえ、それだけではありません。これが最後のお願いになります。黒百合の土地に作った村を国の保護下に置いてください。そして、死者を弔うための村として、存続させて頂きたいのです」
「はぁ……」

 翠雲が目元に残っていた雫を手で払い、一息分の間を空けて海宝を見つめた。

「それはつまり、大墓所だいぼしょとしての村を作るという事ですか?」
「はい。そうすることでこの世には、無念の魂が残らずに救われるでしょう」
「――海宝殿……少しよろしいですか?」
「剛昌さん、どうしましたか?」

 剛昌は二人が会話をしている間、冷静になって今までの流れを振り返っていた。
 調査をしていたみんからの報告を思い返してみるが、海宝がこの決断に至るにはまだ早い気がした。泯と火詠の状態は悪化こそしているが、そこから被害が拡大しているようには見えない。

 海宝の命を差し出すにはまだ早いと、剛昌は考えた。

「呪いはまだそこまで広がってはいないはずです。海宝殿が命を差し出す前に別の手段を――」
「剛昌さん、春桜しゅんおう殿の死から三ヶ月ほどが経ちますかね?」
「え、ええ……それくらいかと……」
「今は黒百合村の一件で収まっているように見える悪夢が、本当に収まっていたとお思いですか?」
「……」

 海宝の言葉に剛昌と翠雲は目を細めた。

「寺へと助けを求める声は日に日に増えているのですよ。丁度、この手記に書かれているような内容で民達が寺に――」

 聞き終えた剛昌が声を張って立ち上がる。

「どうして言ってくれなかったのですか!」
「それはお互い様でしょう」
「……」
「私達は、抱えていた問題の大きさをはかり間違えた……ただそれだけの事です」

 剛昌はぐうの音も出ないまま、海宝は言葉を続ける。

「王城とは冷たく佇む兵士のような存在……そのような場所に助けを求める者はいません。だから、人々は寺へと助けを求めるのですよ……」

 春桜と海宝が、王城と寺を別々にした理由が垣間見えた瞬間だったが、聞き入る二人にそのような事を考える余裕はなかった。

「さて、そろそろですかね……」

 二人から目を逸らした海宝は本堂の入り口を見つめる。

「……?」

 二人は海宝の言葉に戸惑っていたが、直ぐに海宝の言葉の意味を理解した。
 本堂の外からはドタドタと走る音が本堂の中へと聞こえてくる。

「では翠雲さんに剛昌さん、先程の話、よろしくお願いしますね」
「ちょっと待ってくださ――」

 勢いよく本堂の戸が開く。

「海宝様! すみません、今戻りました!」
「おかえりなさい」

 優しく微笑む海宝に対して二人は表情を曇らせ、立ち上がっていた剛昌は静かにその場に腰を下ろした。

 戸をゆっくりと閉めて中へと入ってきた陸奏りくそうが二人の横に座って三人の顔を覗き込む。

「翠兄さんに剛昌さん、大丈夫ですか? なんだか元気が無さそうな……」
「え、ええ、大丈夫……」
「ああ、気にするな」

 元気の無い二人を見て陸奏は首を傾げる。

「あっ!」

 自然と翠雲の拳が視界に入った陸奏は急に声を発した。

「翠兄さん、手が! どうしたんですか!」
「……いや、気にしないでくれ」
「そんな――」
「気にしないでくれ」

 翠雲は「黙ってくれ」と言わんばかりの表情で力強く陸奏を見返した。充血した翠雲の目を見た陸奏はそれ以上、怪我について触れることはしなかった。

 本堂の中を気まずい空気が流れ始める。真相を知らず、兄に睨まれた陸奏は他の三人が話し始めるのを待つしかなかった。

 海宝がおもむろに立ち上がる。

「さてと……陸奏、準備が出来次第出発しましょうか」
「は、はい!」

 立ち上がった海宝を二人は見上げようとはしなかった。見上げることは出来なかった。

 二人は悟る。海宝の言う「出発」は「死」と同義だということを……。
 黒百合村を突き止めた時点で海宝殿に頼れば良かったのだろうか。
 それとも、飢饉が起こった時点でこの結末は決まっていたのだろうか。
 もう少し早く春桜に案を出せていれば変わっていたのではないだろうか。

 二人は深い自責の念に襲われていた。

「では翠兄さん! 行ってきますね!」

 いつもと変わらず微笑む海宝と陸奏は既に本堂の戸に立ち、二人へと手を振っていた。

「待って――」

 翠雲の声は戸にピタリと遮られた。剛昌と翠雲は暫く動くことが出来なかった。
 本堂に取り残された二人は静寂に包まれた。無駄に広い本堂、見上げるほど大きな仏様が、二人を惨めな気持ちにさせるには十分だった。

 外へと出た海宝と陸奏が廊下を仲良く歩いていく。

「海宝様?」
「どうしましたか?」
「翠兄さんや剛昌さんと何を話していたのですか?」
「ふふっ、それは秘密です」
「この期に及んで秘密なんてひどいです!」
「そうですね……また、その時が来れば教えてあげますよ」
「海宝様はいつも微笑んでばかりです……」

 肩を落として落ち込む陸奏の横で海宝はただ微笑み続ける。

「それが仕事ですからね」
「もー、すぐそうやってからかうのやめてくださいよ……いつも子ども扱いです……」
「ふふっ、貴方はいつまでも変わらないでくださいね」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ」

 海宝の返事に陸奏は頭に疑問符が浮かぶ。

 海宝は十年以上育ててきた息子のような存在に、ただ優しく微笑み続けた。
 これから死者の為に身を捧げるという、そのような感情は一切持たず、海宝は弟子であり息子のような陸奏との最後の旅の準備を始めるのであった。
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