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第五話「冥浄陸雲」
~海宝と冥浄陸雲 中~
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朝方にも似たような場面があったことを走馬灯のように思い出していく静汪。
生死を彷徨うような状況が続いた今、静汪は冥浄陸雲に救われたような想いに駆られていた。
「さて、日が暮れてしまったし、今日はここで寝るしかなさそうだな」
冥浄陸雲は抱えていた静汪をゆっくり下ろすと、家屋の中へと入っていった。土足で居間に上がった冥浄陸雲に対して、静汪は遠慮しながらも嫌な顔を浮かべた。
居間へと入る手前の段差から、静汪は顔を覗かせる。
「あの、土足はちょっと……」
話しかけられた冥浄陸雲は首を傾げて不思議そうに静汪を見つめた。
「履き物があっては居ることを教えているようなものだ。お前も早く上がれ」
「ここは私の家なので――っ!」
自宅の奥にあるモノが脳裏を過ぎった静汪。思い出したくなかった親の変わり果てた姿、自分を隠すように覆い被さってくれた親の屍が、居間の奥には転がっている。
目を背けていた現実が少年の肩に重くのしかかる。
「そうか」
冥浄陸雲は端的に述べると遺体のある奥へと向かっていった。暫くして、一体の屍を引きずって静汪の前に現れた。
「やめてください!」
「死体と夜を共にするのは嫌だろう」
「そんな……こと……」
静汪の口数が著しく減っていくが、冥浄陸雲は言葉の力を弱めることはなかった。
「強がらなくていい。それとも、動かない親と一緒に一晩を過ごすか? 俺は慣れているから構わんが、少年よ、其方はどうだ。夜は人気は消えても野犬が出るぞ」
「……」
「野犬に襲われて無駄死にしたくはなかろう。守ってくれた親の信念を貫いてやれ」
「……」
親を無下に扱っている相手に何も言い返せない静汪は歯がゆさを覚えた。
静汪にとって、冥浄陸雲との出会い方、最初の印象は良いものではなかった。夕暮れ時に助けてくれたという想いは、親の扱いに憤りを感じて消え失せていた。
その想いを踏みにじるように冥浄陸雲は父と母の死体を入口へと運んでいく。
「……よし、これでいいか」
父と母だったものを冥浄陸雲は敷居を跨ぐようにして重ねた。それはまるで逃げ出そうとした所を殺されたような、部屋の中から誰かに襲われたのだろうかと想像できるような見事なものだった。
暗闇に包まれた世界で、月の明かりが仄かに世界を照らしだす。
「……」
静汪は居間で仰向けになりながら無言で涙を床に垂らしていた。既に朝から昼間にかけて泣き崩れていたというのに、涙は未だに枯れることはなかった。
一日で全てを失った少年。彼の心に大きなヒビが入るには十分過ぎる出来事の連続だった。そして、その隣では今日知り合った得体の知れない男が、壁にもたれて窓の外を見つめている。
「ふむ……」
冥浄陸雲は静汪の顔をちらりと覗(のぞ)き見ると、再び半月の浮かぶ夜空へと目を動かした。
「あまり泣くものではないぞ、少年」
「……泣いてなんかいません」
「そうか」
「ええ……もう涙なんて出るはずがないんです……」
涙を拭いた静汪はゆっくりと起き上がる。冥浄陸雲と向かい合うようにして座った後、膝を抱えて夜空を見上げた。綺麗な半月と散りばめられた星々がまるで絵のような、幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「……少年よ、辛いか?」
まるで自分がその感情を知らないかのような淡々とした問いかけに、静汪は月を見ていた腫れぼったい目を腕で覆い隠した。
「辛くはありません、悲しいだけです……」
「ほう」
冥浄陸雲は月夜から静汪にその瞳を向けた。「辛くはなく悲しいだけ……」、少年の言葉が喉につっかえる。
「それはどういう事だ?」
「人の生き死には変えられない……生者も死者も尊いものだと父は教えてくれました。でも、父は生者に命を奪われました……そして、父と母は私を庇って死んでいきました……」
「ならば、さぞかし辛いだろう?」
「いいえ」
きっぱりと述べた静汪の言葉は力強く冥浄陸雲の頭に響いた。
「なぜそう言える?」
「……辛いのは父と母であり、私が辛いと嘆くのは許されません……だって、それは庇ってくれた父と母を否定することに繋がってしまいますから……」
「否定する、か…………ふっ、ふふっ……」
静汪の言葉を聞き不意に笑い出した冥浄陸雲。困惑している静汪に対して、悪びれた様子もなく上っ面の謝辞を述べる。
「ああ、いや、笑ってすまなかった。ただの少年かと思いきや……ふふっ……いやいや、実によく出来た運命だ……ふふっ……はっはっは!」
「何がそんなに可笑しいんですか」
真直ぐ真剣に見つめる静汪が怪訝そうに問いかける。
「ふむ……」
静かに、睨み合うように見つめる二人。しかし、見透かしているかのような冥浄陸雲に静汪は小さく毒を吐いた。。
「何ですか?」
「うむ……そうだな……」
考え込む冥浄陸雲は前にも似たような質問をされたことを思い出していた。それに比べて、静汪はよく分からない冥浄陸雲の態度にひどく不快感を抱いていた。
「うむ……いやはや、立派なものだと感心していただけだ」
「感心する人は泣いている者を笑ったりはしません」
くっくっく……と冥浄陸雲は喉元を抑えるような笑いを漏らす。
「それもそうだな……ふふっ……」
「……」
急に出会った者に意味も分からないまま笑われるというのは、子どもを不機嫌にさせるには有り余る行為だった。
そんな思いもつゆ知らず、原因を作った男は問いかける。
「して、少年。いや、静汪よ、私が声をかけた時に其方は何をしていたのだ?」
「……」
居心地が悪い、不快だと言わんばかりに静汪は目を背けた。その仕草から察したのか、冥浄陸雲は真面目な顔に切り替えると正座をして背筋を正した。
「すまない、少し悪ふざけが過ぎたようだ」
「……」
静汪は口を開かずに折り曲げた膝の上から両目を覗かせる。
「どうだ、私が謝った人間は少年が初めてだ、誇っていいぞ」
「……」
「ふふっ、だんまりか……」
冥浄陸雲が微笑んだ後、外へと目を向けるがその姿はどことなく哀愁が漂っていた。会話の続かなくなった部屋の空気は重く、見えない壁が二人の間に形成されていく。
月明かりの当たらない部屋の部分には宵闇が静かに手を伸ばしていた。
生死を彷徨うような状況が続いた今、静汪は冥浄陸雲に救われたような想いに駆られていた。
「さて、日が暮れてしまったし、今日はここで寝るしかなさそうだな」
冥浄陸雲は抱えていた静汪をゆっくり下ろすと、家屋の中へと入っていった。土足で居間に上がった冥浄陸雲に対して、静汪は遠慮しながらも嫌な顔を浮かべた。
居間へと入る手前の段差から、静汪は顔を覗かせる。
「あの、土足はちょっと……」
話しかけられた冥浄陸雲は首を傾げて不思議そうに静汪を見つめた。
「履き物があっては居ることを教えているようなものだ。お前も早く上がれ」
「ここは私の家なので――っ!」
自宅の奥にあるモノが脳裏を過ぎった静汪。思い出したくなかった親の変わり果てた姿、自分を隠すように覆い被さってくれた親の屍が、居間の奥には転がっている。
目を背けていた現実が少年の肩に重くのしかかる。
「そうか」
冥浄陸雲は端的に述べると遺体のある奥へと向かっていった。暫くして、一体の屍を引きずって静汪の前に現れた。
「やめてください!」
「死体と夜を共にするのは嫌だろう」
「そんな……こと……」
静汪の口数が著しく減っていくが、冥浄陸雲は言葉の力を弱めることはなかった。
「強がらなくていい。それとも、動かない親と一緒に一晩を過ごすか? 俺は慣れているから構わんが、少年よ、其方はどうだ。夜は人気は消えても野犬が出るぞ」
「……」
「野犬に襲われて無駄死にしたくはなかろう。守ってくれた親の信念を貫いてやれ」
「……」
親を無下に扱っている相手に何も言い返せない静汪は歯がゆさを覚えた。
静汪にとって、冥浄陸雲との出会い方、最初の印象は良いものではなかった。夕暮れ時に助けてくれたという想いは、親の扱いに憤りを感じて消え失せていた。
その想いを踏みにじるように冥浄陸雲は父と母の死体を入口へと運んでいく。
「……よし、これでいいか」
父と母だったものを冥浄陸雲は敷居を跨ぐようにして重ねた。それはまるで逃げ出そうとした所を殺されたような、部屋の中から誰かに襲われたのだろうかと想像できるような見事なものだった。
暗闇に包まれた世界で、月の明かりが仄かに世界を照らしだす。
「……」
静汪は居間で仰向けになりながら無言で涙を床に垂らしていた。既に朝から昼間にかけて泣き崩れていたというのに、涙は未だに枯れることはなかった。
一日で全てを失った少年。彼の心に大きなヒビが入るには十分過ぎる出来事の連続だった。そして、その隣では今日知り合った得体の知れない男が、壁にもたれて窓の外を見つめている。
「ふむ……」
冥浄陸雲は静汪の顔をちらりと覗(のぞ)き見ると、再び半月の浮かぶ夜空へと目を動かした。
「あまり泣くものではないぞ、少年」
「……泣いてなんかいません」
「そうか」
「ええ……もう涙なんて出るはずがないんです……」
涙を拭いた静汪はゆっくりと起き上がる。冥浄陸雲と向かい合うようにして座った後、膝を抱えて夜空を見上げた。綺麗な半月と散りばめられた星々がまるで絵のような、幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「……少年よ、辛いか?」
まるで自分がその感情を知らないかのような淡々とした問いかけに、静汪は月を見ていた腫れぼったい目を腕で覆い隠した。
「辛くはありません、悲しいだけです……」
「ほう」
冥浄陸雲は月夜から静汪にその瞳を向けた。「辛くはなく悲しいだけ……」、少年の言葉が喉につっかえる。
「それはどういう事だ?」
「人の生き死には変えられない……生者も死者も尊いものだと父は教えてくれました。でも、父は生者に命を奪われました……そして、父と母は私を庇って死んでいきました……」
「ならば、さぞかし辛いだろう?」
「いいえ」
きっぱりと述べた静汪の言葉は力強く冥浄陸雲の頭に響いた。
「なぜそう言える?」
「……辛いのは父と母であり、私が辛いと嘆くのは許されません……だって、それは庇ってくれた父と母を否定することに繋がってしまいますから……」
「否定する、か…………ふっ、ふふっ……」
静汪の言葉を聞き不意に笑い出した冥浄陸雲。困惑している静汪に対して、悪びれた様子もなく上っ面の謝辞を述べる。
「ああ、いや、笑ってすまなかった。ただの少年かと思いきや……ふふっ……いやいや、実によく出来た運命だ……ふふっ……はっはっは!」
「何がそんなに可笑しいんですか」
真直ぐ真剣に見つめる静汪が怪訝そうに問いかける。
「ふむ……」
静かに、睨み合うように見つめる二人。しかし、見透かしているかのような冥浄陸雲に静汪は小さく毒を吐いた。。
「何ですか?」
「うむ……そうだな……」
考え込む冥浄陸雲は前にも似たような質問をされたことを思い出していた。それに比べて、静汪はよく分からない冥浄陸雲の態度にひどく不快感を抱いていた。
「うむ……いやはや、立派なものだと感心していただけだ」
「感心する人は泣いている者を笑ったりはしません」
くっくっく……と冥浄陸雲は喉元を抑えるような笑いを漏らす。
「それもそうだな……ふふっ……」
「……」
急に出会った者に意味も分からないまま笑われるというのは、子どもを不機嫌にさせるには有り余る行為だった。
そんな思いもつゆ知らず、原因を作った男は問いかける。
「して、少年。いや、静汪よ、私が声をかけた時に其方は何をしていたのだ?」
「……」
居心地が悪い、不快だと言わんばかりに静汪は目を背けた。その仕草から察したのか、冥浄陸雲は真面目な顔に切り替えると正座をして背筋を正した。
「すまない、少し悪ふざけが過ぎたようだ」
「……」
静汪は口を開かずに折り曲げた膝の上から両目を覗かせる。
「どうだ、私が謝った人間は少年が初めてだ、誇っていいぞ」
「……」
「ふふっ、だんまりか……」
冥浄陸雲が微笑んだ後、外へと目を向けるがその姿はどことなく哀愁が漂っていた。会話の続かなくなった部屋の空気は重く、見えない壁が二人の間に形成されていく。
月明かりの当たらない部屋の部分には宵闇が静かに手を伸ばしていた。
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