理葬境

忍原富臣

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第五話「冥浄陸雲」

~海宝と冥浄陸雲 上~

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 血の匂いが漂いながら、太陽は決められた時間にその身を隠そうとしていた。だいだい色に染まっていく世界。荒廃した村では風が吹き荒れ、舞い上がった砂塵さじんが視界をくらませていた。

 いくつもの死体が道端に転がっている。その風景はこの世の終わりを告げているかのようであった。砂埃によって屍は色褪せている。影も色合いも薄くなった死体の隣、しゃがんで手を合わせている一人の姿が、かすんだ視界に浮かび上がる。

「安らかにお休みください……」

 そこに居たのは亡骸へと弔いを行う若者だった。
 細い手足をした若者は家屋を回り、死体の一つ一つに手を合わせて祈りを捧げた。誰かに言われたのか、元からそうするように教えられたのか、若者は独りでその行動を繰り返していた。

「……」

 村の入り口、子どもの死骸を若者はまじまじと見つめる。まだ小さい。一人で歩けるようになったかどうかといった所のそれには頭の半分が無かった。斬られたであろう断面の中身が重みで外へと飛び出している。飛び出た臓物に舞う砂が付着して、これもまた色褪せていた。

「少年、何をしている」
「っ⁉」

 後ろから声をかけられた若者はサッと振り返った。そこには黒装束に身を包んだ男が一人、見下ろすようにして立っていた。
 若者は立ち上がって男から距離をとった。笠を被り、男の顔に巻かれた布のせいでその表情は窺うことが出来ない。
 死体や戦場から物を集めて金にする物拾ものひろいにしては立派な身なりをしている男。賊にしても汚れの少ない衣服は違和感を覚える。

「……どなたですか?」
「不躾な少年だな。尋ねるなら自分からであろう」

 鋭い目つきをした男が低い声で若者へと言葉を跳ね返した。しかし、若者は怯まずに男を見据えて物申した。

「先に尋ねたのは貴方でしょう」

 男は少しだけ眉を上げ、真剣な目つきで見つめる若者を上から見下すように見返した。

「ふむ……それもそうか……」

 男が独り言のように呟く。そして、笠から顎にかけて伸びている紐を解くと、片手に笠を抱え持った。後ろ一本で束ねた黒髪は長く、肩よりも下へと垂れている。

「私は冥浄陸雲めいじょうりくうん、はぐれ者の陰陽師とでも言っておこうか」
「冥浄りく……陰陽師?」

 若者は聞き慣れない名と言葉に思わず聞き返した。

「冥浄陸雲だ」
「冥浄陸雲……」

 怪しげな男に対して、若者はじりじりと後退あとずさる。男は若者に構うことなく、足元に転がる子どもの死体をじっと眺めていた。

 ただ、彼はその死骸を、死体としても子どもとしても見ていなかった事に若者は気が付いてはいない。落ちている物体を見つめるような、転がっている石ころを見るような目で、男は何の感情も無く死体を見つめていた。

「……さて少年、名は」
「え?」
「名を名乗れと言っているのだ。聞き分けの悪いガキは好かんぞ」
「……せ、静汪せいおうです」

 威圧的な態度に委縮しながら若者は名乗った。男は顎に手を当て、考えるような仕草を見せる。

「静汪か、良い名だな。して、静汪は何処から来たのだ。この辺りは死臭もひどい。あれか、物拾いか物乞いか?」

 辺りを見渡しながら冥浄陸雲と名乗った男は静汪に問いかけた。

「いえ、私はこの村の……」

 静汪はくぐもった声で悲し気に呟く。
 歯を食いしばった静汪の姿に、男は興味なさげに相槌あいづちを打った。

「ふむ、そうか」
「……」

 静汪は早くこの場から逃げ出したかった。朝方、賊の一味に襲われ身心共に疲弊ひへいしきっている今、得体の知れない男と向かい合って話すには精神的に限界だった。

 そんな静汪の気持ちを知ってか知らずか、男は再び笠をゆっくりと身に着けた。

「そう身構えるな。取って食ったりはせん」
「いえ、他人は信用なりません……」
「ふっ……確かにそれは正しいな」

 男は静汪の言葉に笑っていた。静汪は距離感の掴めない男に対して、嫌な汗が額に浮かんでいく。

「何が可笑しいんですか?」
「いや、なにもない……いや、あったのか。あったが無かったことにした、と言うのが正しい。つまり、お前は正しいということだ」
「何を言って――」
「しっ……」

 男は突如、耳を澄まして周囲の音を懸命に聞き取った。

「急に何を――」
「少し失礼するぞ」
「なっ――」

 静汪を担いで家屋の中へと入った男は戸を半分開けたままその陰に身をひそめる。

「何をして――」

 再び話そうとした静汪の口を男は塞いだ。

「静かに……」

 男は真剣な眼差しで外を確認する。向いた方向、二人の方へ歩いて来たのは刃物を持った男たちだった。

「こっちに逃げたって聞いたぞ」
「あいつがこんな汚い所に居るかよ。それに、俺たちがここは探し回っただろ」
「っ⁉」

 男の言葉に静汪が涙目になりながら暴れようとするのを、冥浄陸雲は必死に抑え込んだ。

「うん? なんだ?」

 戸を挟んだ向こう側、目の前で足を止める二人の男。平静を装っていた冥浄陸雲の額にも汗が伝っていた。

「なにがだ?」

 一枚の薄い戸に、夕焼けに照らされた男の影が二つ映し出される。

「うん……?」

 男の影が一つ、首を傾げる。
 冥浄陸雲は心の中で舌打ちをした。抱えている少年を放っておいておとりにすれば良かったのに、何故そうしなかったのか。己の行動を反省しながら静汪を睨みつける。
 事態を把握した静汪は死んだように静まり返っていた。

「ん……?」

 息を殺す二人、戸の向こうには刃を構えた二人の男。
 砂塵が家屋の入り口から中へと入り込んでいく。乾いた音だけが四人の耳に入っていく。一秒一秒がとてつもなく長い時間が過ぎていく。

「ほら、さっさと行くぞ。あの男を捕まえれば階級を上げてもらえるんだからよ」
「分かってる」

 戸に映っていた二つの影が消えて、男たちの足音がだんだんと遠ざかっていく。それでも隠れていた二人は当分の間、不動を貫いていた。
 夕焼けが淡い紫色へと変わっていき、世界が薄暗い色へと落ち着いた時。

「……っはぁ……この馬鹿者がっ……」

 息を吹き返した冥浄陸雲は静汪に呟いた。

「す、すみません……」

 心底申し訳なさそうに静汪が謝罪する。

「……まぁ、構わないさ。私が声をかけなければ良かっただけの話だからな。むしろ、こちらが謝るべきかもしれん」
「……」

 静汪は黙ったまま震えていた。バレていれば殺されていたのだろうか。そう思うとぞっとして身震いが止まらない。
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