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第五話「冥浄陸雲」
~運命の枷~
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海宝という人物がどうやって生まれたのかを、本人は語った。
住んでいた村が四十年ほど前に襲われたこと、そこで、冥浄陸雲という名の陰陽師に出会ったこと、渡されたお札、かけられたまじない――
「――次の日の朝、私が起きた時には彼はもう居ませんでした。夢現……陽炎のようにぼやけた頭では、直ぐに理解出来ませんでした。しかし、家の入口に置かれた両親の遺体を見て、手に握り締めていた札に気が付きました……」
決して明るい話ではないのにも関わらず、海宝は終始笑みを浮かべて語った。
海宝の昔話に、二人はただ俯いて聞くことしか出来なかった。今まで海宝の笑みに隠れていた得体の知れないものの正体が分かった二人は、生まれて初めて、本当の恐怖を思い知った。言葉を巧みに使う翠雲、言葉を威圧的に使う剛昌。そのどちらとも違う種類の「まじない」という言葉が、人ひとりの人生をここまで変えたことに、二人は戦慄していた。
不思議そうに二人を見つめる海宝が優しく問いかける。
「どうしましたか?」
翠雲は重い口を開け、悔しげに伝える。
「……過去に何があったのかは分かりました……ただ…………」
「ただ、何ですか?」
海宝は再び優しく問いかける。
「海宝殿……貴方が死んでは意味がない……それでは、その終わり方では、貴方自身が救われない…………」
翠雲が歯を食いしばりながら想いを伝える。
家族を殺され、村を潰された独りの少年が生きる為に背負うには、使命として背負わされるには、あまりにも惨すぎる運命だった。
海宝は翠雲の感情も汲み取った上なのか、その笑みは崩れない。その真意は掴めない。
「やはり翠雲さん、貴方は優しい。貴方が居ればあの子はきっと大丈夫です。貴方達が居るなら、この国は安泰で――」
「いや、貴方を失えば陸奏だけじゃない……僧侶やこの国の民達全員が悲しみます……」
翠雲は抵抗するも海宝の決意は揺らぐことはない。
「その為にあの子には、陸奏には一緒に話を聞いてもらったのです。あの子は強い……貴方なら理解出来るでしょう――」
「っ……」
床に打ち付けた翠雲の拳から鈍い音が本堂に響く。
「海宝殿、あの子は……あの子は貴方のような強い心は持ち合わせていない……!」
翠雲は冷静を保とうとしているが、その眼は底知れぬ怒りに満ち溢れていた。
それでも、海宝は静かに微笑みかける。
「ええ……だからこそ、この旅路に連れて行って――」
海宝の言葉をかき消すように鈍い音が再度本堂にこだました。床を殴りつけた翠雲の拳の皮がめくれ、血が薄っすらと表面を覆っていく。
海宝との話が噛み合わないと感じた翠雲は大声を上げた。
「貴方は何も分かっていない!」
「……」
翠雲は俯いたまま、兄としての心の内を吐き出していく。
「そんな事をすればきっとあの子は壊れてしまう……赤の他人が死ぬだけで泣き崩れるあの子が、貴方が死んだ時にどのようになるかお分かりですか……身内として、親として、ずっと陸奏の傍に居てくれた貴方が死ぬことが……どれほどあの子の心に負荷をかける事になるのか……分かっておいでなのですか……」
海宝を睨みつける翠雲の目には涙が浮かび、海宝はその姿を何も言わずにただ見つめる。
陸奏の過去を知らない剛昌は黙ってその様子を見守ることしか出来ず目を伏せた。
翠雲はその場に蹲り吐露する。
「貴方が死んでしまえば……あの子はきっと壊れてしまう……」
己が海宝を責められる立場ではないことも、こんな惨めな醜態を誰かの前で晒すことも、本当は悔しくて仕方がなかった。考えの至らなかった自分が悪い。早く相談をしていれば、きっとこの事態も変わっていたはずなのに、他人を責めることでしか己を維持できないことが、嫌で嫌で仕方がなかった。
理解はしていても制御が出来ない感情に、翠雲は泣き崩れていた。
「っ……っ…………」
静まり返った本堂では、翠雲のむせび泣く声だけが二人の耳に吸い込まれていく。
長年共に過ごしてきた片割れの見たことのない姿、感情を露わにした姿に、剛昌は助け舟を出さざるをえなかった。
「……海宝殿、どうにか、貴方を失う以外の方法は無いのですか」
剛昌が翠雲を視界に入れないようにしつつ海宝へと問いかける。
「私が死ぬ以外に方法は無いでしょう」
「そんな……そんなことは探して見ねば――」
「もし……もしあるのなら……私が教えて頂きたいくらいですよ……」
微笑みながら話す海宝の頬には涙が伝う。剛昌は返す言葉もなく、俯いて苦悶の表情を浮かべる。
「なので……」
海宝は小さく呟く。剛昌は顔を上げて海宝を見つめた。
「なので、お二人には……私の願いを聞いて頂きたいのです」
「願い?」
「はい。すみませんが翠雲さん、顔を上げてもらえますか?」
「……少しだけ……待ってください……」
翠雲は小さく返事をすると、二人には見えないように下を向いたまま涙を拭って座り直した。その目は赤く、膝の上に置かれた手の甲の傷は痛々しかった。
海宝が交互に二人の顔を見る。
「翠雲さん、剛昌さん」
「はい」
二人の発した声は見事に重なった。
「一つ目の願いは、私と陸奏が旅に出た後、全ての村を回ったその最後に……私を黒百合村の土地で殺してください」
「……」
二人は過去の話を聞いた時から、この事を言われるだろうとなんとなく察していた。けれど、真正面から言い放たれた言葉の重圧が、二人の頭をひどく締め付けていく。
「あと二つ、お願いがあるのですが聞いて頂けますか?」
「……」
既に二人は海宝の願いを聞き入れるしかない状況に追い込まれていた。海宝の生い立ちを聞いた段階で、二人は「お願い」という「まじない」を刷り込まれていた。だが、心の余裕がない二人は、そのことに気付く事はない。
二人は黙したまま肯定の意を示すと、海宝は礼を述べた後にお願いを告げた。
「黒百合村の土地に、小さな村を作って頂きたいのです」
「……」
二人は何も言えずに海宝の言葉を唾と共に飲み込む。
「春桜さんの亡くなった今となっては、貴方達にしか頼めないことなのです」
海宝の微笑む姿に、二人は刺されるような痛みを覚える。
剛昌は分かり切っている質問を投げかける。
「他の僧侶に任せるわけにはいかないのですか……」
「話を聞いた貴方達なら解って頂けたでしょう。これは私の運命……逃げ出すことは出来ませんよ」
住んでいた村が四十年ほど前に襲われたこと、そこで、冥浄陸雲という名の陰陽師に出会ったこと、渡されたお札、かけられたまじない――
「――次の日の朝、私が起きた時には彼はもう居ませんでした。夢現……陽炎のようにぼやけた頭では、直ぐに理解出来ませんでした。しかし、家の入口に置かれた両親の遺体を見て、手に握り締めていた札に気が付きました……」
決して明るい話ではないのにも関わらず、海宝は終始笑みを浮かべて語った。
海宝の昔話に、二人はただ俯いて聞くことしか出来なかった。今まで海宝の笑みに隠れていた得体の知れないものの正体が分かった二人は、生まれて初めて、本当の恐怖を思い知った。言葉を巧みに使う翠雲、言葉を威圧的に使う剛昌。そのどちらとも違う種類の「まじない」という言葉が、人ひとりの人生をここまで変えたことに、二人は戦慄していた。
不思議そうに二人を見つめる海宝が優しく問いかける。
「どうしましたか?」
翠雲は重い口を開け、悔しげに伝える。
「……過去に何があったのかは分かりました……ただ…………」
「ただ、何ですか?」
海宝は再び優しく問いかける。
「海宝殿……貴方が死んでは意味がない……それでは、その終わり方では、貴方自身が救われない…………」
翠雲が歯を食いしばりながら想いを伝える。
家族を殺され、村を潰された独りの少年が生きる為に背負うには、使命として背負わされるには、あまりにも惨すぎる運命だった。
海宝は翠雲の感情も汲み取った上なのか、その笑みは崩れない。その真意は掴めない。
「やはり翠雲さん、貴方は優しい。貴方が居ればあの子はきっと大丈夫です。貴方達が居るなら、この国は安泰で――」
「いや、貴方を失えば陸奏だけじゃない……僧侶やこの国の民達全員が悲しみます……」
翠雲は抵抗するも海宝の決意は揺らぐことはない。
「その為にあの子には、陸奏には一緒に話を聞いてもらったのです。あの子は強い……貴方なら理解出来るでしょう――」
「っ……」
床に打ち付けた翠雲の拳から鈍い音が本堂に響く。
「海宝殿、あの子は……あの子は貴方のような強い心は持ち合わせていない……!」
翠雲は冷静を保とうとしているが、その眼は底知れぬ怒りに満ち溢れていた。
それでも、海宝は静かに微笑みかける。
「ええ……だからこそ、この旅路に連れて行って――」
海宝の言葉をかき消すように鈍い音が再度本堂にこだました。床を殴りつけた翠雲の拳の皮がめくれ、血が薄っすらと表面を覆っていく。
海宝との話が噛み合わないと感じた翠雲は大声を上げた。
「貴方は何も分かっていない!」
「……」
翠雲は俯いたまま、兄としての心の内を吐き出していく。
「そんな事をすればきっとあの子は壊れてしまう……赤の他人が死ぬだけで泣き崩れるあの子が、貴方が死んだ時にどのようになるかお分かりですか……身内として、親として、ずっと陸奏の傍に居てくれた貴方が死ぬことが……どれほどあの子の心に負荷をかける事になるのか……分かっておいでなのですか……」
海宝を睨みつける翠雲の目には涙が浮かび、海宝はその姿を何も言わずにただ見つめる。
陸奏の過去を知らない剛昌は黙ってその様子を見守ることしか出来ず目を伏せた。
翠雲はその場に蹲り吐露する。
「貴方が死んでしまえば……あの子はきっと壊れてしまう……」
己が海宝を責められる立場ではないことも、こんな惨めな醜態を誰かの前で晒すことも、本当は悔しくて仕方がなかった。考えの至らなかった自分が悪い。早く相談をしていれば、きっとこの事態も変わっていたはずなのに、他人を責めることでしか己を維持できないことが、嫌で嫌で仕方がなかった。
理解はしていても制御が出来ない感情に、翠雲は泣き崩れていた。
「っ……っ…………」
静まり返った本堂では、翠雲のむせび泣く声だけが二人の耳に吸い込まれていく。
長年共に過ごしてきた片割れの見たことのない姿、感情を露わにした姿に、剛昌は助け舟を出さざるをえなかった。
「……海宝殿、どうにか、貴方を失う以外の方法は無いのですか」
剛昌が翠雲を視界に入れないようにしつつ海宝へと問いかける。
「私が死ぬ以外に方法は無いでしょう」
「そんな……そんなことは探して見ねば――」
「もし……もしあるのなら……私が教えて頂きたいくらいですよ……」
微笑みながら話す海宝の頬には涙が伝う。剛昌は返す言葉もなく、俯いて苦悶の表情を浮かべる。
「なので……」
海宝は小さく呟く。剛昌は顔を上げて海宝を見つめた。
「なので、お二人には……私の願いを聞いて頂きたいのです」
「願い?」
「はい。すみませんが翠雲さん、顔を上げてもらえますか?」
「……少しだけ……待ってください……」
翠雲は小さく返事をすると、二人には見えないように下を向いたまま涙を拭って座り直した。その目は赤く、膝の上に置かれた手の甲の傷は痛々しかった。
海宝が交互に二人の顔を見る。
「翠雲さん、剛昌さん」
「はい」
二人の発した声は見事に重なった。
「一つ目の願いは、私と陸奏が旅に出た後、全ての村を回ったその最後に……私を黒百合村の土地で殺してください」
「……」
二人は過去の話を聞いた時から、この事を言われるだろうとなんとなく察していた。けれど、真正面から言い放たれた言葉の重圧が、二人の頭をひどく締め付けていく。
「あと二つ、お願いがあるのですが聞いて頂けますか?」
「……」
既に二人は海宝の願いを聞き入れるしかない状況に追い込まれていた。海宝の生い立ちを聞いた段階で、二人は「お願い」という「まじない」を刷り込まれていた。だが、心の余裕がない二人は、そのことに気付く事はない。
二人は黙したまま肯定の意を示すと、海宝は礼を述べた後にお願いを告げた。
「黒百合村の土地に、小さな村を作って頂きたいのです」
「……」
二人は何も言えずに海宝の言葉を唾と共に飲み込む。
「春桜さんの亡くなった今となっては、貴方達にしか頼めないことなのです」
海宝の微笑む姿に、二人は刺されるような痛みを覚える。
剛昌は分かり切っている質問を投げかける。
「他の僧侶に任せるわけにはいかないのですか……」
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